第13話 私は悪しき前例になりたくなかった。
エーリヒと別れた四人は再びルードルの馬車に乗せられ、大きな屋敷が立ち並ぶ区画に戻ってきた。
「一旦屋敷に戻るのですか?」
目を閉じて何やら考え込んでいるルードルに、茉理が質問を投げかける。
「……いや、次はブライト公爵に会ってもらおう」
そう告げて彼は再び瞑目した。
先程エーリヒ王子が名前を出したその名に四人が顔を見合わせる。
彼も玉座を狙う存在なのだろうか、茉理は一郎の顔を窺うがその表情からは何も読み取れない。
やがて馬車が止まり、彼らは大きな屋敷の前で何度目かになる呆け顔を晒すことになる。
ただ一郎だけは違うものを見て小さく微笑んでいた。
彼の視線にあるのは壁に埋め込まれた家紋。
この前の屋敷でも見ていた。
茉理の目にも前に見たものと全く同じに見える。
「……これがブライト公爵家の家紋なんだね?」
茉理の言葉にジークとマリアが真顔に戻った。
先に連絡が行っていたのか待っていた執事に応接間へと通され、しばし待つようと丁寧に告げられた。
鎧やら剣やら飾ってある如何にも武人です的な部屋に、茉理が興味深くきょろきょろしていると、何かを察したルードルが口を開いた。
「今から面会するブライト公爵は現リオン王の弟殿下でもあられる。まぁ、気さくな方なので気を張る必要はないがね。……そして数年前まで王立騎士団で団長を務められていた方でもある」
ルードルの説明に四人は頷く。
「……約二十年前、我が国では今と全く同じような状況があった。若い頃から身体の弱かった兄王子の代わりに、丈夫で明朗な弟君が継がれてはどうかという話が、ね」
現王の即位の時も相当揉めたのだという。
「そのとき弟殿下はそれを全力で拒否された。おかげで今のように国を割るような事態にはならなかったのだ。……そして殿下は長らく継ぐものがいなかったブライト公爵家を再興され、今のリオン王国の繁栄の礎となられている」
その話を聞く限り、ブライト公爵はルードルと考えを同じくする存在だということだろう。
――つまり『エーリヒが王位を継ぐべし』。
そんな話をしていると扉が開いた。
入ってきたのは美丈夫という言葉がふさわしい壮年の男性だった。
無骨さにどこか気品と明るさを感じられる。
色んな意味でルードルと対極にあった。
「お待たせしたね。ウェルナーも元気そうで何より」
話し通り気さくな語り口だった。
「聞けば彼に連れられてエーリヒに会ったそうだね。これで君たちは晴れてこの問題の当事者となった訳だ。……もう逃げられないよ?」
ブライトは笑顔で恐ろしいことを口にする。
絶句する四人に冗談だと彼は手を振った。
「ようするに、君たちはより詳しい話を聞く権利を得たということだ」
そう告げると彼は真面目な顔になった。
「さて、こちらのウェルナーからも聞いていると思うが、私の代のときにも同じような話があった。多くの者から病弱な兄から王位を奪えと要請された。それが国の為なんだと、ね?……だが私は兄の臣下となる道を選んだ。そして何の因果が今こうして同じ状況が巡ってきた、と」
後悔はしていないが、と呟く彼の顔はどこか浮かない。
「甥の弟王子フランツは道理の分かった人間だ。筋を通せるし人望もある。……元上司の贔屓目かも知れないが。そんな彼だ。おそらく私同様兄から玉座を奪いたいとは思っていないはずだ。……だが、この数十年後再びこのような問題で国が悩むのであれば、と考える気持ちも分からないでもない」
ルードルは頷いて口を挟む。
「えぇ、その証拠としてフランツ殿下は火消しをされていません。彼を推す者は来るべき会議の為に着々と準備を始めていますし、側近はもうそれを隠そうともしません」
ブライトは「そうだな」と小さく呟くと、溜め息を吐いた。
「騎士団のギュンター=ブライトさんはやっぱり、息子さんですか?」
茉理の言葉にブライトは笑顔で頷いた。
「あぁ、そうだ。……アイツは公然とフランツ殿下を推している。我が家でもこうやってどちらを王にするかで割れているのだ。……国が割れるのも無理はない」
ブライトが大声で笑い出すと、ルードルが呆れた様に天井を仰いだ。
「失礼ながら、公爵は立場的にもし兄弟共倒れなら漁夫の利を得られる立ち位置ですよね? ……現に兄王子エーリヒ殿下は先程ブライト様の即位もありうると私たちに仄めかされました」
