第18話 ……くっ、殺せ!
「あ! 本物の聖女さまだ!」
街を歩けば誰もがマリアに手を振るようになっていた。
彼女は茉理の隣で穏やかに微笑み、丁寧に頭を下げる。
この国の重鎮であるハラール将軍を横に置いて演説したということは、彼からのお墨付きを与えられたという事。彼が認めたという事は国が認めたということと同義だった。
もちろん草の根でダースやベイビーたちが情報操作を頑張ったというのもあっただろう。
ここまでは全て思い通りにコトが進んでいた。
「……さて、教会はどんな風に出てくるんだろうね?」
茉理はマリアにこっそり耳打ちする。
「そのための散歩ですから。……取り敢えずは様子見ですね」
マリアも同じように茉理に耳元で囁き、二人で笑い合う。
先日ジークムントとマリアは、親衛隊であり、この国で布教を主導するイザークに呼び出され尋問を受けた。
一郎は『あの二人なら絶対に大丈夫だから。潜ってきた修羅場が違うから』と、したり顔で笑っていたので、茉理としてもそれほど心配はしていなかったし、実際彼女たちは無傷で戻ってきた。もちろん、そのことも街の神官たちによって国民に知らされ、マリアに権威にハクを付けた。
今や彼女は公然と本物の聖女と呼ばれている。
そしてそれに反比例するようにイザークと偽聖女の名誉は地に落ちた。
窮地に陥った彼らは次にどういう手を打ってくるのか?
それを呼び込む為、こうやって彼女たちは暢気に街を闊歩しているのだ。
彼女たちは一郎とベイビーによって綿密に計算され尽くした散歩ルート構成に従い、さりげなく大通りから人の少ない裏道に入った。
建物が林立しているせいで昼間でも薄暗くなっている狭い道を進んでいると、いきなり粗末な小屋の扉が開く。
そこからゴロツキらしき人間が飛び出してきたかと思えば、力任せに茉理たちを中へと引きずり込んだ。
襲撃があること前提の作戦だったので、茉理もマリアも敢えて抵抗らしい抵抗もせず流れに身を任せる。
「ちょっと、アンタたち何なのよ!」
それでも一応の芝居を続ける茉理の言葉は完全に無視され、ゴロツキたちは二人を床に投げ飛ばした。
すぐに扉が閉められ、一瞬にして部屋は暗くなる。
たった一つランプの明かりを頼りに、茉理は彼らの顔をじっくりと睨みつけていった。
「フフフ、抵抗しようとしても無駄だ。……お前たちはここで死んでもらうからな」
部屋の中で手を出さずに椅子に腰かけていた男がそう告げると、彼女たちを囲んでいた男たちが全員剣やナイフを構えた。
「……本当は、そっちのマリアっていう名の『偽聖女』だけを殺せばいいんだが、オレたちの顔を見られちまったからには、一緒に死んでもらうぜ?」
男は椅子から腰を上げ、茉理の前でしゃがみ込むと彼女の顎をクイっと上げる。
茉理は心の中で『あっ! このシチュエーション知ってる!』とちょっとだけテンションを上げる。
「……くっ、殺せ!」
茉理はこのセカイに来たら一度は言ってみたかったセリフ第一位をここぞとばかりに使うが、相手の反応は鈍い。
「……おぉう、……言われなくても殺すぞ?」
「……えぇ!? ……あれ?」
茉理と男のマヌケなやり取りに、マリアが顔を伏せて震え始めた。
ゴロツキたちはそんなか弱い彼女を見て、劣情を催し小さく笑いだす。
ただ、彼女は彼らの期待通り恐怖で震えていたのではなく、目の前で不発に終わった茉理の『くっころ』見せられ、必死で笑いを堪えていただけの話だった。
マリアも茉理と同じ現代人。
実は彼女もいつかそれを使おうと機会を窺っていただけに、茉理の失敗は彼女の腹筋に大きすぎるダメージを与えた。
茉理は隣の彼女に何が起きたのか全てを理解し、照れ隠しとばかりに肩をバシバシと叩いて諌めるのだが、それがマリアを更に追い詰める。
