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第24話  いいえ、今はエリザベートです。カタリナ様。



 ディーゼル国は敬虔(けいけん)なラフィル教徒の国だ。帝国とは反目しているものの信じる神は同じ。王族貴族は事あるごとにラフィル教を介して民を懐柔しようとする帝国を苦々しく思っていた。今回の聖遺物移譲儀式も帝国の意志が反映されている。

 ラフィル教を通じて徐々に、だけど確実に絡め取られつつあるディーゼル国の聖堂。そこに一人の騎士が到着した。頃は払暁(ふつぎょう)。早朝の祈りを終えた神官ののんびりした姿がチラホラ見受けられた。

 彼は愛馬から軽やかに降りる。

 走り通しだった馬からは白い湯気が立っており、彼は労うように何度もさすってやる。能面で知られる彼の滅多に見せない微笑みに応えるよう、馬も彼の首筋に顔をなすりつける。

 そんな相思相愛の一組に対して出迎えの神官が現れた。

 騎士はいつもの無表情に戻して深々と一礼する。


「ようこそいらっしゃいましたロジアス様」


 年嵩(としかさ)の神官は身なりからしてこの国の聖堂を管理する者の一人。祭司に準じる存在だろう。本来ならば出迎えを他者に任せても良い立場だったが、目の前の騎士と巫女そして教皇との関係性を考えた場合、この役を買って出て損はないと判断した。そういった教会力学の機微(きび)を熟知している騎士は無表情ながら丁寧に謝意を告げる。

 

「このような早い時間に訪れることになって、ご迷惑をおかけします。……巫女エリザベートは中に?」


「え? ……エリザ……?」


 神官の困惑は騎士にとって慣れたもの。


「彼女がここで何と名乗ったかは存じ上げませんが、日誌や記録物には巫女エリザベートと(しる)して頂けると助かります。こちらの書物との整合性が保てませんので。……ただ、彼女には自身で名乗った名前で呼びかけてやって下さい。……機嫌を(そこ)なわれると何かと面倒臭い方でして」


 彼の困り切った言い草に神官は相好(そうごう)を崩す。


「委細承知しました。……巫女様は今はおそらくお祈りをされていると思います。どうぞ中へ」


 そこに悪意は感じられなかった。騎士ロジアスは神官に深く一礼し、彼の先導をスキのない身のこなしでついていった。




 案内されたのは各地の聖堂や教会に必ずある『祈り子の部屋』と呼ばれる一室。神官は笑顔で一礼すると、そのまま気を利かせて去っていった。

 ロジアスは音も無く扉を開け、身を滑らせて入り、後ろ手で再び音も無く閉じる。隠密行動も求められる職分ゆえ自然に身に付いた動き。

 磨き抜かれた女神ラフィルの像だけがあり、それ以外は何もない狭い部屋だった。その足元で片膝を付き熱心に祈る巫女。いつ見ても無駄に神々しい。 


「あら、騎士様がお父様の護衛を(ほう)ってこんな辺鄙(へんぴ)なところまで。どのような御用かしら? 私はリズ……いえ、エイダよ。誰かと勘違いされているのではなくて?」


 彼女は顔を伏せたまま。

 その上で気配を殺して入室していたロジアスに気付くのみならず、誰かも判別してしまう。これは女神ラフィルの力を行使できる巫女ならではの能力。中身が(よこしま)であっても巫女に選ばれることを知った純粋な少年時代の衝撃を思い起こす。

 

「いいえ、今はエリザベートです。カタリナ様。……必要以上に名前をバラ撒くのは止めて下さいと言ったはずです。それに危険だと分かっていて首を突っ込むのも遠慮くださいと何度も」


 生来持っていた高い身体能力に加え、女神から譲り受けた力。

 それらを有する彼女と渡り合える人間が、このセカイに存在するのかいないのか。

 もしそんな人間が彼女の前に立ち塞がるとするならば、自分は彼女の身を守る為にどう立ち回るべきなのか。これはロジアスの誇りを懸けての命題であり、たゆまぬ訓練を課す為の動機でもあった。


「小言を言いにここまで来たの? 案外ヒマなのね親衛隊長って」


 彼の心を知ってか知らずか、巫女は祈りの姿勢を崩さないまま小さく肩を竦めた。




 

「――『姉』を迎えに来るのは『弟』の務めだと、昔から言い聞かされてきたものですから」


『あなた、今日から私の弟にしてあげる。嬉しいわよね?』、筆頭巫女になって間もない彼女からそんな言葉を掛けられた幼少期。その日からロジアスはカタリナの『弟』になった。


「……そうだったっけ?」


 彼女は基本的に言ったことはすぐに忘れる。記憶力が無い訳ではない。ただ覚える必要がないと判断すれば覚えないという、それだけの話。

 数十年来の付き合いのある貴族ですら、価値がないと判断すれば毎回『……初めまして』から挨拶する。それが徹底されている。価値が見出されて初めて記憶に残る。筆頭巫女というのはそんな無礼を許される立場であり、それすら魅力とする存在だった。

