第3話 この、いわゆるお前のリーチに、ようあったなぁ
「……へ?」
茉理はマヌケな声を上げて周囲を見渡す。
「……何……が、起き……たの?」
そこにあるのは茶色く乾燥した大地とまばらな草原。背の高い木が申し訳程度。
少なくともここは一郎の部屋ではない。
何より彼女が知る日本の風景でもなかった。
「……ははっ、まっさか~」
茉理は取り合えず笑ってみる。
だが何がどうなる訳でもないし時間が解決してくれるような類のモノでもなさそうだった。
――ええっと、こういうのって何て言うんだっけ。
……あぁ、ステップだ。
馬を走らせる遊牧民がいて、地上戦艦がウロチョロする地域。
そういや昔、『ジャマイカあたりのステップで』っていう歌詞の歌謡曲があったことを思い出す。
子供ながらに「ジャマイカってステップ気候だったんだ!」なんて感心したり。
女性がマリリンモンローのように腰をフリフリしながら、ドヤ顔でつま先を立ててピンヒールのかかとを乾燥した大地にブッスブスぶっ刺す姿を想像してみたり。
そんな彼女がえっちらおっちら地平線の先にあるはずの海に向かって足を棒にしながら数十キロ歩き続けるシュールな光景を頭に浮かべて眉をひそめたものだ。
後日茉理はそれが根本から間違っていることを知って、あまりの恥ずかしさに身悶えたのだが。
茉理がそんな軽い現実逃避をしたところで、目の前の光景が再び一郎の部屋に戻るようなことはなかった。
「ホントのホントに、ここってばゴッドヘルなの?」
取り敢えず茉理は近くにいるはずの一郎を探すのだが――。
「……えっと、どちら様ですか?」
彼女のすぐ隣に立っていたのは一郎ではなく、ちょっとオシャレなメガネをかけた細身の美ダンディだった。今までの人生でこんな見上げるようなカッコいい知り合いはいなかった。
思わず見惚れながら彼の腕を掴んで揺すると、何やら考え込んでいた彼は「ハァ?」と面倒臭そうに向き直り、目を見開いた。怪訝な表情で彼女のことをじっくり見下ろし首を傾げる。その顔も中々渋みがあって素敵だと、茉理は心の中でこっそりグッジョブした。
「……お前、まさかとは思うが『トマト祭り』か?」
「違うわ! 青いトマトで鼻骨をへし折るぞ、ボケ!」
茉理は反射的に彼のボティに拳を叩き込んだ。
「これが荒ぶるトマトの一撃よ。……月のない夜は怯えて眠るがいいわ!」
グヘっという情けない声で大地に沈む美ダンディの頭を踏みつけ、茉理は高笑いする。今の一連の流れで完全に理解した。
――コイツは間違いなくあの一郎なのだと。
「……って言うか、センセってば何でまたそんなに顔が変わっちゃってるのよ!?」
「……オマエモナ」
頭を踏みつけられた状況でも彼は器用に返事をする。
その発想はなかったと、茉理は慌てて顔をペタペタ触るのだけれど、正直なところ違いが判らない。
だけど目線は随分と低いように感じられた。
何気なく胸を触ってみると、ちょっとだけ大きくなったかもしれない。
髪の毛を摘まんでみれば長くてきれいな金髪。いきなり吹いてきた風で髪がふわりと膨らんだ。
一郎は茉理の足を払い除けるとその場で胡坐をかいた。
「おそらくこのセカイに適応する為に姿形が変化したんだろうな。主人公たちもそうだから」
「……そうなの?」
「あぁそういうもんだ、なんたってこれはラノベだからな」
「また適当なコトをいうし」
茉理はがっくり項垂れる。
見下ろせば着ているモノもいかにもファンタジー世界の西洋風テンプレっぽい衣装。
彼女はふとあることを思い出してしゃがむと、額を突き合わせるようにして一郎の胸倉に掴みかかる。
「ねぇ! スーツは? ねぇって! 私のスーツは? アレ結構高かったんだよ! ねぇ! どこいったのよ? 編集長さんが『ようあったな、この、いわゆるお前のリーチに、ようあったなぁ』って褒めてくれたんだよ?」
