第32話 モヤモヤするか?
「――ねぇ、ホントにここで終わっていいの?」
茉理はソファにどっかりと沈み込んで尋ねた。その視線の先にはヨハン――ではなく、すでに一郎。場所もゴッドヘルのどこかではなく現実セカイの一郎の部屋。もう二人はこちらに戻ってきていた。
セシルたちと首都に向かった後、立会人の名のもとに簡素な調印の儀式を見物して……。あっさりとお暇。
護衛としてジークたちを引き連れ一路本拠地カナンへ。そして彼らにも小鹿亭の玄関で『今から本国へ向かうから』と一方的にお別れを告げ有無も言わせず退散。そのままログアウト。そして今。
――いや、ストーリーも急転直下だったけど、浸る間もなくすぐ戻ってくるなんて。
っていうかジークやマリアは私たちのことどう思ったろう。
引っ張り回すだけ引っ張り回して説明も無し。あまりいいイメージはないだろうと、茉理は不安になってくる。
「……ねぇ、ホントにこれで良かったの?」
茉理は目の前の何とも思っていない顔をした一郎に再度尋ねた。
「モヤモヤするか?」
「する!」
一郎は即答する彼女を見て、例のニヤリとした笑みを浮かべた。腹が立った茉理は思わず手元に会ったクッションを投げつける。
「ならいい。おそらく読者もそう思ってくれる。……何よりジークにそう思ってもらわないと困るからな。ここからしばらくジークには少々辛い時期を過ごしてもらわなきゃならん」
これが一郎なりの演出らしい。彼はクッションの角を丁寧に伸ばしながら再び等間隔にクッションを並べ直す。その平然とした姿が茉理を少しだけ冷静にさせた。
思えば一郎なりにジークのことを想っているのは確実。だから無茶なコトにはならない……だろう。
それはそれとして頭でちゃんと理解しているのだが、それでもやはり茉理の胸が痛む。
「――ホント、訳の分からない内に終わっちゃってさ。結局誰が一番得したのかも分かんないし。帝国は漁夫の利っぽいけど、今まで貧しかった国を引き上げていくのは大変だろうし。そもそもこの構図だってディフさんやフックさんが描いたモノでしょ?」
おまけにセシルの裏に皇帝や教皇がいて。当然例の黒幕だって関与している。物語の主要人物がこんなにも絡んでいる割に、誰かが明確に得しているという姿が茉理の目に見えてこなかった。そのことを伝えると一郎はウンウンと満足げに頷くのだ。
「実はそこが肝でな。原稿にはちゃんと落とし込むつもりだが、今回はものの見事に主要人物全員が巻き込まれた形なんだ。ヨハンやチェリーでさえもな。で、美味しいところを持って行ったのは『国王』ってことになる。……一度も顔を出さなかったし、今後出てくる予定も無いが」
まさかの名前に茉理は目を見開いた。愚王という印象だっただけに衝撃的。一郎は少し声を落とした。誰が聞いている訳でもないのに。
「……彼のモデルは三国志での劉禅でな」
「劉禅ってあの蜀を潰したダメダメ男よね?」
劉備の後継者。暗君。彼のことは三国志に疎い茉理も一般教養として知っていた。彼の幼名『阿斗』はバカ息子の代名詞だ。
「あぁ、大体そんな感じで伝えられているな。……だが無欲で慈悲深い善人だったという説もある」
「ほぉん?」
茉理の気の抜けた返事に一郎は微笑む。
「俺は父の劉備こそ好きになれないんだよな。英雄なのは認めるが……どうも胡散臭くてなぁ」
茉理に言わせれば一郎扮するヨハンこそ胡散臭いのだが、まぁ今は好きなだけ話させることにする。
「劉禅は為政者として無能の烙印を押されてはいたものの、周りの者たちは素直で温和な彼のことを可愛がっていたらしい、なんて話をネットのどこかで拾った記憶がある。ホントかウソかは知らんが、さもありなんと腑に落ちる部分があった。もしかしたら『臣下総保護者』のような状況だったのかもな」
何となく茉理にも分かる気がした。放っておけないヒトっている。この人の力になってやりたいと思う人が。
「さっさと降伏したせいで蜀はあっさり消えてしまったし、三国志ファンからすれば余計なことしやがってという思いはあるだろう。だがその時代の蜀に暮らしていた民は余計な戦争に巻き込まれず済んだとも受けとれる。そこまで悪いトップでもなかったと思うがなぁ」
一郎はそんなことを話しながらキッチンにコーヒーの準備をしにいった。
「――モートンやバラックのその後はおいおい、な。……次回モートンの口から語られることになる」
一郎は茉理の前にコーヒーを置くと、彼もデスクチェアに腰掛けた。そしてキャスターを転がして茉理の近くとも言えない――微妙いや絶妙の距離まで寄ってくる。茉理はその気を許し始めた野良猫のような距離に苦笑しながらも尋ねる。
「アレ? モートンさん連続出場?」
「あぁ、ヤツは軍を辞めて冒険者になる」
あぁ、そんな話になっていたなと彼女は思い出す。確か一郎はセカイを見ろとそんな説教をしていた。茉理は目の前に置かれたコーヒーにスティックシュガーを放り込んでかき混ぜながら思う。
確かに居づらい状況ではあるだろう。最後まで帝国に抵抗した人間がこれからのジスタに居場所を作るのは厳しい。
