第2話 こちらは弟さんと妹さん?
「――楽しかったねぇ!」
その弾む声に悠一は笑顔で振り返った。彼の乗る車椅子を押しているのは友佳。嬉しそうに微笑んでいる。
ついに念願の夏休み。
母娘リクエストだった動物園デートの帰りだった。
「友佳さん、重くない?」
自分でも動かせるのだから別に押してもらわなくてもいい。普段は自分で動き回っているのだ。実際動物園内でもそうしていた。もう十数年車椅子で生活している。伊達の鍛え方ではない。
「大丈夫だって。それよりさ、悠一君こそ重くない? ……子供って見た目よりもずっと重たいでしょ?」
友佳は悠一に膝元に視線を移した。
そこにはすやすやと寝息を立てる友佳の娘――麻衣。
彼女は生まれてはじめての動物園ではしゃぎまくった。『アレは何? コレは何?』と。ネットで予習していたらしいが、悠一に聞く方が早いと理解してからは彼に笑顔で尋ね回った。歩くのに疲れると乗り物アトラクションよろしく悠一の膝上に。
その懐きっぷり、甘えっぷりは母である友佳が『人見知りの激しい娘なのに一発で懐くなんて!』と驚くほど。
これは悠一にとっても歓迎の展開だった。
「大丈夫。全然重たくないよ」
それは本当のことだ。
むしろ二人分を押す友佳の細腕への心配が勝る。だけど友佳も幸せそうに微笑むだけだった。
だが暑い時期。
曇り空とはいえ、東京の夏は北海道のそれよりはるかに厳しい。
元々日焼けを恐れる友佳は屋内での水族館を希望していたが、娘の強すぎる動物園推しに負けた結果こうなった。三人は改めて喫茶店にて涼を求めることにする。
車椅子の客などの対応に慣れた店なのか悠一を見ても一切困惑の顔を見せず、しかも何の滞りも無く店内を案内された。悠一が客席に着けば、再び麻衣が悠一の膝の上に乗りたがる。彼がそれを当然のように迎え入れると――。
「……ずるいなぁ」
友佳の小さい声が聞こえた。悠一はそんな拗ねた声の彼女が余りにも可愛くて思わず笑顔になる。
「……ゴメン、忘れて」
一方の友佳の表情は何とも言えぬ苦虫を嚙み潰したような渋いモノ。
「なんで? 友佳さんのそういう部分を見ることが出来て幸せな気分だよ?」
悠一の全開惚気にも目の前の彼女は少々やさぐれた顔。
こちらも中々に新鮮だった。マリアのときは絶対にこんな表情は見せない。
「……その……母親を思い出しちゃって。まさか私まで娘に嫉妬してしまう日が来るとは思わなかったわ」
複雑な家庭環境で育った友佳なりの悩み。だけど彼女はすぐに気を取り直して笑顔になった。
「まぁ、この子が悠一君と仲良くなったことが何よりだけど」
そんなこんなで注文した品が届くと、三人仲良く手を付け始めた。
スマホで撮った麻衣のお気に入り動物の映像を他のお客さんに迷惑にならない程度にワイワイ見ていると、不意に影が三人を覆った。
顔を上げると立派な体格の大人の男――二十代後半っぽい人が笑顔で見下ろしていた。
「……マイさん?」
友佳は息を飲むも、すぐに見たことのないキラキラした笑顔で応じた。瞬間、悠一に嫉妬心が芽生える。
「平井さん、こんにちは! まさかこんなところでお会い出来るなんて」
悠一の前ではしないようなちょっと張りのある声。
「うん。外回りの途中で休憩したくて」
「そうだったんですね」
友佳は笑顔崩さない。……というよりも張り付けたまま。
「こちらは弟さんと妹さん?」
友佳ははにかむ笑顔を見せて顔を伏せる。おそらく彼は初めてそんな彼女を見たのだろう、驚きの顔を見せた。
「いえ、その……娘と……彼氏……です」
平井と呼ばれた男は笑顔のまま麻衣に視線をやった。だが麻衣はその視線から逃れるように悠一の胸に顔を押し付け、Tシャツをキュッと掴む。そして助けを求めるように悠一を見つめた。
悠一は安心させるように彼女の頭をポンポンと叩くように撫でる。
その子供らしいといえば子供らしい反応を見て、平井も逃げるように視線を移し悠一を捉えた。やや強張った笑顔だが、見定められているのは間違いない。自分の方が上、いわゆるマウンティングってヤツだと悠一も理解する。
やがて平井の視線が隣においたままの車椅子に辿り着く。そして困惑の表情を見せた。
――おそらくこの人は『いい人』なんだろうな。
足が不自由な人の上に立とうとするのに少し負い目を感じるとか、そんな類のことを悩む顔だった。悠一としてはそんなこと全く気にしないのに。
「……そっか。邪魔してゴメン。近いうちに……またお邪魔するよ」
今のフレーズで悠一は察する。
この人は友佳が働いているお店に通うお客さんなのだ。
そして彼氏にそのことを黙っている可能性があるから店のことは言わない。
ちゃんと気働きのできる人だと思った。
「――今の平井さんは、その……良く指名して下さる方なの。……別にプライベートで逢ったりとかそういうことはないのよ?」
友佳はその部分を力強く主張した。
「うん。それはすぐにわかったから大丈夫だって」
そもそも平井は友佳の本名すら知らなかった。
呼ばれたマイっていうのはおそらく娘の名前からとった源氏名ってヤツだろう。第一、ある程度親しい人間ならば麻衣を妹とは間違えない。
だけど、あんな立派な男の人の方が友佳さんに相応しいのかななんて思ったりして、悠一は何とも言えないアンニュイな感じになる。
――もっとイロイロと『小さい男』だったら良かったのに。
そうだったら悠一も安心して北海道に帰ることができた。
あの男は友佳はのことが好き。それは確実だった。
悠一と友佳は先程の空気を取り戻すようにおしゃべりを再開した。半分寝ていた麻衣がパンケーキにダイブして顔をべとべとにする一幕もあったりして。
そろそろ帰ろうとレジに向かえば、すでに精算は済まされているとのこと。
さっきの平井さんだった。
見るからに仕事出来ますという感じだったし、何よりカッコいいところを友佳に見せたかったのもあるだろう。高校生の悠一には絶対にマネできないアピール方法だった。
「……あぁ、今度会ったときにちゃんとお礼言わないと」
友佳は困ったような嬉しいような複雑な顔。
……悠一にとって思わぬライバル出現だった。




