第2話 調子に乗ってると山鉾でひき殺すぞ!?
茉理が担当する相川一郎(本名斎藤龍之介)は中二病をこじらせて、かれこれ三十年にもなろうかというお年頃である。残念ながら完治の見込みはない。
妄想が新たな妄想を産み、変に結合して別の巨大な妄想を作り上げる。
理屈を捏ね繰り回し、説得力を持たせる技術は超一級品。
そういう意味で彼が選んだ作家という道は天職だと言えた。
だが彼の評価は恐ろしいほど低い。
担当者である茉理がドン引きするほどに低い。
素人小説投稿系サイトで長らく底辺作家をしていたのだが、何かの間違いで一次二次とコンテストをスルスルと通過してしまい、気が付けばプロ作家になっていた。
ちなみに彼の作品を強く推したのは編集長だった。
茉理自身凄く尊敬している人なのだが、きっとそのときは何かとんでもないストレスでも抱えていたのだと思う。
大方の予想通り、彼の無駄に熱く泥臭いリアリティ志向の作風は世間に受け入れられることはなく、一郎は世間一般で言われるところの崖っぷち作家である。
ネットでもゴミ作家と呼ばれて久しい。
編集部にも『早く契約を打ち切った方が貴社の為ですよ』といった有難迷惑なメールに始まり、『先生のおかげで自分の作品に自信が持てました』や『クズ人間の僕はずっと下を向いて生きてきましたが、先生がそこにいてくれるだけで大丈夫だと思えてきました』なんていう一捻りした大喜利ファンレターが舞い込んでくるぐらい舐められまくっている。
一郎本人にそんな煽りをスルーする大人力などあろうはずも無く、SNSなどで全方位に喧嘩を売りまくっている。全く関係のない人たちまで巻き込み、更にたくさんの敵を生み出す悪循環。
酒でも飲みながらまとめサイトで楽しむ分には超一流のエンターテイナーと呼んでも差し支えないし、茉理一個人としてもその炎上っぷりにブラボーと喝采を上げることもやぶさかではない。
しかし担当編集者として言わせてもらえれば、たまったものではない訳で。
「ねぇ、早く原稿書いてよ。言っておくケド、今日は目途が立つまでは私帰らないからね! ……それにさっきアレで騙されたってことは、またゲームを購入しちゃったってコトだよね? 私、この前ちゃんとゲーム禁止令出していたよね?」
しかも買うのはいつも時間を取るRPGやシミュレーションばかり。
さくっと終わらすことも出来ず、やめろと言っても「もう少しでセーブポイントなんだから、せめてそこまでやらせてくれ」とか何とか言ってグズグズと続ける。
きっと子供の頃から母親にそんなことを言われては、同じような言い訳をしていたのだろう。それを何十年経った今でも繰り返しているのだ。
――全く成長してない。
茉理の視線に怒りが灯り始めたのを察知したのか、一郎は例によって何とか誤魔化そうと試みる。
「いや、ホラ……何かインスピレーションとかそういうのがあるだろ? そういう一瞬のひらめきから生み出された作品こそが人の目を引く訳だ。逆に言えば普通にいつも通りの生活をしていて何となく生みだされた凡百の作品など書くだけ無駄と言うもの」
――日常を丁寧に描いた名作など思いつくだけでたくさんあるし。
こうやって彼は敵を作っていくのだと、その様をまざまざと見せつけられ、茉理はこめかみに指をあてる。
ちなみに『逆に言えば』は一郎の口癖だ。何が逆なのか彼女にはサッパリ分からないが、無駄に説得力を持たせることに一役買っている。
「だが、ひらめくことは決して容易ではない。だから人は何かから影響を受けて、その欠片を見出し、それを絶対に放すまいと掌に握りしめるんだ。……その為に俺はゲームをする。ゲームには古今東西の叡智が詰まっている。ある意味人生そのものと言っても過言ではないだろう」
今の自分を何とか正当化出来ないものかと、彼は一生懸命芝居がかった身振り手振りで言葉を紡ぐ。
考えるよりも先に口を動かす。
その哀れな姿は止まった瞬間に死が待っている回遊魚の如く。
「つまりゲームとはあらゆるセカイを疑似体験し新たな自分を見つけるための旅。そう、言うならば『自分磨き』なんだ! ……分かるか? 今のままの俺じゃダメなんだ! 新しい自分で勝負しないと作家としてやっていけない。お前だってそう思うだろう? だから、その為にも新しい見識が必要になってくるんだ!」
言い訳がヒートアップしていく。まさしく一郎の真骨頂だ。
その一方で茉理はどんどん冷えていく。
――はて、自分磨きの啓発本の作者に絡むようなツイートをして、ファンのアラサー女性たちを敵に回してしまい大炎上したのは二週間前だったか。
