第1話 取り合えず先輩に呪いをかけておきました
さて、ここから2章開始です。
「いよぉ! 青井ちゃん!」
茉理の所属している編集部は物静かな人間が多い中、一人だけ無駄にテンションの高い先輩がいる。
「……はいはい、何ですか、達川先輩?」
日焼けしていてパッと見ではチャラい印象を受けるが、中身は文学大好き青年だ。感動モノでボロボロ涙を零す純粋さも残している。
ただ、ちょっとばかり天然で無神経な部分があって、茉理を含めた後輩たちから愛されてはいるものの尊敬はされていない。
ちなみに彼の日焼けはスポーツ焼けではなく、いわゆる『ゲット焼け』とでも言えばいいのだろうか。
「今回の一郎先生の原稿、評判良いらしいね?」
「え? ……そうなんですか!?」
茉理は先輩の胸倉を掴んでネクタイをぐいぐい締め上げる。
自分よりも高い身長の茉理に胸倉を掴まれ、三白眼で見下ろされた彼は、カツアゲに遭った高校生の頃を思い出して鳥肌が立たせたのだが、そんなコトを茉理が知る由もない。
「……へ、編集長もご満悦だったらしいよ。ようやく一郎先生も殻を破ってくれたんじゃないかって、そんな話をしていたし」
茉理が知っている限り、編集長は相当な一郎贔屓だ。
無名であまり評判のよろしくなかった彼を鶴の一声で掬いあげたのは編集部でも有名な話である。
「新キャラのダンディなイケメン研究者が女性人気になりそうなんだとか。……ちょっと謎めいて校閲メンバーの中でも評判なんだってさ」
茉理はニコニコ笑顔から一転、表情を曇らせる。
――そう、勝手にヨハンをトリックスターのイケメン設定にしていたのだ。
実際は体力皆無の性悪ヒョロヒョロメガネのクセに!
鎧が重くてヒイヒイ言っていたあたりのくだりなど、完全に無かったことになっていて、チェリー共々初めからファッショナブルな白衣での登場となっていた。
「それに助手の貧乳毒舌娘もいい味出てるって――」
「貧乳言うな!」
達川の言葉は茉理のボディブローによって強制的に終了させられる。
何が何だか分からないうちに彼女の恨みを買ってしまった達川が床に膝を付いて悶絶していた。
茉理の感性で言うなれば、チェリーは決して貧乳などではなかった。
彼女は腰に手を当てて傲然と足元で崩れている先輩である達川を見下ろす。
――確かにアンタは悪くない。でも、もしあれが貧乳なら、今の私は……。
「あまりにも、あまりにも惨めじゃないですかぁ!」
「……何が?」
茉理の心からの叫びに腹を押さえたままの達川が呆けた声で問う。
部屋にいた数人も何事かと、パーテーションの陰から彼らの様子を覗き込んでいた。
「そもそもみんな二次元に毒され過ぎなんですよ! 現実にあんなバカでかい胸の女なんていませんって!」
茉理は編集部の壁にデカデカと張り出されている人気ラノベのポスターを指差した。
そこにはとんでもない大きさの胸を持つピンク色の髪をしたヒロインが前かがみになっていた。
極めて布地の小さい水着を纏い、暑さで溶けそうになっている棒アイスを咥えている。
そしてクリクリの目で見上げるようなアングル。
――アレってようするにアレをアレしている感じに見えるようにしているんだよね? ……なんて卑猥な!
