第2話 すまん、ちょっと待たせてしまったな
一郎は文字を打ち込みながらそれとなく後ろを気にしていた。背後のソファには彼の担当編集者茉理。両手にあるコーラの栓はいまだ開かないまま、中空をぼんやりと見つめている。
いつものように早くあちらに行こうと一郎を急かしたりすることもなく。
ただただじっとしている。
物思い耽る表情で。
――何かあったのだろうな。
一郎はそれを察するが、事情を本人に尋ねるのも何か違うと考えた。
――そこまで親しい訳でないし。
ましてプライベートのことなら踏み込むべきではない。
もし一郎の本関連のことで悩みがあるのであれば、茉理は口に出すのもイヤな不都合な事態が起きていたとしても躊躇いなく彼に告げただろう。彼女は編集者として、担当作者や職務に真正面から向き合う。
一郎はそこに絶対の信頼を置いていた。
決して口に出すことはしないが。
だからこうやって彼女が鬱屈として何も告げず、悶々と考え事をしているのはそれ以外のこと。
一郎に出来るのはせいぜい彼女が浮上するきっかけを作ることぐらい。
取り合えずその変化の兆しを決して見逃すまいと、背中に全神経を集中させながらひたすらプロットを打ち込んでいた。
しばらくしてプシュっと炭酸の抜けるイイ音がした。
待ち構えていた一郎はそれに合わせて椅子をくるりと回す。茉理の表情はいまだ浮かないものの、視線はきちんと一郎を捉えた。
彼は全然気にしていないフリで素っ気なく口を開く。
「すまん、ちょっと待たせてしまったな。……そろそろあっちに行くか?」
その言葉に茉理は何かを振り払うように「ふう」っと息を吐き切ると、笑みを浮かべて大きく頷いた。
「じゃあ、カナンで思いっきり食べますか!」
どうやらあちらで爆食いして気晴らしすることにしたらしい。茉理らしくていいのだが、一郎には告げなければいけないことがある。
「それもいいなと言いたいところだが、実は今回は帝都アルマでの話を予定している」
前回皇帝の葬儀の途中で抜けてきた裏路地。
そこが今回のログイン地点だ。
「……アレ、そうなの?」
「あぁ今回はセシルがメインだからな」
拍子抜けしたようだが、それでも気落ちしているようには見えなかった。
一郎も一応のフォローしておく。
「まぁ、帝都にも美味しいものはたくさんあるだろうし、ちょっといい宿を用意してあるから物語が動き出すまでは観光でもしながらゆっくりしよう」
一郎としては茉理にかなりの譲歩をするつもりだ。『ちょっといい宿』なんて言ったが、実際用意しているのはロイヤルスイート。寝室は二部屋以上あるし、密談に適した応接間的な場所だってある。
いわゆる超一流ホテルのサイトを覗いて部屋のデザインなんかの下調べを済ませてあった。
ちょっとしたご褒美も兼ねての贅沢旅行。
そのときの茉理が驚き喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。
「ジークたちは?」
「アイツらも物語に出るには出るが……。マリアの出番機会の方が多いな。ジークに至っては接触なく『一方その頃』枠での出場になる」
他地域で単独行動をしているとアンテロープからの接触がある。そして彼は次第にそちらと親密になっていくのだ。
マリアは彼女なりに考えて、帝都にあるラフィル教総本山で修業する。そこでセシルからの接触があり、ヴィオール研究者二人組とも合流。無事トラブルに巻き込まれる、と。
だけどその辺りはまだ茉理には秘密だ。
「ジークは次巻できっちりメインを張るから心配するな」
「……別に心配という訳じゃないけど」
今シーズンはジークとセシルが交互にメインを張る展開になる。
セシルが皇帝へと上り詰める一方で、ジークは本人の意図しないところで反帝国包囲網の面々と関わっていく。
そしてヒロインであるマリアはその間で右往左往させられる、と。
「――今回はずっと温め続けてきた双子を出したいと考えているんだが」
リラックスしてコーラを飲み始めた茉理を見て、一郎は今後の展望を話すことにした。
これに関してはあちらに行ってから話そうと考えていたのだが、一口飲んですぐあちら行きというのは少し可哀想だと一郎なりの親心のようなものだ。
そんな風に一郎が気を回しながら切り出せば、茉理がいつものように前のめりになって食いついてくる。
「あ、例の双子騎士よね? 新キャラは大歓迎かな。……どんな戦い方をするの? 双子だしスカイラ〇ハリ〇ーンみたいにアクロバティックな感じで?」
一郎は懐かしい必殺技に「……そっちかぁ」と顔をほころばせた。
「まぁ、あの二人を彷彿とさせる空中戦という訳にはいかないが、双子お約束の『分身系必殺技』は用意してある。……まだ戦わないがな」
ラスボスでこそないが中ボス格の二人。
彼らが満を持して剣を持つのはもっと物語が佳境に入ってから。
そのときは今よりも一回り強くなったジークでさえ苦境に追い込まれる強さを見せてくれるはず。
まずは政治的案件での見せ場から。
「二人はそれぞれ有力貴族の次期トップでな、しかもややこしいことにそれぞれの家が別の皇子を推している」
「……ほーん?」
「だけど双子は『とある事情』があって断固たるセシル推しを決め込んでいる訳だ。それこそ二人が幼い頃からな。事情はおいおい」
詳しい話をしたくない一郎は適当なところで畳み始める。それでも、もう一つ大事なことを話さなければならないと身をかがめて声をひそめた。
「……もう一つネタバレ覚悟でいえば、今回双子は二組登場する。……これこそ『DDDD』って物語の最大のキモでな」
思わせぶりな一郎の言葉に茉理はきょとんとした顔で首を傾げた。
伏線をばら撒くことを趣味とする一郎はこの反応だけで得意満面。
「それも向こうに行ってからの楽しみ、と」
「何よ、いきなり思わせぶりなことを言っておいて、このケチ!」
相変わらず茉理の罵倒語彙は小学生レベル。
それだけ人に対して悪態をついたことがないのだろう。彼女の育ちの良さが見え隠れしていてそこは一郎にとって好感ポイントだ。
「そんなことより、さっさとアチラに行くぞ『秋田竿燈祭』」
お約束を口にしながら一郎は机の上にあるICレコーダーを掴む。
「一番高いトコに縛り付けて晒し者にされたいんか!?」
久し振りの茉理の容赦ないボディブロー。
重い一撃が一郎の内臓を激しく揺さぶった。
それでも一郎はレコーダーを離さない。
「……ログイン!」
次の瞬間、目の前が黒く塗りつぶされていった。
そして緑色のデジタル書体英数字が高速で流れ始める。
……カタン。
玄関の方で物音がした気がしたが、きっと気のせいだろう。
一郎は特に気にしないことにした。




