第9話 どうなされます? 先方と交渉されますか?
城内の部屋の数々は商談に使うらしい。かつて王城だった頃も諸外国の賓客をこういった部屋でもてなしていたのだろう。重要な客、お金を持っているいわゆる上客は一階エントランスではなくこちらへ通す。きっと彼らはそれだけで特別な気分に浸れる。財布のひもも緩むに違いない。
この辺りはどのセカイ、どの業界も一緒なんだろうなとジークは豪奢な部屋を見渡しながら小さく微笑んだ。勧められるまま二人がソファに腰掛けると、初老の紳士――ドフォーレ会頭も優雅な仕草で向かいに座り切り出した。
「受付の者が申し上げました通り、例の指輪は売約済。すでに当店にはございません。……そこはご理解頂きたく」
彼は丁寧に頭を下げた。
真摯に対応してくれようとしている部分に関しては好感が持てる。だけど『無いものは無い。そこは認めろ』という威圧めいたオーラを丸見えの頭頂部から強烈に発しているあたり、やはり海千山千の商人。タダ者ではない。
彼から見ればジークもマリアも所詮若造。隣国王子が発効した証書を持っただけの小間使いだ。
二人もその辺りは弁えており、素直に頷き同意する。
問題はどうすれば取り戻すことが出来るのか、そこに尽きる。
「買い戻しを希望されるのでしたら、我々といたしましても渡せる範囲で情報をお渡しするとお約束します。先方様がお客様の説得に応じれば……」
そこで会頭は言葉を切った。
もし話し合いや金銭で解決するならば簡単だ。
だけど――。
「……もし応じてもらえなかったら?」
焦らされたマリアが先回りし、低い声で続きを話せとばかりに尋ねた。ジークはこんな物騒なマリアも好きだ。
促された会頭が口を開こうとした瞬間ノックが響く。
彼が入室を許可したところ、姿を見せたのは先ほどの受付嬢だった。
彼女は無言のまま封筒を差し出す。
会頭はそれを受け取り、読もうともせず目の前のテーブルに置いた。
「お求めの指輪ですが、代金はすでに前払いで頂いております」
そして先程の続きの説明をするつもりなのだろう。そちらの封筒も気になったがまずは彼の話に耳を傾けることにする。
「売買取引が完了し、所有権が先方にある現在。帝国法において合法的に仕入れられた商品である以上、我々に返還義務などございません。……ドフォーレ商会に関与する余地はございません」
会頭は何度目かになる丁寧な一礼。だけど例によって頭頂部が『ドフォーレ商会としては早々に売り払った商品だ、もう知ったことか』と告げている。
確かにこれは法整備された現代日本でも難しい問題だ。
いわゆる善意の第三者問題。
おまけにドフォーレ商会は扱っている商品が商品だけに帝国法を熟知しているのだろう。法闘争では絶対に負けないという自信が垣間見える。
「それはシャルル殿下の証書があってもですか?」
無理筋だと理解しながらもジークは食い下がった。今はこれしか二人の武器になるものはない。
「まさか他国王族の横車を帝国が指を咥えて傍観しているとでも?」
会頭は呆れたような笑顔を見せ、大上段から斬り捨てる。隠していた牙を見せたようにも映った。しかし会頭の言う事はぐうの音も出ないド正論。
「指輪は詐欺まがいの方法で、本人の意思を無視して買い取られたのですよ?」
今度はマリアが。
だが会頭の営業スマイルを崩すには至らず。
「我々は買い取った品の背景まで存じておりません。その辺りは冒険者の方々も同じではございませんか? 皆様が換金の為、我らや小物商に持ち込まれる様々な品、たとえば盗賊団退治の際に徴収された物などは、辿ってみればほとんどが盗品では?」
このあたりの問答は慣れたモノなのだろう。打てば響くよどみない言葉だった。
それを言われるとぐうの音も出ない。
ゲームとして作業的に行っているハックアンドスラッシュ。だけど彼ら民間人からすれば盗賊と紙一重な訳だ。ただギルドが保証するか否か、法――それも国や時代によって変化する――に抵触しているか否か、それだけの違いでしかない。冒険者が必ずしも好意的に受け取られている訳ではない理由だ。
黙り込んだ二人にドフォーレ会頭は勝ち誇ったかのように微笑んだ。
「とはいえ、我々としても仁義は欠かせないと考えております。先ほども申し上げました通り、もし先方と交渉なされるおつもりでしたら、可能な範囲で顧客情報をお渡しします」
そして先程ジークが受け取った封筒を指差す。その中に入っているのがおそらく『可能な範囲の顧客情報』。
――こんな短時間で用意出来るなんて。
先方とジークたちの話し合いを望んでいるというレベルの話ではない。ここまで用意周到だと予め指輪を求める人間が姿を見せることを知っていたようにさえ思える。
気のせいなのか?