一郎の本当に失礼な言葉に、ブライトは更に大きな声で笑いだし、ゴホゴホと盛大にむせた。
「……そうなのか? あぁ、だからウェルナーはそんなに不機嫌なのか! なるほど! そういうことか!」
「……別に不機嫌ではありません」
にべもないルードルだがそんな彼が可笑しかったのか、ブライトはソファに倒れ込みながら再び腹を抱えて笑い出す。
茉理たちには分からなかったが、長年の知り合いには分かるものらしい。
ようやく笑いの発作を治めたブライトは姿勢を正して座り直した。
だが、まだ口元が引き攣っている。相当な笑い上戸らしい。
「――そうだな。君たちにはちゃんと答えるべきだな。……もし本気で玉座を狙うなら、兄上が譲る気満々だったあのときに私がたった一言『わかりました。お受けします』と言えば済むだけの話だったのだよ」
「確かにもうあの頃は本当に公爵に決まりかけておりましたからな。……今は亡き父が取り乱す様を見たのはあのときが最初で最後でございました」
ルードルも懐かしそうに微笑む。
「そう。私と宰相そしてお前と親父さんの四人で寝る間も惜しんで工作して、やっとのことでひっくり返せたんだったな」
ブライトも懐かしそうに思い出し笑いした。
「君はなぜ私たちがここまで順当な継承にこだわっているのか、知りたそうな顔をしているね?」
ルードルは静かな声で一郎に問いかけた。
彼は小さく頷く。
「……はい。確かに継承が乱れれば国が乱れるというお二人の主張は正論であり道理だと思います。ですが、身体の弱い王様が継承時に弟である公爵に『譲る』とおっしゃったのであれば、しかもその主張が周知され賛同まで得ていたのであれば、それはもはや簒奪でも何でもありません。ただの禅譲です。乱れる要素など一切ないのでは? しかも公爵様が王に就かれていたならば、こうも早い段階で王位継承を懸案しなければならない事態にはなっていないかと推測できます。……公爵の言われるところの道理を通した結果、乱れるのであれば本末転倒かと」
ブライトは一郎の生意気な物言いに気を悪くした素振りも見せず鷹揚に頷く。
「確かに一理ある。見事なまでに息子と全く同じ主張だな。……『身体が弱い』というのは他国では王位継承から除外されても仕方のない事由になりえるのかもしれない。あなたが言うように安定が損なわれる可能性が出てくることを理由にすれば、むしろそちらが正論といえるだろう」
ブライトは厳しい顔で中空を睨む。
「だが、それならばと私は問い返したい。その線引きはどこなのだと。病を持っていても長生きする人はいる。逆に健康でも何かの事故であっさり死ぬこともあるだろう。身体は悪いが優秀な兄と丈夫だがそこまで優秀でない弟がいて、そのどちらが王に相応しいかなどその時々で変わるものだ」
――確かに、そんなのさじ加減一つだ。
今回も弟王子がそこまで人望がなければ、初めからそんな話すらなかった可能性だって――。
茉理の表情からブライトは察したのだろう。
笑顔で彼女を見つめる。
「仮に私があのとき王になっていたとしよう。……そして後々の世代で今回のような王位継承問題が持ち上がったとする。そのときほんの少し身体が弱いだけの兄から弟が簒奪を狙う口実として、『私の例』を持ち出したりしたら?」
彼は皮肉気に微笑む。
「あのとき私を王にという動きにはそれなりの大義があったかもしれない。今回も然り。……だが、『そのとき』は? 大義があっても無くても、私が病弱の兄から玉座を取り上げ王になったというその一点のみが取り沙汰され、強引に弟による継承が行われたら? 周知徹底されていれば禅譲だという理論を振りかざして裏で脅迫などが行われていたら? ……その結果、国が滅んでしまったら?」
彼の問いかけに誰も答えない。
でもブライトは別にそれを求めている訳でもなさそうだった。
彼は悲し気に微笑む。
「私は悪しき前例になりたくなかった。今回もそれを認める訳にはいかない。……だから私はエーリヒを推す。『武人のクセに何を物怖じしているのだ』とそこら中で陰口を叩かれようが一切曲げるつもりはない!」
彼はそう告げると飲み物を一気に飲み干した。