そのときの苦情対応を思い出して茉理は眉間に皺を寄せる。
「俺は今の俺から脱皮しないといけない! どんな手を使ってでも! この貪欲さに担当編集者ならば『その意気やよし』となってしかるべきで――」
「……で、……あるか?」
長台詞のちょっとした息継ぎに差し込むようにして茉理が口を挟む。
その響きは絶対零度。
一郎は口をパクパクさせながら青ざめた。
ようやく彼の前にいる威圧感のある人間が誰かを思い出したらしい。
「あのさ、一郎センセってば、自分が崖っぷちだってことちゃんと分かってるの? ねぇ、この私が書けと言っているんだからさ。…………書けよ!」
茉理の本気を見て一郎が目を逸らして俯く。
入社三年目の二十五歳に凄まれて余程悔しいのか、歯を食いしばって口をもごもごしている。
「……ちくしょう! 『祇園祭』のくせに!」
「だから私は青井茉理だっての! 何度言ったら分かるのよ! ……あんまり調子に乗ってると山鉾でひき殺すぞ!?」
子供の頃はともかく、大人になってからは流石に名前いじりはなくなってきた。
それなのに一郎だけはしょっちゅういじってくるのだ。
――確かに中二はガキだが。
茉理自身、名前が青井茉理だけに子供の頃からイジられてきた。
音はまるまる京都三大祭にして千年以上の歴史を持つ葵祭だったので。
あの源氏物語でもこの祭を題材としたエピソードがあるぐらいだ。
毎年五月十五日に行われる上賀茂神社と下鴨神社で行われる。
斎王代がいて、童女と女官が付き従って、それはそれは華やかなお祭り。
大阪育ちの茉理もこのお祭りだけはどうも他人事に思えず、何度か見物に行ったものだ。
一方の祇園祭も同じく――ってまぁ、それはいいか。
茉理が京都のお祭りに思いを馳せつつ一郎に書け書けと脅していると、彼は先程のように「取材旅行に行きたい!」などと口走った訳だ。
茉理としてもこんなくだらない話をする為に来たのではない。
さっさと原稿を書かせ、編集部に持ち帰る。
それが彼女に課せられた仕事だった。
どうしたものかと思案し採用したのは、煽り耐性の無い一郎を思いっきり馬鹿にすることだった。
何か新しい展開が生まれるかもしれない。殻を破ってくれるかも知れないというちょっぴりの期待を持って。
……綺麗になったネイルに浮かれていたというのが実際のところだったが。
「あぁ、もう! ……本当に行くからな! ゴッドヘルに転移するからな! ホントのホントだからな!」
床にへたり込んだままの一郎はついにやぶれかぶれになって叫びだした。
彼は立ち上がりながら机の上に並べてあったレコーダーの一つを乱暴に握りしめる。
そして試合直後にマイクパフォーマンスをする満身創痍のプロレスラーのようによろよろとしながらレコーダーを口に当てた。
これは相当煮詰まっているなぁ、なんて同情しながらも、茉理はこの機会を逃すまいと更に半笑いで煽ってみる。
「はいはいどうぞどうぞ、ご自由に! お土産はペナントか木刀で、よろしく。……あとゴッドヘル饅頭とゴッドヘルせんべいも忘れないで……って、私も連れて行ってくれるんでしたっけ? いやぁホント楽しみだなぁ。こんなことならここに来る途中であの大人気情報誌『ゴッドヘルウォーカー』でも買っておけば良かったかなぁ?」
茉理はくりんくりんにカールした天然パーマの毛先をいじりながら、侮蔑の視線で半泣きになっている一郎に追い打ちをかける。
逃げ道を奪われた一郎は大きく深呼吸した。
少しの静寂の後、彼は口をゆっくり開く。
そして――
「――ログイン!」
そう高らかに叫んだ。
――うわぁ、マジでやりやがったコイツ! やべぇ、マジやべぇ!
茉理が苦笑交じりソファに凭れ掛かろうとした次の瞬間、彼女の周囲が真っ暗闇になった。
「……停電?」
彼女は呟くも一郎から返事はない。
復旧するのをのんびり待とうかと、テーブルの上に置いたコーラを手を伸ばして探すも一向に見つからない。それどころかテーブルそのものがなかった。
そして何故か彼女はソファに座ってすらいなかった。
「……どういうこと?」
呆然と立ちつくす茉理の眼前に緑色の数字とアルファベットの羅列が猛スピードで流れ始めた。
彼女は部屋内を見渡すが、目につくのは真っ黒なセカイに絶え間なく流れていくデジタル仕様の文字だけ。
縋る思いで一郎を探すも近くにはおらず、茉理は心細くて自分の身体を抱きしめる。
やがてトンネルを抜けるように視界が遠くの方から明るくなっていき、その眩しさに彼女は目を細めた。




