第9話 正解。あれが俺の用意した『よくしゃべるおっさん』だ
一旦ジークたちと別れた茉理と一郎は大通りをブラブラ広場へ向かって歩いていた。
「さて、それでは俺たちも聞き込みを始めるか――って実は仕込みは終わっているんだがな。一応いろんな人間に話を聞くが、物語に有益な話をしてくれるのはこの大通りではたった一人。……という訳でその一人を探しながら適当に時間を潰すぞ?」
そのあまりの緊張感の無さに茉理は開始早々項垂れる。
それでも作品内の描写でヨハンとチェリーの二人組は、頑張って聞き込みをしたことになっているのだろう。
ズルいというか、ちゃっかりしているというか。
そんな茉理の視線を感じた一郎は、それがどうしたとばかりに首を竦める。
「――そりゃ、ある程度ページ数は稼がないといけないし、な? ホラ、刑事ドラマとかでもあるだろう? そこそこの成果しか出ていないのに、カッコいい音楽をバックに必死で捜査員たちが聞き込みするシーンとか。実際、あれも尺稼ぎの一つだからな? すぐに手掛かりが見つかったら物語が盛り上がらなないだろ?」
一郎は身も蓋もないことを言う。
茉理だって編集者という『提供する立場』の人間だから、そういった裏事情は知っているつもりだ。
だけどそこそこの成果しか出ないって分かっているのに、今から聞き込みをしなきゃいけない彼女のテンションはみるみる下降していく。
それでも彼女はこれも仕事だと割り切り、人当たりのいい作り笑顔で一般人に最近の教会と聖女の話を聞いて回るのだった。
街の人々は表面上こそ教会に敵対心はないが、どこか皮肉気な対応に終始していた。
この事件のウラにある程度気付いている様子だが、それでも教会を敵に回したくないので適当な対応でお茶を濁す。全員がそんな感じだった。
茉理はそんな中で一人、話したくてウズウズしている男を発見する。
色々聞いて回っている茉理たちのことを気にしてチラチラと視線を寄越し、これ見よがしに彼らの前をウロウロする身なりのだらしない男。
「…………あの人だよね?」
「正解。あれが俺の用意した『よくしゃべるおっさん』だ。……またの名を自称業界関係者」
――あぁ、週刊誌などで、あることないことをペラペラ話すアレか。
そんなモノをさりげなく用意してくる一郎のセンスを小憎たらしく思いながら茉理は苦笑する。
「じゃあ、ちょっと裏道に入るぞ」
「……え? なんで?」
「業界関係者は薄暗いところが好きだからに決まっているだろ? ……常識で考えろ」
――また常識って言った!
それってただの一郎センセの偏見だよね?
茉理は心の中で文句を垂れながらも、否定まではせず黙って彼に付いて行った。
路地に入ると仕込み通り、例の男の方から話しかけてくる。
「アンタら、聖女のこと探ってるんだってな? 素人はやめておいた方がいいぜ」
いかにもな言動で雰囲気を醸し出す男に、流石自他ともに認める業界関係者はモノが違うと茉理は妙に納得する。
気を取り直した彼女が顎をしゃくって促すと、彼は訳知り顔で語り始めた。
「――そもそも『聖女』っつってもな、ウラのセカイじゃ結構有名な女でな。元娼婦で、結婚詐欺でも何でもござれのヤバイ女だ。……途轍もない美人で、その見た目だけでウラの世界を渡り歩いてきたような人間でよ、ウラのセカイの男ならみんな一度はアイツと関係していると考えて間違いない。……別に羨ましいとかそういうのじゃなくて、だな」
やがて彼も興が乗ってきたのか、立て板に水という言葉の通り、澱みなくスラスラと語り出す。
茉理は、余計な本音までダダ洩れの男に愛想を尽かしながらも、まだまだ続く話に笑顔で耳を傾けた。
「……まぁオレに言わせりゃ、どんな男でも自分の踏み台になるなら簡単に股を開くし、利害関係なくてもその気にさえなれば別に誰が相手でも抱かれるっていう、貞操観念のユルいイケ好かねぇアバズレさ。……そりゃ、もし向こうから抱いてくれって言って来たら、抱いてやらんでもないがな。……だが聞いた話では、極めつけにヤバイ男の情婦だって言うじゃねぇか。だから――」
