第15話 彼女たちではなく、もう一人が
なんと二か月も間が空いてしまいました。
帝国貴族ノルド=フィッシャーにとって帝都とは議会のシーズンや今回のような皇族の冠婚葬祭にぐらいにしか用はないというのが実際のところ。それでもここは彼らの心の拠り所。
栄えある都――首都アルマ。
その中では比較的足を運び、見知っているつもりだった商業区。
愛妻ナタリアはアレコレと物を欲しがる俗な女性ではないものの、だからこそサプライズで何かと用意してやりたくなるそんな魅力をもつ。体調を整えるため、半年は総本山にこもらなければいけないという制約ある身体を持つ初恋の女性。
後ろ髪ひかれる悲痛の面持ちで瞳に涙を浮かべ、夫ノルドと息子のラウムを抱擁し別離を受け入れる彼女を見つめるのは毎年のことだった。
そんな「頑張った妻」をねぎらってやるためにも彼は奮発するだけでなく、趣味のいいものを用意する必要があった。
――それなのに、これは一体どういうことか。
馬車が止まったのは一軒家。
看板などは特に見当たらない。
大通りから一本入った場所というのは、賑やかではないものの、むしろ喧騒を避けるという意味では落ち着いた立地。貴族相手の商売をするには相当に恵まれた物件といえる。
それなのに、ポツンと普遍的な一軒家が建っている。
人の目を惹くことを是とするこの区画においては異質そのもの。
『夜だから少し景色が違って見える』といった俗言とはまた違う。ノルド自身も何度もこのあたりを通ってきたはずなのに、今まで一度も目に止めたことのなかった空間。
夜更け、オーランドが用意した馬車によって案内されたのはそんな場所だった。
内部は豪華という言葉こそ当てはまらないものの実に趣味の良さが感じられて心地いい。さすが皇族といったところ。ノルドは感心しつつ飾られている品々に目を配る。
あらゆるものが落ち着いた配色で統一された廊下、そこを抜けた一室のドアの前。ここまで案内してきた従者が恭しく一礼した。
部屋内に向かって。
中からは見えているはずもない。溢れ出す絶対的な忠誠。
この先に『彼らの主』――皇子オーランドがいるのだと知れ、ノルドも身構える。腰を折ったまま微動だにしない従者の横を通り過ぎて、控えめな音量でノックした。
短くも長くもない中途半端な間があってから、ようやく明るい声が返ってくる。
ノルドはいまだ頭を下げたままの従者へ案内への謝意を込めて小さく手を上げ、呼吸を整えてから入室した。
思いもよらない笑顔のオーランド皇子の出迎えがあった。
正直罵声の一つや二つ、三つ四つぐらいまでは覚悟の内にあった。
彼の気安い歓迎のおかげか、彼も馬車内にてずっと口の中で転がし続けてきた謝罪の言葉がするりと飛び出す。
「本日はわざわざご来場いただきましたのに、おもてなしするどころか相次ぐ非礼、誠に申し訳ございませんでした」
本当に息子たちは何をしたかったのか。
もともと二人は何を考えているのかよくわからない部分があった。
教会、正確には彼らの祖父である教皇、そして長らく巫女をつとめていた妻がたびたび『姉』と表現する筆頭巫女の意向が強く働いているのは間違いない。
むろんノルドとて、嬉々として彼らの駒となる息子たちを叱責するつもりなど毛頭ない。
結果的に一族の繁栄と領政の安定に繋がるのであれば万事良好、この際誰が皇帝でも構わないというのが現実的なところだった。
このあたりも含めて息子と腹を割って話し合っておきたいところだが、まずは目の前のオーランドだろう。
今頃はファーマーにもダッドからの呼び出し――いわゆる『お叱り』があることだろう。
それを思うと不倶戴天の中にあっても同情を禁じえない。
随一の美姫と称えられた側妃を母にもつ社交界の星ダッドのことだ、おそらく今夜も主役として君臨するつもりだったはず。
実際、確かに彼には貴婦人たちを虜にしてしまえる『華』があった。
ナタリアやアメリアの腰に手を回した自慢のダンスと甘い声で彼女たちの心を掴み、彼女たちの口添えで西部領と教会の協力を取り付け、揚々と皇帝への道を駆け上がる……などと夢を見ていたはず。
その主役の座は、情け容赦なくあの『彼』が攫っていった訳だが。
「どうか頭を上げてくださいフィッシャー侯。全く気にしておりませんよ」
それに引き替えこちらの何と穏やかなこと。
ノルドは感謝の心を胸に正対する。
彼のつかみどころのない無温の声は相変わらずだったが、それでも僅かながらに喜びの響きが混じっているように感じるのは、気のせいではないはず。
