第13話 ……明日は早いんだから、もう寝ろ!
「……ねぇ、センセ?」
一郎の隣で身体を固くして横になっている茉理が小さく囁いた。
彼は続きを待っていたが、彼女は口を半開きにして呼吸だけを続ける。
しばらく続いた重苦しい沈黙の後、彼女の大きな瞳から大粒の涙が一筋だけツツっとベッドに流れた。下に敷かれていた毛布に黒いシミが出来る。
やがてそれが吸い込まれ消えた頃、茉理は苦しそうな声でポツリと呟いた。
「――ねぇ、やっぱり何とかならないの?」
一郎は『何を今更』と言いかけて――口を噤む。
「……ねぇ、センセ? 何とかならないの? ……だってここってセンセの思い描いたセカイなんでしょ?」
いつものように『何とかしてよ!』と一郎の腹に拳を打ち込みながら叫ぶのではなく、『何とかならないの?』と。
このセカイに巻き込まれるような形で連れて来られ、怒鳴ってはいたものの、大して動じている風には見えなかった娘が、今は瞳にいっぱいの涙を溜めながら縋る様に苦しそうに言葉を絞り出していた。
このセカイの人間は茉理の言葉通り一郎の脳が生み出した幻影だ。
主人公のジークたちはともかく、フィオ少年に至っては完全に名前付きのモブキャラだった。今回限りのゲストで、次回以降登場の予定はない。
適当に脳内で組成され、パソコンのモニターで大量生産されてはバックスペースキー長押しで抵抗する間もなくあっさりと抹消される、そんな生物以下のあやふやな存在。
そんなモノですらない少年の、性格はおろか『いまだ名前や容姿すらまともに設定されていない』父と兄を助けて欲しいと、涙を流して願い出る彼女は一体何者なのだろう。
一郎は深呼吸し、一旦このモヤモヤした感情に折り合いをつけるのを断念すると、出来るだけ冷静を装って何とか一言だけ告げた。
「…………そうだな。まぁちょっとだけ考えてみるか」
「……いいの!? 大丈夫? 物語が破綻したりするコトはない?」
茉理は身体をガバリと起こして一郎に向かって乗り出した。ダブルベッドが激しく波打ち、端っこに寝ていた一郎は危うく転げ落ちそうになる。
彼女のゲンキンな姿に一郎は笑いをかみ殺した。
その表情は彼特有の皮肉気なものではなく、しょうがないなと言わんばかりで。
茉理は一郎らしからぬ、どこか包容力を感じさせる優しい笑顔に驚き、彼をまじまじと見つめる。
「……ったく! 露骨に変更を求めておいて、お前がそれを言うのか? ……明日は早いんだから、もう寝ろ!」
一郎は自分の顔が真っ赤になる前に、突き放し気味に言い放つと彼女に背中を向け、狸寝入りを決め込んだ。
翌朝一郎が目を覚ますと、茉理はすでに準備を完了させていた。
「……センセ、おっそーい!」
茉理は目をこする一郎に見えるよう、身体を起こした彼の前でモデルのような腰に手を当てるポーズをとってみせる。
「ねぇ、センセ、どう?」
「……いや、別に」
「ブッブー。マイナス十点です!」
不自然に上機嫌な茉理に一郎はどう反応すべきか迷う。
こちらのセカイのひらひらの服が気に入っているのもあるだろうが、昨晩の弱音をごまかす為の照れ隠しだろうと察し、特に何も口にしないと決め込んだ。
「こういう時はウソでも一言キレイだとか可愛いとか言うモノでしょうに!」
「……オレはそういうフワフワした、いかにも女の子ですって感じが苦手なんだよ。……普段のお前みたいな方がよっぽど――」
一郎はそこまで言いかけて慌てて口を閉じる。
だけど茉理は彼の失言に気付かなかったのか、平然とした顔のままだった。
彼は心の中でホッと胸を撫で下ろす。
「……中二病のセンセの意見はあんまり参考にならないからなぁ」
茉理は一言そう呟くと、素っ気なく扉を開けて部屋の外に出ていった。
「ふわぁふ」
あくびを一つして一郎もベッドから下りる。
強行軍で疲れていた上での夜更かしは、流石にアラフォーの身にキツかったらしく、彼は何度も首を鳴らして溜め息をつく。
「ファンタジー世界も善し悪し……か」
移動は電車か車の一郎からすればとてもじゃないが住みやすい環境とは言えなかった。それでもそれなりに楽しんでいる自分を発見して一人笑ってしまう。
「――修学旅行みたいだな」
茉理に頼めば、枕投げぐらいならブツブツ文句を言いながらでも付き合ってくれるかもしれない。彼はそんなくだらないことを考えながら着替え始めた。