年季の入った営業スマイルの分厚い仮面の下を覗き見るには、ジークはまだまだ青過ぎた。
「どうなされます? 先方と交渉されますか?」
ドフォーレ会頭はここぞとばかりに少し身体を前に傾け、押して問う。
……やはり。
面倒な話になったと思ったが、二人はただ流されるように頷くことしかできない。
その反応を見て彼は破格の笑顔を見せた。
「そこまで難しい相手ではないかもしれませんよ? ……お二人ならば、ね?」
何とも思わせぶりな言葉。二人は同時に首を傾げる。
「取引先は教会です」
なるほどシスター姿のマリアならば、ということか。
合点がいった顔をすると会頭は交じりっ気のない笑顔で楽しそうに首を横に振る。……そういう意味ではない、と。
「親衛隊の騎士様がご購入されました」
ジークは思考が止まり絶句する。隣のマリアも似たようなもの。知っている親衛隊騎士といえば一人しかいない。
「…………誰ですか?」
数日前のセリオの夜、彼――イザークの話題で盛り上がったことを覚えている。
まさか彼が再度仕掛けてきたのか、もしそうだとしたらそれはおそらく復讐。
警戒心が過ぎたのか、かすれる声で彼が尋ねると。
「アグネス=カーディガン女史です。……かの紅一点」
想像していたのと全然違う名前。
「……え? アグネスさん? ……ってあのアグネスさん?」
会頭からすればあのと言われても困るのだろう、年相応の困ったような顔で目を瞬かせる。
だけど、ジークの知っているアグネスは彼女だけだ。
「面識がおあり……なのですよね? ご契約は代理で来られた彼女の部下によるものでしたが、お届け先は彼女です」
それはそう聞いているというだけ。
アグネスから直接聞いた訳ではない。
流石にここまでお膳立てされればジークも理解した。
最初から仕組まれていたのだ、と。
どう考えても出来過ぎだった。
たまたまセリオで受けた仕事が、前回行動したアグネスに繋がる?
しかも彼女が教皇直属親衛隊?
そんな偶然あるはずがない。
「……えぇ、ちょっとこの前、ジスタで知り合いました」
何とかそう絞り出したが、会頭は眉間に皴を寄せて今ジークが発した言葉を考え込む。その反応こそが何より予想外。
深く聞かされていない彼は、コレを仕組んだ何者かの協力者、いや仲介者でしかないのだろう。……だけどそれに甘んじるつもりはない、と。
何かメシの種が転がっているのでは、と。
悪評に引きずられていたが、こんなドフォーレ会頭のことジークは気に入り始めた。
会頭は詳しい説明も受けず、ただこの指輪を求める二人組がやってくると先に告げられていた。
指輪を求めてくる人間、どんな手を使ってでも取り返そうとする冒険者がいたならば、彼らはアグネスの知り合いに違いない。そして念のためジークとマリアの外見的特徴を告げる。
取引の事情を話して、それでもどうしても買い戻したいと訴えてくるならば契約者アグネスの名を明かせ、と。
話し合いに応じる用意はある、と。
おそらくそのような流れだ。
大筋では合っているはず。
「そもそも、なんで指輪を買ったときに持ち帰らなかったのだろう」
マリアが独り言をように呟いた。
彼女は別の視点から考えていたらしい。
改めて指摘されれば、そこも不思議だった。
「指輪は帝都に向かう隊商に預けてあります。途中の街々で荷を下ろすのですが、指輪は領境を越えた本領ミーニン市へ配達となっています」
会頭は用意していたセリフのように告げる。
まるでそこに誘われているよう。
今まさに、会頭から隊商のルートや予定日程などを懇切丁寧に教えてもらっているという『不自然すぎる状況』を、二人は嵐の前触れとして捉えていた。