「今夜の招待客の中に末弟ジョルジュが含まれていると掴んだのはずいぶん前のことです。エスコート相手がパスカル家の娘ではなかったのは少々驚きましたが、この展開まではある程度まで想定してありました」
なんと頼もしいことか。
感情を見せない鉄面皮はいつも同様だが、心なしかほころんでいるようにさえ映る。
確かに『教皇のお気に入り』であることが公然となっているジョルジュを、妻や子供たちがこれまた堂々と推してくるというのは想定しかるべき。
事前に息子や妻とのすり合わせてを欠いた己の不徳。
「侯爵が来られるまでの間、少し考え事をしておりまして、ね」
オーランドは呟き、身振りだけで目の前のソファを勧めた。ノルドは話に耳を傾けながら無言のまま着席する。間を置かずして、どこにいたのかメイドがすっと彼の手元に湯気のたつ紅茶を滑り込ませた。
「末弟ジョルジュのことです。実は彼にはずっと秘密とされ続けてきた特別な才能というのがありまして。……まぁ、紳士協定などという高尚なものではなく、単に教皇や巫女たちと構えるのは少々厄介だから見なかったことにしておこう、ここで軽く恩を売っておけば近しい距離を保っておけそうだ、といった色気のようなモノでして」
彼の口からポロポロこぼれだす言葉。
ノルドに語っているというよりは、まるで独り言のようで。
相槌を打つ間がうまく判別できず、適当に頷くことで続きを促しておく。
「しかし彼がこうやって表舞台に登場した以上はそれすらも『武器』にしてくるでしょうし。それならばこちらも義理固く口を噤むこともないかな? ……というお話しがあるのですが、聞いていただけますか?」
なんともまぁ。
単刀直入を是とする彼らしくない、要領の得ない言葉の羅列。
機嫌の良さがここまで舌がなめらかにさせているのか。
何にせよこれは彼なりの前置き。
少なくともオーランド陣営からすればジョルジュ陣営――教皇・巫女派閥に対して、今まではそれなりの配慮をしてきたのだぞ、と。
義理を果たした今、これからその秘密を解き放つ、と。
「貴方自身、教皇の娘婿。ならば教会の一部も同然ということで」
オーランドに似合わないおどけた口調。
広義でも決してノルドは教会関係者には含まれないはずだが、ここで訂正して話の腰を折るのもどうか。曖昧な笑みを貼り付けて首肯し、ノルドは先を促す。
「ラフィルは女神だけあって女性と親和性が高い。その中でもより素養の高い未婚女性だけが、いわゆる『秘奥』と呼ばれる力を行使できるとされています。彼女たちの総称が『巫女』。……ナタリア殿を妻に持つ貴方には今更の話でしたね?」
父である教皇の地位確保の為、妻たち双子は幼少期からその力を行使してきた。その無茶の反動のせいで今は何の力も持たない、むしろただ身体の弱いだけの女性となってしまい、巫女の座を追われた。
教皇も反省はしているようだが、後悔はしていない。
娘二人が見せ続けた奇跡の甲斐あって、彼は教皇位を射止めたのだ。
父への権力集中を望んだ妻たちも、自ら望んで使い捨ての駒となった。
そんな悲しい少女時代を過ごした健気な妻だからこそ、ノルドは幸せな余生を与えたいと願う。
「回復魔法などのいわゆる『教会魔法』を使用できる男性は多い。司祭や貴方のご子息をはじめとした親衛隊や高位の神職者がそうです。しかし彼らとて巫女と同等の奇跡を起こすことは不可能。教会組織の頂点である教皇ニコロ十七世ですら、です。……男性はラフィルの秘奥を行使できない。皆が知る大前提」
ノルドは頷く。
オーランドはそれを見届けてから、ふうっと息を吐く。
「……そもそもそれが間違いです」
「今でこそ教皇や周りの人間に言い含められて目に見える場所での行使は控えています。ですが子供の頃、総本山内で覚えたての秘奥を使用しているところを通りすがりの司祭たちによって何度も目撃されています」
誰が、とは聞かない。
この流れでジョルジュ以外の人間の話は出てこない。
「秘奥は秘奥だからこその秘奥……だと思っていたのですが」
ノルドから漏れ出てくるのはそんな語彙力が低下したような言葉。
巫女による奇跡の内容は隠されていない。
帝国のみならずセカイ各地でこれみよがしに行使され、その成果は多種多様な媒体によってつぶさに記録されてきた。
妻ナタリアも幼少期より父に連れられた布教先で何度も現地の人間に見せつけている。
ノルドたちフィッシャー一族の眼前でも。
だがその技術・詠句などは当然ながら門外不出。
決して総本山を出ることはない。
「そこで疑問が生まれます」
「……誰が彼に教えたのかですね?」
「……そして、そもそもなぜ彼に素養があったのか、いうのも」
行使するには誰かが教えなければいけない。
……誰か?