堪えきれなくなったマリアはついに大声で笑い始めた。
……つまり二人にはそれぐらいの余裕があった。
「……おいおい、嬢ちゃんたち、気でも触れたのか?」
ゴロツキのリーダーらしき男は困惑を隠せない声で立ち上がるが、次の瞬間、小屋の扉が吹っ飛んだ。
「なんだ!?」
飛び込んできたのは武器を持ったジークとベイビー。
その後ろにはダースと一郎の姿もある。
彼らはゴロツキが驚き固まったのを見逃さず、あっさりと叩き伏せてしまった。
さっそくダースとベイビーが尋問を始めていたが、彼らもプロとしてのプライドはあるらしく、一向に口を割ろうとしない。
しびれを切らしたベイビーは彼らを痛める手を提案するのだが、ダースとジークはそれに待ったをかける。しばらくその状態で膠着していた。
「……ちょっといいか?」
そんな中に満を持して一郎が割って入る。
尋問していたベイビーが場所を譲ると、一郎はいきなり詠唱を始めた。
「オンキリキリ――」
ゴロツキを含めた全員がポカンとする中、何か陰陽師っぽい印を次々と組んで最後に両手を彼らに向けて魔法を発動する。
「――『蟲毒の鎖』」
しばらくすると、ゴロツキたちが胸を押さえて地面を転がり悶え始めた。
「……て、てめぇ今俺たちに何をしたんだ?」
一郎は不敵な笑顔のままそれには答えず、一番近いところにいた男の胸元を乱暴にはだける。
そこにあったのは大きな蜘蛛のタトゥ。
妙にリアルで気持ち悪かった。
「……なんだこりゃ?」
驚くベイビーの声に、ゴロツキたちが目を見開く。
彼らからすれば仲間であるはずのベイビーすら知らないような何かをされた訳で、おどろおどろしいタトゥに本格的にビビり始めた。
一郎は次々とゴロツキたちの胸元を剥いでいき、全員の胸にそれがあることを確認してからようやく相好を崩す。
「これは北方諸国の一つヴァジュラ国に伝わる呪術でね。その蜘蛛は術者に背いた者に対して毒で罰を与えるんだ。……可愛いだろう?」
心底楽しそうにそう説明すると、ゴロツキの胸元に浮かぶ蜘蛛のタトゥを人差し指で愛おしそうに撫でる。
一郎のノリノリの演技にゴロツキたちは唇まで真っ青になってしまった。
ダースたちもドン引きだった。ジークとマリアも眉を顰める。
一人茉理だけはヴァジュラ国と聞いて、『トップの気分次第で殺されたり炭鉱送りになったりする物騒な国だっけ?』とそんなことを思い出していた。
「……わ、わかったから! ……何でも話すから! だから――」
「いやいや、別に君たちから聞きたいことはないんだ。私たちはすでに黒幕が誰か知っているからね。……それより、是非君たちにお願いしたいことがあるんだが、……いいかな?」
一郎の例の性格の悪い笑みに、茉理は小屋の温度が数度下がったような肌寒さを感じて腕をさする。
「……なんだ? あ……いや、……なんですか?」
リーダーは神妙な顔で言い直した。
どうやらこの場で一番ヤバい人間だと認識したらしい。
その認識の正しさに茉理は力強く頷く。
一郎は素直になったゴロツキリーダーの頭を優しく撫でると、懐から何かの小物を取り出した。
銀色に光るペンダントのように見える。
一郎はそれをリーダーに握らせた。
「これをアンタたちの依頼者に渡して欲しい。そしてこう言うんだ。――『聖女を名乗ったマリアとかいう女とその連れの男を殺してきた。これがその証拠だ』と。『おそらくこれは大事なものだと思う。あの女はそれを死ぬまでずっと握りしめていた』と。……それだけ伝えてくれればいい。お前たちの仕事が完了すれば、勝手に呪いは解けるから安心しろ」
真剣な表情の一郎にゴロツキたちは黙って頷いた。
「――よし、もう行け!」
彼の号令にゴロツキたちは慌てて小屋を飛び出していった。




