第2話 最中を食べながら『ハ行』を多用するのはやめろ
「いやぁ、まだまだ暑いね!」
一郎のマンションに着くや、茉理は慣れた手つきで来客者用のハンガーに自分の上着をかけ、その足で冷蔵庫に向かった。
迷いなく扉を開き、当然のようにペットボトルのコーラを取り出す。
そして例によってラベルを剥ぎ棄て、ソファにどっかりと腰かけた。
プシュっと小気味いい炭酸の抜ける音に彼女は満面の笑みを見せ、まずは駆けつけ一杯とばかりに背中を反らせながら喉を鳴らす。
「ぷはーッ! あぁ、やっぱ、この一本の為に生きて――ガフッ!」
言葉の途中でゲップが上がってきたのが相当可笑しかったらしく、茉理は楽しそうに足をバタバタさせながら笑い出した。我が家のようにリラックスしている彼女に、一郎は苦笑を浮かべるしかない。
「ったく! ……ここお前の家じゃねぇんだぞ?」
「分かってるって! ……でもさ、何でだろね? ここってホント落ち着くんだ」
茉理はソファに寝そべり、テーブル上に綺麗に並べられたリモコン群から手探りでエアコンのそれを探し出し、ピピっと数度下げる。
「おいおい、あんまり下げ過ぎるなよ? この前だってお前が帰ったあと設定温度見たら寒気がしたっての」
「おお! 最高じゃないですか! メッチャエコ、究極のクールビズだ!」
「……バカ、電気消費量が増えりゃ意味ないっての。……夏場の電気代を馬鹿にすんな」
そもそも昼間家にいることのない茉理は、電気代を意識することはない。
だが一日中家に居る一郎の電気代はバカにならないらしい。
「細かいこと言わないの。新作の印税だって、そこそこ期待できるんだしさ」
茉理はそう言い放つと、リモコンをポイっとテーブルの上に転がす。
一郎は溜め息を吐きながらも、彼女が手探りで探した結果ぐちゃぐちゃになってしまったリモコンを、再び丁寧に並べ直した。
「ねぇねぇ、コレ、何?」
一郎は再びカタカタとキーボードを叩き始めていたのだが、茉理の声に中断して律儀に振り返る。
彼女が指差していたのはテーブルの上に転がっている紙で包まれた何か。
「……あぁ、最中だな。この前お袋がこっちに遊びに来たとき、荷物になるからって置いて帰った。……もう食べ飽きたから好きなだけ食ってもいいぞ」
「いいの? ホントに? ……媚薬とか入ってないよね?」
茉理は早速身を乗り出して一つ摘み上げると、笑顔で包みを剥ぎ始める。
「ちゃんとキレイに食べてくれよ? 絶対にボロボロ零したりするなよ? ……お袋が帰った後、あちこちに最中の皮が散らばってて背筋が凍ったんだから」
「……お? それも中々の納涼だね? 私も協力しよっか?」
楽しそうに笑う茉理に一郎は心底嫌そうな顔を見せた。
そんな彼の顔を眺めながら、彼女はおもむろに最中を頬張る。
「ん~! おいひい!」
「だから食べながら叫ぶなって! 皮が飛び散るだろ!」
「…………しかもコレってば、栗入りじゃないですか!」
一郎が気にするので、今度はちゃんと全部飲み込んでから叫ぶ。
「あぁ、そうだな」
「イヤイヤ、感動薄ッ! もっと何かあるでしょ? ……センセってば、栗入りに対する敬意が足りない!」
茉理はペロッと食べ終わると、もう一つ手を出して包みを開け、今度は一口で一気にいく。
「お袋は饅頭でも羊羹でも最中でも栗入りが好きだからな。……おかげで子供の頃から栗入りのモンばっかり食ってる」
「ほほお! そへはそへは!」
茉理が感嘆の声を上げると同時に、口から茶色い粉が舞い上がった。
一郎は血相を変えて、壁に立てかけてあったフロアモップの握りしめる。