巫女だ。
そもそも巫女にしか伝えられていないのだから。
ノルドの思考をトレースしたのか、オーランドが「それ以外ありませんね」と呟いた。
「保護した際、教皇本人が後見人になったという理由から、ジョルジュが皇族の一員と判明しても構わず強引に総本山へ連れ去りました。……別に誰も困らないし、皇族の皆もむしろ父上の周りをうろつかれることの方が気に障るので渡りに船と追い払った」
その頃からチラホラと『教皇の稚児』なのでは、という憶測も飛び交っていた。
まだ若い彼が妻の病死後、後添いを娶らなかったことや、ハニートラップに全く反応しなかったことなどからの言いがかりの色が強い。
下賤な噂に足るだけの美少年であったこともそれに拍車をかけた。
「スラムで生活し、身も心も傷を負っていた十歳になるかならないかの少年を権力争いの渦の中になど放り込めないという教皇の言葉に皇帝が賛意を示したことで議会も納得しました。……そんなジョルジュ少年を甲斐甲斐しく世話したのが巫女たち」
「スラム。……確かにそのような話がありましたね」
すべてがすべて真実ではないはずの噂が散見されるが、ある日突然教皇が皇帝の前に薄汚い少年を連れてきた話は有名だ。その後、異議を唱えた議会の要請に応じて、正式な場で皇帝の血を引いているという証明が為される。当時侯爵位にあったノルドの父がそれに出席していた。
「保護理由の、たまたま見かけた路上生活少年に皇族特有の顔立ちがあったから云々という説明は、当時から無理があると批判されていましたが、外郭貧民区で死ぬ思いをしていたのはきちんとウラが取れています。ゴロツキたちに這いつくばって食べ物を乞い、時に鬱憤晴らしの虐待を受ける。少なくとも一年はそんな生活を続けていました」
中々にセンセーショナルな話にノルドは眉を顰める。
今夜優雅な笑みを浮かべていた末の皇子が、そんな壮絶な幼少期を送ってきたとは。
オーランドは重くなった空気を振り払うように「さて」と告げ、力強く息を吐き出した。
「そしてもう一つの件です」
なぜジョルジュ皇子に巫女同等の素養が見られたのかという話だ。
これこそノルドを呼び寄せられた理由なのだと言わんばかりに、オーランドはずいっと身を乗り出した。対するノルドも彼を迎え撃つように顔を近づける。
「結論から言います。彼に素養があったのは、彼の母が現役巫女だったからだと考えています。そしてその巫女は教皇の娘――」
「いや、それは……」
ノルドは首を激しく横に振って遮る。
不敬など関係ない。
妻の尊厳の方がはるかに大事。
今の発言では妻ナタリアか、ファーマーの妻アメリアのどちらかが、ジョルジュの母だということになってしまう。
彼らに嫁いだ時でさえ十代後半。その翌年に長男を産んだ。
もしラウムやリアムよりも五歳ほど上の彼を産もうものなら、それは彼女が何歳のときの子供だということになる。
しかも子供の父は先の皇帝。
そのときすでに齢六十を超えて。
想像を絶する。
オーランドは煩悶するノルドの前に手を出し、飛躍し始めた彼のその思考を押しとどめた。
「彼女たちではなく、もう一人が。……もう一人、娘がいるのではないか、と考えているのです」
彼はノルドが反応する間を与えずに続ける。
「仮に、本当に仮に、の話です。……かの『双珠』よりも年長で、彼女たちよりも更に強大な巫女としての力を有し、今なお人目につかない場所に籠っている教皇の娘がいたとします」
本当に仮に、の話だとノルドは自身をきちんと納得させてから耳を傾ける。
「……その娘はまだ少女の頃、父の願いに応えて祖父同然の年齢である皇帝と情を交わし、秘密裏に男児を産み落とします。その子を古代史研究の第一人者であるハインツ博士の家に預けて教会との接点を切りつつ、その子にその分野の人間とのつながりをもたせる。ハインツ一家全員が殺害された後も保護することなく、民衆の同情を得る為に路上生活を経験させる。頃合いを見て保護、皇帝の血筋だと認めさせる。そこから教会と巫女たちによる英才教育。それを終えると今度は軍部に放出。こちらでもつながりを作らせる。そして皇帝なき今、満を持して国の頂点にまで引き上げる、と」
もしそれを息子に本人の意志にかかわらず強要するような血も涙もない巫女がいたとしたら?
