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第12話  はい。貴方のナタリアですよ


「……ナタリア……なのか?」

 

 侯爵ノルド=フィッシャーは無表情のまま呟いていた。

 周囲はそれを憮然(ぶぜん)と取るか、呆然と取るか悩む。

 どちらにしろ数ヵ月ぶりに再会する最愛の妻を前にした喜色満面の夫の顔とは思えず、彼に(はべ)っていた一門貴族たちを少なからず動揺させる。

 身体を労わるという意味で『ここに来ても大丈夫なのか』という風に聞こえなくもなかったが、絶対にそれだけではないだろうと本能的に悟らせる響きの問いかけ。

 彼らの胸に宿った黒い雫の波紋が周囲に拡がっていき、会場の細部にまで不穏な空気を漂わせる。 

 それを知ってか知らずか、当のナタリアはラウムの腕に寄り添いながら悠々と階段を下りてきた。

 そして微笑を浮かべたまま告げる。

 

「はい。貴方のナタリアですよ」


 いつもの繊細で(はかな)げな彼の妻らしからぬ艶っぽい物言いにノルドは息を呑んだ。



 ノルドは少年時代、世に聞く一目惚れというのがどのようなものか身をもって知った。

 相手は教会関係者の娘。

 父と一緒にフィッシャー家が治める地へとやってきた。

 ノルドは挨拶という(てい)をとった御機嫌(うかが)いとして、当時侯爵だった祖父に連れられ教会を訪れた。

 理知的で鋭い眼光を(たた)え、カリスマ性で周辺貴族を圧倒してきた憧れの祖父が、帝国を支える教会の人間とはいえ年若い優男ごときに対して低く――本当に低く頭を下げていたその姿に衝撃を受けたことを覚えている。

 だが、結局それも直後にはその隣で伏し目がちに俯く美少女に意識を持っていかれることになるのだが……。

 祖父が終始丁寧に接していた彼は、教会総本山から帝国西部地区を統括すべく赴任してきた若き大司祭セシル=ヴァレンタイン。

 ノルドを魅了した少女は彼の娘ナタリア。

 それを教えて貰ったのは帰りの馬車内でのこと。

 自己紹介はされていたはずだが、ノルドは鮮烈すぎる出逢いにその間の記憶を失っていた。

 祖父は苦笑いしつつ彼の頭を何度か撫でると一つの提案をした。

 可愛い孫の青い恋心を知ったのもあるだろう。

 領地領民そして一族の繁栄を考えた結果、教会という強大で唯一無二の存在感を誇る組織で確実に上り詰めるであろう才覚を見せていた大司祭の懐に潜り込む手段に最適と踏んだのが第一なのは言うまでもない。

 ノルドはそれを十分理解した上で大きく頷き、それに乗った。

 こうして彼は祖父から発破をかけられる形から彼女――ナタリア=ヴァレンタインとの接触を開始することとなった。


 

 ナタリアのことを好きになったきっかけは言うまでもなくその美貌によるものだったが、彼女の本当の魅力はそれすら霞ませる知性だとノルドは感じた。 

 物静かで人見知り――というよりも(わずら)わしい(しがらみ)などをトコトン嫌う人間嫌いな一面があったが、不思議とノルドを拒んだことは一度もなかった。

 中庭の四阿(あずまや)で本を読んでいても、(おとな)って言葉をかければ必ず顔を上げ、目を見て返事する。

 ノルド自身も(やかま)しい人間が嫌いで静かにしているのが好きなタイプだったから、互いに適切な距離感で気を遣わずに済む似た者同士だったというのも大きかったかもしれない。

 日ごと会話を重ねていけば笑顔も見せてくれるようになり、徐々に彼女なりの砕けた表現も増える。

 気を抜いた訳でもないだろうが、不遜にも領主や貴族出身の教会関係者に対してシニカルな物言いで吐き捨てる辛辣(しんらつ)な一面を見せたこともあった。

 貴族子弟であり未来の領主位が約束されているノルドにとって、顔を(しか)めたくなるような話も多かったが、それでも彼女の弁を支える知識の豊富さには心酔していたし、何より内面を見せてくれることに密かな喜びを見出していた。

 ナタリアの言葉をより深く理解しようとさらに本を読み込み、祖父や父を支える周囲の者たちから教えを乞うて彼女に向う日々。 

 ノルドの中で、彼女の存在が更に大きくなったのは当然だった。


 

 しばらく仲を維持してから街での買い物や図書館などに誘うつもりだったのだが、そのプランはまもなく崩壊することとなる。

 彼女の父セシル=ヴァレンタインが居を移すのに伴い、ナタリアも彼の領地を離れたからだ。

 そもそも大司祭は帝国西方の教会を統括する立場としての赴任してきた。

 ()()()ばかりにいるのを問題視されるのは瞭然(りょうぜん)