男の話はまだまだ続いていたが、結局彼が言いたかったのは聖女がウラ社会の人間ということ、そしてワンチャンあれば一度でいいから聖女を抱いてみたい、だけどバックにいるヤバイ男が怖いからムリっぽい、そんな感じだった。
はてさて、こんなどうしようもない男の話を信じていいものかと茉理は唸る。
だが一郎が仕込んだ以上、イザークと聖女はウラ社会を通じて知り合ったということらしい。
そんなことを考えている茉理の前で、思う存分話すことが出来きた男は満足げに去っていった。
「もうこのあたりでの聞き込みは終了だからな。……次は当事者家族だ」
一郎は茉理を置いて再び歩き始める。
彼女は慌ててそれを追いかけた。
一郎は道中で被害者を出したロッサム家の説明を始める。
彼らは代々教主国で治安維持組織――いわゆる警察機構に携わる一族で、今回の一連の事件で教会に批判的な立場なのだという。
教会としては彼らを引き入れることが出来れば発言力を高めることが出来るし、もし断られたとしても当てつけになる。だからイザークに狙われたそうだ。
一郎と茉理が家を訪ねると、主人――ジェラルド=ロッサムは不在だったが奥方が玄関に現れた。
「私たちはヴィオール国の研究者で、今の教会の不正を調査研究しています。……亡くなられた息子さんの件で話を伺わせてもらえないでしょうか? よろしくお願いします」
一郎は直球で用件を伝えると丁寧に一礼した。茉理も同じように頭を下げる。
生気を失った顔で彼らを出迎えた奥方は、一瞬の困惑の後、その場に泣き崩れた。
「先ほどは申し訳ありませんでした」
謝る奥方に茉理と一郎は「いえいえ」と口を揃えて応対する。
二人は客人として応接間に通されて、丁寧にもてなされていた。
奥方は教会に切り込もうとする研究者の立場に安心したのか、息子を奪われた悔しさを二人にぶちまける。
ウラに教会がいるとわかっているのに手を出せない。
もし復讐できるならどんなことでもするのに、と。
「だけど夫は『今は頼むから堪えてくれ』との一点張りで……。それが悔しくて。彼の立場上、表立って動けないのも理解しています。でも私はあの子を奪われて何も出来ないのが悲しく、ただ教会が憎いとそれを口にするだけの無力な人間で――」
彼女は堰を切ったかのように話しながら再び大粒の涙を零す。
茉理も息子を奪われた母の言葉と表情に胸を痛め、瞳を揺らす。
彼女は子供はおろか結婚もしていないが、その心情は痛いほど理解できた。
茉理が彼女の涙ながらの話を親身になって耳を傾けていると、部屋に身なりの整った十代前半の少女が顔を出した。
「……あれ? ……お客様、ですか?」
少女はこの国では見慣れない白衣を纏った茉理たちを見て首を傾げる。
その表情には警戒感が見え隠れしていた。
奥方は彼女を呼び寄せて抱きしめる。
「……私は何があってもこの娘だけは守り通さないといけません! おそらく夫も娘を守る為に今は自重しているのでしょう。……それは分かるのです。分かるのですが、それでも、やはり私は、あの子の母なのです」
奥方は娘を胸に抱きながら、その言葉を絞り出す。
重苦しい沈黙の中、今まで会話は茉理に任せ、適当な相槌しか打っていなかった一郎が深呼吸した。
茉理は彼の口から飛び出す言葉に動揺しないよう身構える。
「もし、私たちが『教会を糾弾するので手を貸して欲しい』と言えば、どうしますか?」
一郎はゆっくりとした言い含めるかのような口調で彼女の意思を確かめた。
彼女は驚いたように目を見開くが、やがて目を細めて一郎を真っすぐに見つめる。
そして口を開く直前――。
「――はい、結構です。……それでは、またこちらに顔を出すことがあると思いますから、ご主人に今日私たちが来たことを伝えておいてもらえますか?」
一郎が彼女の意思表示を遮り、それだけを告げて立ち上がった。
「……分かりました。必ず夫に伝えておきますし、事前に連絡いただければ、夫婦でお待ち致しますからいつでもどうぞ」
奥方は先程までの泣き崩れた姿とは全く違う、毅然とした淑女の表情で茉理たちを見送った。
 