父の底なしの野望に共感し、ためらいなくやってのける悪鬼のような巫女が。
ノルドは呼吸をするのも忘れてじっとオーランドを見つめる。
その視線から逃げることもないオーランド。
その目はアリアリと冗談ではないと告げている。
――もし今の話の通り、ジョルジュ皇子がそんな巫女の血を引いていたら。
果たして自分たちに勝ち目はあるのだろうか。
「さてご存知の通り、巫女は婚姻できません。子供をつくることも許可されていません。これが古くからの教義だとのことですが、その規定が作られたのは数百年も前という昔の話。一体何を恐れてそのようになったのかは推測するのみ。……唯一の例外が『双珠』」
その通り。
彼女が父に連れられてやって来ただけの『巫女』だと知ったあの日、確かに彼の初恋は破れたはずだった。
その中での急転直下。
「認められたのは力を失ったからだ……と」
ノルドはため息交じりに答えた。
「はい、ヴァレンタイン姉妹はすでに『巫女たる資格なし』。ゆえに除名・還俗。婚姻も出産も好きにすればいい。教皇と教会執行部がそのように判断した、私たち皇族もそのように説明を受けた記憶があります。……これを踏まえた上で考えましょう」
一度オーランドは深く座り直し、目の前の冷えた紅茶を飲み干す。それに合わせてノルドも。実は喉がカラカラだった。
「御子息ラウム殿にジョルジュの持つような『巫女』の素養はあると思いますか?」
「まず無いかと」
ノルドは即答する。
父なのだ。
もし自分たちと違う、異質な能力の兆候が見られれば絶対に気付く。
「幼少期から巫女と一緒に居ましたよね? 療養する母の見舞いや祖父に会いに行くと理由をつけては総本山を出入りしていました。親衛隊任務には巫女警護の任も含まれている。巫女からすれば庇護者たる教皇の孫であり、かつての同僚の息子。息子や弟同然の間柄。衆目に晒されない、いわゆる総本山最奥での技術継承は十分可能。……ジョルジュ同様に」
そこまでの調べが届くとは。目の前のオーランドはどれほどの組織を持っているのか。
「それでもですか?」
オーランドが無表情のまま首を傾げる。
「はい。それでも、です」
少々気圧されたが、しっかりと応じる。
「……でしょうね」
オーランドは天井を仰いだ。
おそらく巫女の素養は遺伝する。
無秩序に増えるのを良しとしない教会によって巫女は総本山に集められ、戒律によって婚姻も出産も禁じられ、不満が出ないように本人と残された家族には豊かな暮らしが保証された。
そうやって素養をもつ人材は教会によって厳重に管理されてきた。
奇しくも酷使し続けてた末に力を失ってしまった『双珠』だけがその檻から抜け出せた訳で。それも次期教皇が内定していたセシル=ヴァレンタインの娘だからこそ許された特例中の特例。
「まとめます。……一つ、ジョルジュの母は現役巫女だった。二つ、巫女である彼女と皇帝を引き合わせられる存在――共犯者がいた。三つ、もし生まれてきた子が将来皇帝になれば『母の父』は絶大な力を持つこととなり、それを行使するには相応の覚悟と才覚が求められる」
オーランドは一本一本ゆっくりと指を立てながら、目に力を込めてノルドに語りかける。
共犯者という言葉はいかがなものかと思うが……。
「なるほど、たしかに。教皇と娘……ぐらいですね、そのような特殊な状況で当てはまってくるのは」
ノルドは認める。
現役巫女に皇帝の子を産ませるからには、それを武器に皇帝位を奪わせるというのは大前提。
通過点でしかない。
ゆくゆくはラフィル教によるセカイ統一か。
その過程で命を狙われることも覚悟の上。
それがニコロ十七世――セシル=ヴァレンタインの野望だったならば、間違いなく皇帝の母たらんと選ばれた巫女は、彼にとって特別な巫女。
最有力候補は自身の娘。
それも比類なき力を有し、今なお総本山から出ることのない最愛の娘。
まさに掌中の珠。
「教皇に巫女の力を持つ娘が存在するのはすでに『双珠』が証明しています。もう一人――姉がいても何ら不思議ではない。むしろ『双珠』はその巫女を隠すために作られた娘の可能性すらあります。……今夜候も思ったでしょう? ジョルジュと『双珠』は大変よく似ていると」
