第16話 そこに一縷の望みを託したい
――もうすぐ夜が明ける。
スティム山脈の稜線が徐々に白んでいき、暗い藍色が徐々に薄くなっていく。
その様子をマリアはジークの腰にしがみつきながら、夜通し疾走する馬上でじっと見ていた。
温度を感じない幻想的な光景、それと対比するような彼と馬の体温。
それを感じながら彼女は数時間前のことを思い出していた。
マリアはジークとの二人きりの部屋で緊張していた。
ベッドが二つあるから別々だとは言っても、二人きりには違いない。
ヨハンとチェリーからすれば慣れたモノかもしれないが、マリアとしてはそう簡単に割り切れるものでもない。
それはジークも同じだったらしく、何とも表現しがたい緊張感の中で二人はお互い背中を向けて眠れぬ夜を過ごしていた。
城内も夜警兵の靴音が時折聞こえる以外は気味が悪いほど静まり返っている。
どう呼べばいいのか分からない、神経が研ぎ澄まされた静寂の中、明らかに兵士とは違う足音が近付いてきた。
それに反応したジークが身体を起こすのが気配で感じられる。
マリアも頭まで被っていた毛布から顔を出す。
足音は部屋の前で止まり、やがて躊躇いがちなノックが飛び込んできた。
ジークは枕元に置いていた剣を握って立ち上がる。マリアもいつでも戦闘できる準備をしてジークの後ろに立った。
紳士的にノックがあったとはいえ、今の自分たちは命を狙われてもおかしくない立場。敵ではないという保証などどこにもない。
彼はマリアと視線を合わし呼吸を整えると、ゆっくりと扉を開いた。
真っ暗な廊下に佇み、薄くなった頭頂部を見せるように深々と一礼していたのは、兄王子エーリヒ専属の侍医だった。
ジークとマリアは周到に廊下を見渡し、誰もいないことを確認してから彼を招き入れた。
ランプはつけず、マリアが極限まで絞った魔法の明かりの中、二人は彼の言葉に耳を傾ける。
「――今回、話がここまで拗れたのは、エーリヒ殿下の身体が弱いせいではありません。そもそも現王は殿下よりも身体が弱かったぐらいなのです。……それでもブライト公爵が引くことで強引に話をまとめました」
彼は王様三代にわたって身体を診てきた、いわば王家の健康状態を知り尽くした人間だった。
「前回と違うのはフランツ殿下が引く気を見せていないのもありますが、一番の理由はエーリヒ殿下が『歩けない』ことにあるのです。……何か、例えば城内で襲撃や謀反などがあったとき、自力で退避出来ない身体であることが問題とされているのです。私も持てる限りの技術を駆使して殿下の足の治療に携わってきましたが、叶いませんでした」
彼は悔しさで唇を震わせていた。
しばらく重苦しい沈黙が続く。
それでもマリアもジークも辛抱強く彼の言葉を待った。
「……私には無理でしたが、国境を挟む帝国領ラスティアには、名医と呼ばれる者がいるそうです。聞けば足の腱を切ってそれを再びくっつけることで歩くことを可能にするとか。……眉唾ものですし、何かの邪法かもしれません。何よりエーリヒ殿下のお身体に傷をつけるという不敬は到底許容出来るものではありません。……ですが! そこに一縷の望みを託したいという気持ちも抑えることが出来ないのです」
侍医はその治療法に半信半疑の様子だったが、現代人のマリアはそういう方法があると知っている。
具体的にはどういう仕組みなのかは知らないが、ドラマか何かでそういうのを見た記憶があった。
それはジークも同じなのだろう、彼はマリアを見つめる。
その瞳の輝きが意味するのは希望。
――でも、アレって確か怪我をしたときの、だったはず。
マリアはそう思ったが、このまま何もせずに会議の日を迎えるようなことがあれば、それこそ、この国に来た意味がないとも思う。
「国として招聘すると大事になりますし、状況次第では新たな政争に留まらず戦争の切っ掛けにもなりかねません。……ですので今回は冒険者であるお二人が私の個人的な依頼を受けたという形でお願いしたいのです。……もし何かあれば私の身一つで収まるように努めます。無理を言いますが、何卒」
二人の反応に手ごたえを感じた侍医は、再び頭を深く下げ声を絞り出した。
「そのお医者さんの名前は?」
「ラスティア州立病院のビゼットという医者です」
その名前にジークが前のめりになった。
「……それってアルバート=ビゼットさん?」
「はい。……もしかしてご存知なのですか?」
侍医は真剣な表情でジークを見つめる。
彼はそれに何度も頷いた。
「知ってるも何も、この国に来る少し前、彼の仕事をこなしましたよ!」
