第11話 御名答。正確には大学病院だな
茉理は朝日の眩しさで強制的に目覚めさせられた。
元来低血圧の彼女はチェリーの身体でもその癖でゆっくりと身体を起こす。少しだけ背中やら腰やらが傷んだ。そこで改めて野宿したのだと思い出す。
バレーボールに打ち込んだ学生時代、合宿や遠征などでバス泊は何度も経験していた。身体は固まるものの一応それなりにクッションの効いた座席での睡眠。今回のように地べたとは違う。
それでも、茉理は実に清々しい気分で起きることが出来た。
ここはセシルに連れられてやってきた森。
その奥に彼女たちが喜ぶに違いない遺跡があるのだと彼は力説していた。
二人からすれば既定路線にも関わらず、彼らをその気にさせる為に、やたらと熱心にセールストークしてくるセシルが可愛くて、茉理たちは必死で笑いを堪えたものだ。
今も思い出し笑いしそうになって、それを堪えるべく一つ大きく深呼吸。ゲームセカイだけど、清涼で青葉の香りがする空気が五感を刺激し覚醒させる。
空気が美味しいと感じられるのは幸せなことだと、茉理は雲一つない青空を仰いだ。
「……ああぁ! なんか、ホントに心が洗われるッ!」
「――そうか、やっぱり汚れていたのか。可哀想にな。……勤め人はイロイロと大変だな」
背後からそんな無神経な言葉を投げつけてきたのはもちろん一郎だ。
「やっぱりって何さ? そもそも汚れてしまったのって誰のせいだと思ってるのよ!」
一郎は肩を怒らせながら振り返る茉理を「まぁまぁ」と宥めながら、レコーダーを口元へと持って行く。そして小さく一言二言。するとみるみるうちに土の上で寝ていたことによる痛みが消えていく。
「……ありがと」
茉理が素直に礼を言えば、彼は口元を歪めて「……メシが出来たぞ」とだけ告げて去っていった。
「――もう少しですよ」
上機嫌で先導するセシルの背中を追いかけながら、茉理と一郎は石畳の道を進んでいた。やがて見えてきたのは宮殿かと思わせる程に立派な建物。ただこのセカイに、あまりにもそぐわない近代的なフォルム。ぱっと見は山の中にある学校のようにも見えた。
完全な人工物なのだが、苔むしていることで全体的に緑色だった。それが経てきた年月を感じさせ、森との絶妙な一体感を醸し出していた。
その手前にはこじんまりとした二階建ての木造の建物。こちらはここ数十年で出来たモノだろう。ちらほらと兵士の姿が見えるので、おそらく守衛所だ。
兵士たちは目敏くセシルを見つけると、走り寄ってきて手を組む何かのポーズを見せる。それに対してセシルも同じポーズで返した。
「アレ? 敬礼じゃないんだ」
茉理は小さく首を捻る。
つまり軍ではないということ……だろう。
「……教会の兵士とか、だったりする?」
茉理はチラリと一郎を窺うが、彼はセシルたちのやり取りなど完全に無視して、古い方の建物に吸い寄せられるように歩み寄る。そしていきなり懐からナイフを取り出すと、せっせと壁面を削り出した。
「おい、貴様! そこで何をしている!」
当然ながら、兵士は血相を変えて不審者一郎を取り押さえようとする。しかしセシルが真剣な顔で彼らを押しとどめた。
やはりこの場で一番偉いのはセシルらしく彼らは素直に静止する。だが目には不穏な光が宿ったまま。
いたたまれなくなった茉理は一郎に近寄って袖を掴んでやめさせようというフリだけ見せておいた。一郎がここで意味のないことはしないと知っている彼女の、取り敢えずのアリバイ作りだ。
彼は茉理の制止を振り切る形で結構な時間ガリガリと壁を削り続け、ようやく性格の悪そうな笑みを浮かべながら離れた。代わりに茉理が下から顔を出していたのは、茉理の目にも見覚えのある灰色の素材。
「ちょっと! これって、コンク――」
「――今文明にはない素材だな」