 そんな彼女に毎度毎度指名され振り回され続けた少年時代。退屈だからと剣の相手もさせられた。それが教皇直属親衛隊長への道につながったのだと思うと、得も言われぬ渋い気持ちになる。

 ロジアスの目に映る彼女は、基本的にその場のノリだけで生きていた。

 かと思えば何十年も前から綿密に計画を立てる辛抱強さも持っていたりする。

 そのうえで何かの運試しとばかりに大博打に打って出たりする。

 つまるところ、彼の理解の外にいる人間だった。




「……『父様』も大層心を痛めておりましたよ?」


 親衛隊や巫女たちにとっての父――教皇。

 撒かれた護衛と『影』から事件に巻き込まれたと報告を受けた彼は、一つ大きな溜め息を吐いてからロジアスを呼び出し、()()()()()よう命令を下したのだった。


「相変わらず過保護なんだから」


 教皇が巫女に対して過保護も何もない。

 巫女とは教会の、セカイの財産なのだ。

 本当なら総本山から出したくないぐらいだろう。

 だがそれでは彼女本来の力を殺してしまいかねない。

 やむを得ず奔放な彼女を容認しているに過ぎない。

 それ幸いと彼女は好き放題していた。

 貴族が、皇族王族が、国家が、そしてセカイそのものが彼女一人に振り回され、教皇をはじめとする執行部が後始末する。結果、どんな理由なのか分からないまま教会の権威が高まっていく。

 女神ラフィル顔負けの奇跡だった。





「――で、どうでしたか? 収穫はありましたか?」


「えぇ、面白そうな方々だったわ。……()()()が追い落とされるのも納得ね」


 巫女の言う『あの子』とはかつての親衛騎士イザーク。

 完膚なきまで叩きのめされた。

 剣で敗れたぐらいで親衛隊を去る必要はない。

 国単位を動かしての騒ぎにまで()()()()()()、セリオの治安組織に捕らえられた彼の進退はラフィル教会に委ねられることになった。つまり『教会が責任をもって切れ』というのがかの国の意思。

 だから教会は彼を切った。

 今彼は一神官として地方で修業の身である。親衛隊に返り咲くことはない。

 その騒動のウラで冒険者とヴィオール学者の組み合わせパーティが暗躍していたと知った。そして後継者候補であるセシルが彼らに接近していることも。

 だから彼女は見極める為、帝国を動かし、教会を動かし、自身も総本山から離れた。

 今回の誘拐事件は仕組まれたモノだった。

 少なくともロジアスはそう確信している。


「残っている公務などがありましたら、午前中にさっさと済ませてください。完了次第戻りますので」


「いやよ。せっかくこっちまで来たんだから、まだもうちょっとだけこっちにいるわ」


「いけません。『父様』がお待ちです」


「――ねぇ、ロジー?」


 ロジアスは眉間に皴を寄せる。その呼び方をするときは『姉』の権限を使うときだった。

 巫女は立ち上がると、付いていた方の膝のあたりの裾をパンパンと払う。綺麗に掃除されている祈り子の部屋にはチリ一つ落ちているはずはないのだが、それでもクセのものだろう。

 

「…………なんでしょう?」


「ちょっと、露骨に身構えるのはやめてよ。……ものは相談なんだけどさ――」


「ダメです」


 ロジアスの返答はにべもない。


「まだ何も言ってないのに!」


「聞いてしまったら最後、絶対に言うことを聞かなければならないじゃないですか!」


 経験則だ。

 頬っぺたを膨らませる巫女には、まだあの頃の少女の面影が残っている。

 彼は懐かしさに顔がほころぶ。それは巫女も同じだったらしい。いつの間にか巫女と騎士ではなく姉と弟になっていた。


「……まぁ、久しぶりに今のロジーの顔を見られただけ良しとするわ」


 ロジアスは慌てて能面を作る。


「仕方ないからアグネスちゃんにお願いする」


 アグネスはロジアスの同僚であり親衛隊の紅一点。

 この二人の力が合わさるのは危険だった。これも彼の経験によるもの。


「今度は何を企むおつもりですか?」


 アグネスは楽しいモノ、そして美しいモノに目がない。そういう意味で目の前の巫女はアグネスの好みを体現した女神に等しい存在だった。彼女は間違いなく企みに乗っかるだろう。


「企むだなんて、人聞きの悪い。セシルが本格的に動き出したんだもの。私だって()()()()遊びたいじゃない?」


 今回の騒動は遊びではないと言いたいのだろうか。本気でそう思っているからタチの悪い。ロジアスは眉間に皺を寄せた。




「――それよりも、あのジュリアって子。……どこかで見た気がするのよね?」

 

 真剣な表情になった巫女の顔は別の凄みがある。彼女はブツブツと呟きながら彼の横を通り過ぎ、そのまま部屋を出て行ってしまった。ロジアスの中で今の彼女の顔がよく知る()()と重なる。巫女とは正反対の苦労性である二人との理不尽な血のつながりを想い、彼は声を押し殺して笑った。

 



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