それなりに歳を取りながらも未だに乙女街道を全速力で直進し続けている茉理はいつもこんなポスターを見るたび、苦々しく思っていた。
出版社のドル箱作品じゃなかったら、思いっきり破いているところだ。
「……お、おう。……なんか、よく分からねぇけどさ、ゴメンな? ……そ、そのさ、売れ方によっては一郎先生の崖っぷちは回避されそうだぞっていう話だけだったんだ。本当にそれだけ……」
ちょっと泣きそうな顔で自分の席に戻っていった達川の後ろ姿が切ない。
八つ当たりしたことが申し訳なく、今度お詫びに缶コーヒーでも奢ろうと茉理は少しばかり反省した。
茉理は午後の予定をスマホで確認しながら、机を適当に片付けていたが、不意にクリアファイルが目に入った。
昨日茉理の下に届いたモノだ。
今回の一郎の作品に入る予定の挿絵候補のコピーが数枚挟まれている。
もう何度目になるだろうか、茉理は相好を崩しながら紙束を取り出すと、何枚か捲って目当ての一枚を一番上に持ってくる。
そこに描かれているのは凛々しい金髪の少女。
彼女の美貌を引き立たせる、デザインセンス抜群の白衣。
チェリーが最強魔法『三種複合魔法』を放つシーンだった。
茉理はうっとりとそれを眺め、そして壁に張り出されていた例のポスターと見比べる。
――チェリーだってあのヒロインには負けてないよね? プロポーションとかじゃなくて純粋に女性キャラとして。これだけ可愛い訳だし。
茉理とチェリーは別人なのだが、ある意味究極のひいき目というか何というか、彼女はニマニマとイラストを眺める。
「……さすが、邪魔烏賊先生。いつもながらのいい仕事、本当にありがとうございます」
茉理はコピーに向けて何度目かの合掌をする。
作画を担当している邪魔烏賊はネットの世界で神と呼ばれ、絶大な人気を誇る絵師だ。
描かれる美少女はどれも国宝級だと賞賛されている。
茉理としても一郎の作品ごときにはもったいないと思っていたが、それとこれとは話が別というもの。
――負けてないどころか! どう考えても私の圧勝じゃない!
茉理がチェリーの姿を目に焼き付けていると、背中をトントンと叩かれた。
そこにいたのは先程の達川。
先程の痛みは消え去ったのか弾けるような笑顔だった。
「アレレ? 青井ちゃんってば、もしかしてそういう趣味だったの?」
茉理が椅子ごと振り返ると、彼が妙な納得顔で何度も頷いている。
「イヤ~、実はずっと青井ちゃんってば男っ気ないなぁって思ってたんだよね。……そういう事だったんだな?」
「……何の話ですか?」
男っ気がないのは大きなお世話だと、茉理は達川を睨みつける。
「いや~、まさか青井ちゃんも『二次専』だったとはね。しかも百合。おまけにロリ!」
「…………はぁ?」
「いや、結構この業界には多いからさ、別に気にすることないって。そういう俺っちも隠していたけど初恋は二次元だったし。……今もどちらかといえば二次元6、三次元4ぐらいの割合かな?」
達川は白い歯を見せ、親指をグッと立てる。
彼の性癖など全く興味はなかったが、ようやく話の筋が読めた茉理は、あの哀愁漂う背中に何故追い打ちを掛けなかったのかと今更ながらに後悔する。
――先輩が担当している作家先生からゲームのレベル上げだったり街に出てモンスターをゲットするのを頼まれたりする理由が分かった。……近くにいたり、話しかけられたりしたらイラっとするからだ!
茉理はそう確信した。
彼女は無言で立ち上がると、一郎仕込みの中二病満載のポーズをとる。
「……え? 何? それはいわゆる陰陽師的なナニか?」
彼女はそれを無視して適当な言葉をごにょごにょと口にし、最後に「……はぁ!」っと何かのアニメのように叫んだ。
「……取り合えず先輩に呪いをかけておきました。……まぁネットで仕入れたヤツですから、信じるかどうかは先輩次第ですけれど」
「えっ、ナニナニ? ちなみにどんな呪いなの?」
茉理の素っ気ない言葉に達川はニヤニヤしながら尋ねてくる。
全く信じていない様子の彼に、彼女は思わせぶりな笑顔で返した。
「……この炎天下の中、どれだけ街を徘徊してもレアな可愛いモンスターをゲット出来ない呪いです」
「……えッ? ……ちょ、……えッ!? …………マジ?」
顔面蒼白になった達川は目に見えて焦りだす。手足をせわしなく動かすサマは下手くそな人形劇だろうか。茉理は噴き出したくなるのを深呼吸で抑え込む。
「……それじゃ、一郎センセの様子を見てきます!」
堪え切れなくなった茉理は達川に顔を見られないよう、肩を震わせ俯いたまま外回りの準備を完了させ、逃げるように部屋を飛び出した。
「……ちょっと! 青井ちゃん! 呪いってどう解いたらいいの? ねぇ!」
そんな達川の泣き声交じりの声に背中を押され、茉理はついに盛大に笑い声を上げ、脇目も振らず廊下を突っ走る。
すれ違う人たちが変な人間を見るような目で見てきたが全く気にならなかった。
そうして茉理はいつもより軽い足取りで一郎のマンションを目指した。