それにジスタしか知らず、視野の狭かったモートンがセカイをどのように見るのかは一人の傍観者としてそれなりに興味があった。
「少しネタバレになるが、モートンは将来的に反帝国勢力のピースの一つになる」
「なるほど、こうやってちょっとずつ帝国は敵を増やしていくんだね」
水面下で着々と帝国包囲網が出来上がる。
「ジークたちと合流し改めて仲を深める。その流れで……まぁ、そんな展開にするつもりだ」
一郎は美味しそうにコーヒーを啜った。
「ちなみに次回はどんな感じになるの?」
一郎は苦笑いして、「まずは今回の原稿を仕上げてからだが」と前置きする。
「次で一区切りにするつもりだ。……セシルに皇帝争い参入を宣言させる。そしてそれを見届けた皇帝が安心して崩御という感じか」
ついに巨星が堕ちる。
否が応でもセカイの流れが変わる。ファンタジーに限らず王道中の王道。
「安心して?」
だが茉理は別のところが気になった。
「そう、セシルは皇帝のお気に入りだったんだ。そして自分の後継者になって欲しいと口には出さないがそう思っていた。その理由はトップシークレット。他の有力な後継者候補も何故彼がそんなにも愛されているのかは知らないものの、皇帝が一番愛した息子であること自体は知っている。だからこそ周りは彼を徹底的に潰しに来る。……まぁ、それは次のシーズンの話だな」
不可解な寵愛を受けた末端の候補者。後継争いが荒れるのは目に見えていた。国もメチャクチャに割れる。実際そういうのを題材にした小説は古今東西に溢れている。冷静な読者茉理としては『そんなモン死ぬ前に必死こいて根回しでもしておいて書面か何かに残しておけ!』とツッコむところだが、編集者としては望むところ。そんなダブルスタンダードな自分に呆れる。
「そこに教皇も絡んでくるんでしょ?」
「当然だな。教会としては別の有力候補を推していたりするのだが、教皇と筆頭巫女カタリナはセシル一点買いだ。彼らは表立って動かないが、すでに信頼する人間を彼の下に送り込んでいる。それこそ今回出て来たアグネスとか…………あっ、そうだった! アグネス、どうだった?」
一郎は冷静に話していたのだが、アグネスのことを思い出して身を乗り出す。
「それ! それ!」
茉理も何故それを忘れていたのかと、同じように身を乗り出した。
「まるっきり百合センパイじゃん!」
「だろ? ちょっと頑張ってみた。行動パターンとか思い出してアイツならこんな感じだと設定したんだが」
一郎の観察眼恐るべし。だけどそのこともあって違和感なくいつものようにアグネスに懐くことが出来た。
「ホントにそこにセンパイがいるみたいだったの! 彼女になら抱かれてもいい!」
茉理の際どい百合宣言に一郎は何とも言えない酸っぱい顔をした。
「それよりさ、センパイを勝手にアグネスのモデルにしたりして怒られない?」
茉理の知る吉川百合はそんな器の小さい女性ではないが、それでも一郎との関係はよく知らない。だから一応確認を取っておくべきだと思った。最悪自分が百合に了承を得ないといけない。それぐらいアグネスは魅力的なキャラだった。随分個人的な都合だが。
「あぉ、それだったら大丈夫だ。担当をしてくれていたときに約束したからな」
「……約束?」
首を傾げる茉理に一郎は何かを思い出すような達観した笑みを浮かべて頷く
「そう。約束。これ以上は言わん。……アグネスのことを気に入ってくれたらそれでいい。お前もアイツも」
一郎のその表情にドキリとすると同時に、その顔をさせたのが百合であることに少しだけ胸をざわつかせる。茉理はその何とも言えないモヤモヤを振り払いながら尋ねる。
「これっきりの出場じゃないわよね?」
その問いかけに一郎はいつもの彼に戻り、コーヒーを飲み干す。
「当たり前だろ? 教皇直属親衛隊でありラスボスセシルに近い存在、おまけに筆頭巫女カタリナの懐刀であり信奉者。それのみならず状況が変われば敵にも味方にもなるという動くだけで何かが生まれるストーリーメーカー的存在だぞ? ……お前のことも相当気に入ったようだから積極的に纏わりついてくるだろうな。少なくとも次回は俺たちの心強い仲間だ。……ジークたちの敵だがな」
つまり自分たちはジークたちの敵に回るということ。通過点ではあるものの間違いなく一つの結末を迎えるのは瞭然。
「あっちに行きたくないなぁ……」
気が重いとボヤく茉理に一郎はまだ気が早いと呆れる。これから原稿を書いて修正して。そうして過ごしているうちに茉理のことだから「早く行こう」と一郎をせっつくことになるだろうことは目に見えていた。
「悪いようにはしないさ。最終的に俺たちはジークを助けることになるんだから」
「それはそうだけど」
うーん、とクッションを抱きかかえながら丸まって悩み続ける茉理を尻目に、一郎は一つ大きく伸びをして執筆を開始することにした。
これで7章終了です。
次章のテーマはいわゆる『負けイベント』です。
さらにジークはプライベートでもモヤモヤします。
彼にとっては受難の章になるでしょうが、誰もが挫折を経て大人になるのです(多分)。
というわけでこれからも生温かく見守って頂ければ嬉しいです。