「だから最中を食べながら『ハ行』を多用するのはやめろって! さっきから最中の皮を飛ばすなって言っているだろ! お前といいお袋といい、どれだけ言えば分かってくれるんだよ!」
彼は舌打ちしながらモップを掛けて静電気でそれを拭き取った。
どうやら母親にも同じようにツッコんでいたらしい。
「でもさセンセはお母さまに、今までい~~っぱい苦労かけてきたんだからさ、それぐらいは大目に見てあげればどうなの?」
長い両手を目一杯広げて身体全体を使って『いっぱい』を全力で表現する彼女が小さい子供みたいでおかしかったのか、一郎は顔を伏せて小さく笑う。
「……いやいや、お前は俺たち親子の何を知っているって言うんだ?」
「そりゃお母さまとはまだ会ったこともないから、想像しか出来ないけれどさ。きっとセンセの子育ては大変だったと思うよ? きっと今私がこうしてセンセの相手をしているヤツの何倍も苦労したんだろうしさ」
茉理はまだ見ぬ一郎の母にどこかシンパシーを感じながらしみじみと呟く。
「……お前なぁ」
一郎は半目で茉理を睨みつけるが、あまりに美味しそうに最中を頬張る彼女に毒気を抜かれ、天井を見上げた。
そこからポツポツ他愛ない会話をしながらも、一郎はパソコンに向かい執筆を続け、ようやく一段落付いたのか大きく伸びをして立ち上がった。
「……おいお前、いつまで食べてるんだよ? ……とりあえずそれを最後の一個にしておけ。そんなに気に入ったんなら残りは箱ごと持って帰っていいから」
「え? いいの? ありがと!」
今晩カラオケしながら食べようと、茉理はそんなことを考えながら、いそいそと最中の箱をカバンに押し込む。しかし中々上手く入らないらしく、彼女はうんうん唸りながら力任せに収納し、見事に革製のカバンが変形した。
そんな彼女を呆れた顔で見つめながら、一郎はレコーダーを持って立ち上がる。
「じゃあそろそろ行くぞ」
彼は茉理の目を見つめて、ニヤリと口元を歪めながら顎をしゃくる。
「……あ、やっぱり?」
茉理としても、実はそろそろ頃合いかも知れないなと感じていた。
締め切りまでは十分余裕があったけれど、彼のやる気を削ぐことだけはしないと思っていたので望むとこだった。
「……もう、反対しないんだな?」
「ったく、もう。……人のことを反抗期をこじらせちゃった『何でも反対』の野党議員扱いしないでよね?」
「……アレは、反抗期っていうよりイヤイヤ期って感じだけどな」
「そんなの、今はどうでもいいから。ホラ、行くんでしょ? ……担当者は一蓮托生だからね。もう腹は括ったわよ!」
茉理の言葉に一郎は驚いた表情を見せ、そしてゆっくりと微笑んだ。
その顔を見て彼女は耳まで真っ赤にさせる。
――まだ一郎センセなのに!
ヨハンじゃないのに!
何ドキドキしてんの、私!?
茉理が勝手にドギマギしている中、一郎も慌てて咳払いしていつもの皮肉気な笑顔を作る。
「ほう、それはそれは中々男らしいな。……それでこそ『だんじり祭り』だ!」
「……あんまり調子こいてると『やりまわす』ぞ、オラ!」
気を取り直した茉理は巻き舌の大阪弁で叫ぶと、一郎のボディに重い一撃を叩き込んだ。
予想していた以上の衝撃に苦悶しながらも、一郎は何とかレコーダーを口元に持っていく。
「……『ログイン!』」
彼が気力を振り絞ってそう叫んだ瞬間、茉理は何度目かになる真っ暗なセカイに放り込まれた。
ややあって緑色のデジタル文字が彼女の眼前を猛スピードで通り過ぎる。
茉理はそんな緑色の奔流を一身に浴びながら、今度の旅ではどんな出会いがあるのか、こっそりと心を躍らせていた。