彼の驚きの言葉に、侍医は会心の笑みを見せる。
それを見てマリアは確信した。
――もしかして、ジークがルードル卿に呼ばれたのって……。
「分かりました。僕に任せて下さい。必ずビゼット先生を連れてきますから!」
こうして二人は馬上の人となった。
明け方、彼らは帝国領ラスティアとの国境にある砦に到着した。
ジークは侍医の指示通り彼から預かった手紙の封蝋を警備兵に見せる。
「……はい、どうぞお通り下さい」
兵士から丁寧に一礼を受けて国境を越え、今度は冒険者ギルドの証明書をラスティア兵に見せて入国する。
そのまま馬を飛ばし、空が澄み渡った一面の青色に染まり切った頃、目的の医者――アルバート=ビゼットのいる病院に到着した。
開業準備で慌ただしく人々が動く中、ジークとマリアは早足で彼の研究室を訪ねる。
そこには書物を一心にめくりながら、パンを咥えている銀縁メガネの痩せぎすの男。
ジークが開け放たれたままの扉を軽くノックすると、男性は書物から顔を上げパンを手に持ち変える。
そして破顔した。
「おや、随分と懐かしい顔だ。……忘れ物かい?」
ジークは挨拶もそこそこに侍医から預かった手紙を見せる。
ビゼットは差出人の名に眉をひそめながらも、それを受け取ると熟読し、盛大に溜め息を漏らした。
「…………君たちから見た意見を聞きたい」
剣呑な雰囲気で腕組みをする彼に中途半端な情報は逆効果だと感じ、マリアとジークは見知ったことを正直に話す。
身体が弱く、毎日薬湯を欠かせないこと。
足が弱く自力では歩くどころか立つことも出来ず車いす生活をしていること。
「手紙によると生まれつきだという話だ。私のやり方は帝国でも少々異端でね。おまけに『みだりに人を傷つけてはならない』というラフィルの教えからも外れている。……まぁそれは、そもそも帝国の医術全般の話なのだが。……とにかく王族に対して軽々しく試せるような施術ではないことは理解してもらいたい」
その言葉に二人は頷くことしか出来ない。
「失敗するかも知れないうえ、下手すればリオン国を敵に回して一生この地に戻れないかもしれない。それが分かっていて、なおリオン行きを選択する程私はバカじゃないよ」
ビゼットは笑顔ながらも、断固とした拒否の姿勢を示した。
一方ジークは必死に説得を試みるが、彼には全く届かない。
ビゼットはうんざりしたような視線をマリアに寄越すが、彼女としてもこのままじゃ引き下がれないジークの気持ちは痛い程理解していたし、彼の為に何かしたいと考えていた。
だから彼女も参戦する。
「私たちの仲間にはヴィオールの主任研究者がいます。流石にリオン王国も帝国とヴィオールを同時に敵に回してまでビゼット先生に危害を加えようとは思わないはずです。それに侍医はエーリヒ殿下やルードル侯爵から大変信頼されている方です。絶対に不義理なことはされないはず。……施術するか否かは一旦横に置いて、この際『友人である侍医』を訪ねられてはいかがでしょう?」
マリアはヨハンならばどうするだろうと必死に考えながら言葉を紡ぐ。
しかし元来そういうのは向いていなかったのか、少々苦しい方便が出来上がった。
ビゼットはその拙い説得に苦笑すると、小さく嘆息する。
「……そうですか。…………まぁいいでしょう。折角ですから『古い友人』とお茶でも飲むとしますか。その場に彼が気にしている患者がいれば、医者として診るぐらいなら吝かでもないでしょう。もし気が乗れば施術するかもしれません。その為に用具の準備ぐらいはしておいた方が良さそうですね」
彼は誰に聞かせるでもない大きな独り言を告げると、「よっこらしょ」と腰を上げた。
「しばらく時間を待っていただけますか? 泊りがけの準備と数日ここを離れるとの伝言もしておかないといけませんし、ね」
彼は男前な笑みを浮かべると、颯爽と部屋を出て行った。
マリアはそれを呆けたまま見送っていたが、ジークが目を輝かせて彼女を見つめていた。
「マリア、ありがとう! 今のちょっとヨハンみたいだったよ? ……いや、マリアが胡散臭いとかじゃなくて、ね?」
ジークの言い様にマリアも笑いを抑えられない。
ひとしきり笑うと、彼はじっとしていられないとばかりにソワソワし始めた。
「僕は先に王城へ戻って、ビゼット先生が来るってことを侍医さんに連絡しておくよ」
「えぇ、そうね。お願いするわ。受け入れるにも準備がいるでしょうし」
マリアの言葉に頷くとジークは今度こそ部屋を飛び出した。