「……それは大丈夫だ。別に無くなった訳じゃないから心配するな。現実世界に戻れば元通りだから」
一郎は立ち上がり砂埃をパッパと払うと、それが乾いた風に舞い上がった。
茉理は改めて周囲を見渡す。
もうここがゴッドヘルだというのは否応なく理解できた。……いや理解せざるを得ない。
だけどそのセカイのどのあたりなのかが分からない。
結局茉理は最初にして最大の疑問に立ち戻るのだが、一方の一郎は周囲を見渡しながら楽しそうに笑みを浮かべるのだ。
「……まずは街に行かないと話にならないな」
「いやいや、街とか今はそんなのどうでもいいからさ、早く戻る方法考えようよ?」
「だが、ここでじっとしていたら、それこそモンスターやら賊やらに襲われてしまうぞ? ……いいのか? なんたってここはあのゴッドヘルだからな」
――そう。治安の悪い殺伐としたセカイ、その名もゴッドヘル。
ヒャッハーさんたちが住んでいて、毎日がエキサイティングなサタデーナイト。
「もう! なんで、そんな頭の悪いセカイを作っちゃったのよ! ゴッドヘルってもう名前からして頭悪そうだし! バカじゃないの?」
茉理は苛立ち紛れに再びグーで一郎のボディをえぐる。
一郎は膝を付くのだが、すぐに何かに気付いたようにハッと顔を上げた。
「……そうか! 鎧ぐらいは買っておいた方がいいかも知れんな」
「ちーがーうーだーろー!」
茉理は彼の両頬を何度も平手打ちしながら、力の限りに叫んだ。
「あッ、そうだ! さっき『ログイン』って叫んで転移できたんだからさ、逆に『ログアウト』って叫んだら戻れるんじゃない? 何で私そんなコトに気付けなかったんだろ。ハハッ! よかったよかった」
少し冷静になった茉理がそのことに思い当たり、笑顔で両手を胸元に合わせる。
そして早く早くと足踏みしながら一郎を急かした。
「……ん? もしかしておしっこか? さっきコーラ飲んでたしな」
「違うわ! アンタは少しはデリカシーってものを覚えろ!」
茉理は叫びつつ何度も低い位置にある一郎の頭をバシバシ叩く。
しかし一郎は飛ばされ地面に転がったメガネを拾いながら、非情の一言を告げる。
「言っておくが俺は戻るつもりなんてサラサラないぞ? なんたって念願の取材旅行なんだからな。それにお前、さっき言ってただろう? ……『どうせなら私もご一緒させてもらおうかなぁ? だって、担当者なら一蓮托生……荷物持ちでも何でもしますから!』ってな」
一郎は甲高い声で茉理のモノマネをする。全然似ていなかった。
茉理はニヤニヤしている彼を睨みつけるが、どう考えても分が悪いのは自分だった。
彼女は素直に自分の失言を認めてガックリと膝を付く。
「…………うん、確かに言っちゃったね。……思いっきり言っちゃってたね」
「だろ? まぁ流石に俺も女子に荷物持ちをさせる趣味はないがな。だけどきちんと取材には付き合ってもらうぞ? ……男一人よりも男女二人でいた方が警戒されないだろうからな」
一郎は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべながら、腰砕けで地面にへたりこむ茉理の腕を持って起き上がらせる。そして彼女の頭を撫でてから「俺たちは一蓮托生なんだろ?」と耳元でささやき颯爽と歩き出す。
身長のせいで、あまり撫でられたり耳元でささやかれる経験のない茉理は、それだけで耳まで真っ赤だ。浮足立っている一郎の後ろ姿に何か憎まれ口の一つでも言ってやろうと意気込むのだが、うまく言葉が浮かばない。
そんな間にも距離はどんどん開いていく。
「……ねぇ、ちょっと待ってよ。センセってば」
こんなセカイに一人おいて行かれる訳にいかないと、茉理は半泣きになりながらいつもより狭い歩幅で一生懸命付いて行った。