準備を終えて家を出ると、フィオ少年を除く全員が庭奥の納屋の前に立って中を覗き込んでいた。
一郎も何事かと近付くと、中から少年の声が聞こえてくる。
「……ん? アレぇ? おっかしいなぁ」
「どうかしたのか?」
「いやぁ、ここにあったはずのオイラ愛用の槍がないんすよ。毎日欠かさず手入れしている宝物なのに」
一郎の問いかけにフィオが顔を出して首を捻った。
「ゴブリンが持って行ったとか?」
ジークが言うが、それは違うと残りの皆で否定する。
あんな小さい身体で人間用の槍なんて使えないし、そんな個体はいなかった。
「じゃあお兄さんかお父さんが使ったのかしら?」
今度はマリアが口を開く。
「いや、オヤジは斧しか使えないっス。アニキは何かあったら一番使い勝手のいい剣を使いますし、あの晩も確かに剣を持って戦っていました。ちゃんと覚えています」
ジークたちが揃って首を傾げる中、茉理だけは何かを察したようにハッと顔を上げて一郎を見つめた。
一郎はその視線から逃げるように俯く。
その耳が赤くなっていたのに気付いたのは茉理だけだった。
「……それに、お弁当を作ろうと思っていろいろ材料を探していたんですけど、明らかに逃げ出す前より食料が減っているんスよね。モンスターが取っていった可能性もあるんですけど、その割に家は荒らされていた様子はなかったですし。……不思議なことに昨日の晩はそれに気付けなかったんスよね」
フィオは更に別の疑問を口にする。
静まるその場で、茉理は意を決したように声を上げた。
「……お兄さんは槍も使えたりするのかな?」
質問の意味が分からないなりに、フィオは小さく頷いた。
「もちろんです。……だってオイラに槍の使い方を教えてくれたのはアニキっスから」
「じゃあ、取りに戻って来たのかもね?」
一転笑顔になった茉理の一言に少年が首を傾げる。
ジークとマリアは今の一言で察したようだった。
「取りに戻って来た……ですか?」
まだ理解が追い付かないフィオ少年に一郎が分かりやすく説明してやる。
「襲撃があった日、モンスターを倒していたら刃こぼれか何かでお兄さんの剣が使えなくなってしまった。使えそうな剣を探したが思うようなモノが見当たらない。だから彼は丁寧に手入れされているフィオの槍に持ち替えた。……チェリーはそう言いたいんだな?」
茉理が大きく頷くと、フィオ少年もようやく意味が分かったのか目を見開いた。
「……じゃあ、例の襲撃であの二人はちゃんと生き残れたってことっスか?」
「……だけどそうなると、ちょっと急がないといけないかも」
マリアが物憂げな表情で鉱山に視線を向けた。
その視線を追いかけてジークも頷く。
「フィオの父さんと兄さんは、元凶である鉱山のモンスターを退治しないと、皆が逃げ延びたコリン村まで危なくなると悟ったんだ。だから彼らはここに残って戦い続けることを選んだ。……この家で身体を休めながら、ね? ……それなら食材が減っていても全然不思議じゃない」
「素晴らしい責任感だと思うが、二人っきりで廃坑に巣くったモンスターをどうこうしようなんて少々無茶が過ぎるだろう。……フィオ、あとで二人に思いっきり説教してやるといい」
一郎は少年の頭を撫で、絶対に生きて会わせてやると言外に約束する。
「あぁ、そうだね。その説教に僕も一枚噛ませてもらおうかな?」
ジークも笑顔でフィオの肩を優しく抱く。
二人から力強い言葉を受けて少年の目にみるみる涙が溢れ、瞼一杯に溜まっていく。やがてそれが決壊し、絶え間なく地面に零れ落ちた。
フィオは涙を拭うと、じっとしていられないとばかりに鉱山に向かって駆け出す。
「ほら! まだ近くにモンスターがいるかもしれないから、離れないで」
マリアが笑顔で声を掛け、慌ててその後を追う。
それにジークが続いた。
茉理も追いかけようと数歩進んで……立ち止まる。
そして一郎に振り向いた。
そこにあったのは寝起きの一郎に見せたような無理して作った笑顔ではなく、心の底からの屈託のない弾けるような笑顔。
「……センセ。……ありがと、ね」
一郎は気を抜けば口から飛び出しそうな溜め息を強引に飲み込み、全神経を集中して表情を変えないよう歯を食いしばった。




