第1話 コレは一郎センセだし、仕方ないよね?
「はぁ~。良いお湯だった」
茉理はタオルでショートカットの髪の毛をガシガシと拭きながら座椅子に腰を下ろした。部屋着のだぼだぼスウェットが気持ちをゆるゆるにする。
「あっと、忘れてた」
再び立ち上がり冷蔵庫へ向かう。ハーフサイズなので背の高い茉理はイチイチ腰を深く曲げなければいけない。それが毎回微妙にストレスだった。ただ自炊はしない人間なので入っているのは主に飲み物。冷凍スペースは氷と安売りの時にまとめ買いした冷食のみ。そんな状況なのでとても新しい冷蔵庫を買おうという気にはなれなかった。
風呂に入る前に放り込んでいたグラスと缶酎ハイを取り出し、氷を数個グラスにカラカラっと流し込む。
「この一杯の為に~、私は生きている!」
茉理は適当な鼻歌を歌いながら再び座椅子へ。風呂上がりの一杯、これこそ至高。タオルを衿元に巻いたままプシュっと。そしてキンキンに冷えたグラスに注いでいく。それを喉を鳴らして飲む。
「一日の終わりはセンセの悪評チェック……違ったファンレターチェックっと」
茉理は冗談めかして言ったが、最近は結構普通になったと思っていた。皮肉バリエーション大喜利みたいだった今までが異常な訳で。これに関しては自分の功績も大きのではないかと、自負していたりしなかったり。
茉理は上機嫌のまま、さっそくテーブルに積まれたレターの束に手を掛けた。
ファンレターチェックはプライベートだから絶対に他人にはさせないという作家もいれば、編集者に一旦預けるタイプもいる。一郎は後者だ。むしろ茉理に丸投げだった。
「それでは最初のお便りです!」
茉理はDJ気取りでファンレターの封を開ける。
独り言が多いのは一人暮らしあるあるだ。
「東京都の方。……ふむふむ。これは辛辣ですなぁ」
中々にいきなり痛いところを突かれていた。
説明がくどい、テンポが悪い。表現が硬くて読むのに時間が掛かる。
この辺りは毎度のことだった。
「――ん~、コレは一郎センセだし、仕方ないよね? だけど読んでくれてありがとう!」
茉理は読み終わった手紙を畳み直して封筒に仕舞い『一郎に見せるボックス』に放り込む。
「次の方。――――。……ありゃ。コレはセンセに見せちゃダメなヤツ」
今度は見せないボックスへ。
こんな作業を繰り返すこと十数回。
徐々に茉理のテンションが下がっていく。
そして口をへの字口にして二本目の缶酎ハイを取りに行き、グラス無視でそのまま呷り始めた。
「……なんで? 皆にこんな認識されていたの? チェリーってそんなキャラ? ……違うよね?」
泣き上戸ではないのに、茉理の目から涙が滲んできた。
それでも彼女は仕事として最後まで仕分け作業を済ませると、後片付けもそこそこにベッドにもぐりこむのだった。
電気も消され、真っ暗な部屋。
冷蔵庫のモーター音とカチカチと壁掛け時計が鳴るだけの静かな夜。
茉理は鼻を鳴らしながら布団を被っていた。
彼女の頭を巡るのは先程まで読んでいたファンレターの文言たち。
総じて一郎に対する悪意などなかった。
むしろ続きを楽しんでくれていた。
茉理の分身でもあるチェリーだって、愛されていると確認できた。
それは間違いなく編集者として大きな収穫だった。
だけどそれは彼女が思い描いてきたキャラとしてではなく――。
「……本当のチェリーは魔法が得意で、どこか抜けているけど洞察力はあって、何だかんだ言って一番戦力となっていて。あんなに可愛くて。実は国元では筆頭貴族の直系令嬢で、ちょっとした瞬間にその高貴さが見え隠れしちゃったりして……」
茉理はチェリーのアピールポイントを指折り数える。
しかしファンは違うことを求めていた。
『最近先生のコメディ部分の雰囲気が変わってきましたね。今までは毒が多めの歪んだ笑いが多いように感じましたが、最近はチェリーの大食いネタとか新しい分野が開拓されていてとても良いと思います』
『チェリーちゃんがたくさん飲み食いして、翌日苦しそうに悶える姿が妙にリアルで可愛かったです。各地の名物料理を美味しそうに爆食いする彼女は、この作品の癒しポイントですよね』
『チェリーの不思議キャラが炸裂すると、話が盛り上がるので期待。こういうちょっと変わった娘がいるだけで楽しい。これだけキャラが立っている美少女をただの大食いキャラにしておくのは勿体ない。もっとストーリーに絡めて欲しい』
『チェリーの酔っ払い描写が秀逸。まるで見て来たかのようで、そこに作者のセンスを感じる。もしモデルがいるのだとしたらその人物は相当なドランカー。飲み過ぎないように注意してあげてください』
たしかに茉理は調子に乗って食べた。
食べまくり、そして飲みまくった。
とくにマリアと仲良くなってからは完全にブレーキがぶっ壊れていた。
お金を一切気にせず食べて飲んで食べて飲んで苦しんでからのフルケア。
それを繰り返した。
マリアは少し呆れながらも笑顔でフルケアを掛けてくれたし、出来る範囲で買い食いにも付き合ってくれた。
そして一郎はその光景をありのままに表現した。
嘘無く脚色も無く、ラノベ作家らしからぬ表現力を駆使して淡々と精緻にそして鮮やかにその光景を描きだして見せた。
そしてシュールなセカイ観と美少女チェリーとのギャップも相まってウケた。
ただそれだけのことだった。
こうしてチェリーは作中屈指の人気キャラにのし上がった。
ファンレターの中でも主人公のジークより名前が挙がっていた。
「……でも、キレンジャーはイヤ」
茉理は布団の中で小さく呟く。
「何とかしなきゃ。……チェリーが正当に評価されるように。……一郎センセにしっかりやってもらわないと……」
その呟きを最後に彼女は寝息を立て始めた。