それはノルドも感じた。
下手すれば息子たちよりも似ていた。
造形だけではなく、三人揃った白銀の髪も拍車をかけた。
彼女たちの息子は金色なのに。
ジョルジュと彼に寄りかかり幸せそうに微笑む妻たちの、あの三人の絵はあまりに鮮烈だった。
その光景をあの場の全員に見せつける為だけに今夜のパーティが開かれたのだとすら。
そしてそこまで考えてから、ジョルジュは今なお記憶に残っている当時の若き司祭とも似ていることに思い至る。
「……孫を皇帝に据えて力を使うというのは歴史を紐解けばいくらでもあります。我らがストラディス一族も同様に」
オーランドは苦悶の表情で絞り出す。
仮定に仮定を重ねてきた推測でしかないものだったが、正鵠を射ていると思えた。
「……それとなく奥方に姉がいなかったか探って頂きたく思います」
オーランドは大きく息を吐いて力なく微笑んだ。
ノルドは是とも非とも言わず、今一度大きく息を吸って吐く。
胸に秘めておこうと決意したことがあった。
しかしながら、こんな話の展開になってしまった以上、伝えておいた方がいいかも知れないと感じ、震える唇を開く開く。
「――実は私も今夜のパーティで疑問に感じていたことがあります」
「……どうされました?」
ノルドの覚悟を決めた顔にオーランドの眉間にしわが寄る。
「今夜私の元にやってきたナタリアは一体誰だったのか、という話です」
オーランドは何処かで扉が開くのを感じていた。
そこには見てはならぬものがあるのではと一瞬目をつむる。
本当は耳を閉じたいぐらいだった。
オーランドが止める間もなくノルドは続ける。
「姿かたちは妻ナタリアそのものでした。最初はいたずら好きのアメリアに乗せられて入れ替わったのかと思いました。息子たちには何度も驚かされましたし、指南したのは妻たちだと聞いておりましたので。ですが、どうもアメリアでもない。……当然ナタリアとも違う」
オーランドは知れず肘辺りをさする。
ノルドは唾を飲み込み告げた。
「……オーランド殿下。……今夜私の手を取って微笑み、ナタリアを演じていたあの『彼女』は一体何者だったのでしょう?」
二人はそのまましばらくじっと固まっていた。
オーランドの仮定の話を聞きながら、実はノルドには一人だけ、たった一人だけ、全てに当てはまるであろう存在に心当たりがあった。
老いた皇帝と情を交わしてジョルジュを産み落とした比類なき力を持つ巫女であり。
教皇の娘であり。
今夜、ナタリアに扮していた。
……そんな存在に。
しかし決して口には出さない。
その名を出したが最後、とんでもないことに巻き込まれてしまいそうで。
まだその覚悟が出来ず、口を噤む。
上目遣いで正面のオーランドを窺えば、彼もどこか所在なさげに項垂れていた。
あちらもすでに同じ存在に行きついていたのだろう。
震える唇が、まさか三つ子、と微かに動いた気がした。
二人して何度か溜め息を吐いた後――。
「一度ご子息たちとお話しする場を設けてもらえませんか?」
オーランドが力なく呟いた。
「候補から降りることも視野に入れていると、必ずそう伝えてください」
「――それは!?」
ノルドは腰を浮かせる。
「私が継承争いをしている理由は単純です。自分や家族、妻の親族、母の親族を今後の帝国で不自由させたくないというものです。それは貴方だってそうでしょう? 自領の安寧が叶えば皇帝は私に拘らない、誰でも良かったはず」
その通り。
ここまで腹を割ってくれたのだ。だから彼も本音で返す意味で頷く。
そもそもオーランドを推していたのは祖父や父の代からのしがらみ。
親近感こそあるが、彼に対する忠誠心はそこまで。
「このまま波乱なく順当にアーレンスあたりに持っていかれて権力構造から弾かれるよりはマシというモノでしょう」
そんな風に嘯いてはいるが。
表情は本音を語っていた。
――彼女を敵に回すのはゴメンだ。
と。
サボっていたつもりはないのですが、更新が遅れてしまいました。
生活環境が激変したのと、書き直しているのと。
ただ、文字数でいえば2.5倍ですよ。
……はい、言い訳です。