本能のままに叫びかけた茉理を一郎がさりげなくフォローした。彼女は危うく失言しかけたことを悟り、両手で口を塞ぎながら激しく頷く。
茉理は小さく「うわぁ」と呆けた声を上げながら目を寄せてじっくり観察する。何度見てもどんな角度から見ても、紛れもなく茉理の知っているコンクリートだった。
このセカイの建物は石積みやレンガ組みもしくは木造が基本なのだ。
「――珍しい材質でしょう? お二人なら絶対に喜んで頂けると思っていました」
セシルは二人を驚かせることに成功したので、ご満悦の様子だ。
「……あぁ、これはいわゆる古代文明時代の技術だな。素材としてはその辺りに転がっている砂利やら山で摂れる鉱石といった比較的手軽に入るモノで出来ている。……だがそれらを特別な配合で組み合わせて固め、今の時代まで残る強度を保たせるという技術は恐ろしいな」
一郎は何度もコンクリート壁面の撫でながら感心しているフリを見せる。
セシルも「全くその通りです」としたり顔で何度も頷く。
「――それはそうと、ラフィル教会の総本山もこれと同じ形態の建物らしいが?」
一呼吸おいてから一郎が鋭い視線で切り込んだ。いきなりのそのブッ込んだセリフにセシルは声を詰まらせる。そして首を振って大きく溜め息。
「…………よくご存じですね?」
「まぁ、これでも研究者だから、な?」
一郎は例によって答えになっていない答えではぐらかす。だがここで手早く空気を変えたかったセシルは、咳払いすると笑顔を張り付けて入り口を指し示した。
「さぁ、外壁だけでなく中にも興味があるのでは? せっかくご足労頂いたのです。ご案内いたしますよ」
部外者が中に入るのにはそれなりに煩雑な手続きが必要らしい。
しかしセシルはそれらを例の優雅な微笑みですっ飛ばしてしまった。何でも予め教皇の許可を得ていたらしい。セシル、茉理一郎の三人は呆然とした兵士たちに見送られる形で建物の中に入ることになった。
広々としたエントランスを抜けて、彼らは奥へと続く廊下をゆっくりと進む。その両脇には規則正しく部屋が並んでおり、ここにきて茉理は学校ではなく別の施設を思い起こした。
これは当たらずとも遠からずだと思った彼女はこっそり一郎の耳打ちする。
「……ここって病院、だよね?」
「……御名答。正確には大学病院だな」
一郎は先導するセシルの背中を見つめたまま、口をほとんど開かずに茉理の望む答えを返す。
「それにしても遺跡とは思えない程キレイよね?」
これはセシルに聞こえてもいいように大きめで。
先を行く彼も反応して振り返った。
「はい、それはもう。定期的に教会関係者が保守清掃を行っておりますし、守衛の者が常駐しておりますから賊なども入り込む余地もありません」
部屋の中身こそ持ち出されてすっからかんだったが、内装が朽ち落ちている感じは見られなかった。窓ガラスなども嵌め直されている。建物内を巡回している兵士ともすれ違ったりして、ド田舎の遺跡にも関わらずの警戒度が高い。ここが教会にとって重要な場所であると否応なく思い知らされる。
――さてさて、何があるんだろね?
茉理の靴音は無意識のうちに軽く高くなっていった。
やがてセシルは二人を奥まった部屋に連れて来た。この場所からは外観からは見られなかった中庭が見える。日がよく当たるのか大樹一本、天に向かってのびていた。
「……少しだけお待ちを」
セシルは壁に備え付けられた装置に指を押し付ける。
数拍おいてピピッという軽快な電子音がした。
――まさかの指紋認識!?
まだ、装置として生きているの?
驚く茉理を尻目に、床がウイーンというモーター音とともに口を開いた。
「さぁ、こちらです」
連続の驚愕で完全に固まってしまった茉理に対して、セシルはドヤ顔で床を指し示す。そこには真っ暗な地下へと誘う階段があった。