 バランスを考えれば()()()ともきちんとした繋がりを持たなくてはいけなかった。

 だから半年はこちらで。もう半年はあちらで。

 これは最初から決められていたこと。

 少年少女は半年後の再会を約束して別離を受け入れた。



 とはいえ、若いノルドにとってナタリアのいない日々は不満の連続だった。

 どうしても彼女のことが気になって勉学に身が入らない。

 それを見た彼の祖父があちらの領に住んでいる伝手を紹介する。

 数日後そこからの報告書が上がってきたので、ノルドそれを食い入るように読み込み……くしゃりとそれを丸めて壁に投げ捨てた。


『ちくしょう! ユーリめ!』 


 ファーマー家の未来の跡取り――ユーリ=ファーマー。

 幼少期より、両親祖父母を始めとした一族の者たちから『奴だけには絶対に負けてはならぬ』と言われ続けてきた不倶戴天の相手だった。

 その彼が大司祭ヴァレンタインの娘と親密に触れ合い、遠乗りしていたとのことだった。 



 表情を全く出さず理知的であることを美徳と考えるフィッシャー家。

 そんな彼らからすれば安易に感情を発露させるファーマー家は享楽的で脳天気に映った。

 人はそれを快活などと呼ぶこともあるだろうが知ったことではない。

 当然あちらからは根暗だのなんだの言われていることも承知。

 それぞれの一族で純粋培養されてきた少年二人はまさに水と油だった。

 一族のように相手のことをそこまで憎いと思っていなかったノルドだが、ここにきてそうでもなくなった。


『ナタリアは私のモノだ!』


 彼が一度も誘うことの出来なかったデートを、いとも簡単に。

 ものの一月程度で。

 羨ましい、という言葉を必死で飲み込みながら深呼吸する。

 彼女は大声で楽しそうに笑っていた、と報告書であった。

 ……こちらにいるときは本を手放さず、いつも俯き加減で穏やかな笑みを浮かべていた彼女が。


『……あのナタリアが、遠乗りだって?』


 まずその姿が想像できなかった。

 見間違いを疑ったが、祖父の紹介した人間がそんな単純なミスをするとも思えない。

 ならば答えは自ずと導かれる。

 ……彼女は無理をしているのだ。

  

『そうだな、ファーマー家を無下には出来まい。私と一緒にいたのだろう、不公平だとアイツから強く詰められれば平民の彼女は……』

 

 彼は窓の外を見つめ、河を越えた先にいるであろう彼女の身を案じる。

 

 ――ナタリアの大きな魅力である知識も、そこに潜む毒も。ファーマー家のアイツには到底理解しえないモノ。


 きっと彼女の意向など一切無視して強引に遠乗りに連れ出した。


『……可哀想に』


 ノルドに出来ることと言えば彼女がこちらに戻ってきたとき、本当に望んでいる静かな環境で迎えてやることぐらい――。

 

「――さぁ、踊りましょう?」


 不躾(ぶしつけ)に手を取られてノルドはハッと顔を上げた。

 目の前で出会ったあの頃から二十年あまり歳を経て、さらに美しさに磨きを掛けたナタリアが首を傾げて彼を見つめている。

 ノルドは反射的に彼女の腰に手を遣り、引き寄せた。

 会場に安堵の空気が広がる。

 それを待っていたかのように音楽が鳴り始めた。



 三か月前、体調を整える為に教会総本山へ向かったノルド最愛の妻がこうして目の前にいる。

 今夜はこの帝国の主の座を争っている皇族が二人も登場する場だ。

 その為に急遽総本山から舞い戻った彼女に真っ先に伝えるべきは――。


「おかえり、ナタリア」


 ノルドは彼女の目を見つめそう告げる。

 第一声はこの言葉だっただろう、と彼は自戒(じかい)を込めて苦笑する。

 ナタリアは一瞬目を見張ると、やがてとろけるような笑みを浮かべ、彼の耳元に口を寄せて囁く。


「はい、ただいま」


 妻のそんな愛おしい姿を見てもなお、ノルドはわずかな違和感を引きずっていた。

 視界の隅では息子のラウムがファーマー家のリアムとハイタッチしている。

 両家の領袖となるべき者の姿とは思えない、本当に仲のいい二人。

 双子の母ナタリアとアメリアにそっくりな二人。

 従兄弟同士であるにも関わらず、本当に双子のようで今でも見分けるのは親であっても難しい。

 子供頃はよくイタズラで入れ替わって、気付かれるまで数か月ずっとそのままということもあった。

 そんなことを思い出し、ふと我に返る。


 ――まさか!?

 今回はそういう趣向だったりするのか!?


 妻ナタリアはともかく、明るく人を驚かすのが大好きなアメリアならば。

 こうやって教皇の娘である双子二人が揃うのは両家の結婚式以来。

 そんな特別な日にとっておきのサプライズ。

 彼女ならばそんな悪ノリを思いついても何ら不思議はない。

 チラリとあちらを睨むがユーリ=ファーマーの手を取り朗らかな笑顔でステップを踏んでいるのはどう見てもアメリア。

 では、やはり自分の腕の中にすっぽり収まっている妻は……と見れば。


 ――アメリアのようにも見えるし、ナタリアのようにも見える。……全く別の人間のようにも。


 ノルドは眉間に皴を寄せつつ今回の仕掛け人の一人である息子ラウムを睨むが、彼は笑顔で手を振り返してくるだけだった。

 



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