第25話 はてさて、キミも大変だね、……セシル
ストラディス帝国、その首都アルマ。ゴッドヘルで最も栄えている都市といっても過言ではない。
街は昼夜問わず人通りがあり、各商店の本店などもあり賑やか。生活レベルも他の地域と比べて高い。それもそのはず、セカイの富がこの都市に流入していた。その中心部にはセカイを統べる存在である帝国皇族の住むロール大宮殿がある。
そんな市街地を一望できる小高い丘。
さもヒトの営みそのものを見下ろすかのようなそこは、ラフィル教関係施設で占められていた。
その中に『総本山』と呼ばれる場所がある。
先進都市アルマでありながら切り開かれることなく自然が残された広大な敷地。歴史ある大聖堂だけがぽつんと建てられてある。
俗世間から完全に隔離されており、厳選された関係者のみ立ち入ることが許されるラフィル教のシンボル。
その最奥部、関係者でも立ち入ることを躊躇う、常に重い空気を纏った部屋があった。
中庭から朝陽が入る設計となっており、窓を開ければ市井の生活臭など含まない清々しい風が入る。それらは晴れやかな気分にさせ、朝の祈りの時間を殊更大切にしているラフィル教関係者にしてみれば最高の環境だと、少なくとも部屋の主である『彼』は大層気に入っているのだが。
今、部屋が明るく感じるのは、それだけではないだろう。
教皇ニコロ17世は目の前の人物に視線を移した。それを感じたのかソファに浅く腰掛けた女性が小さく首を傾げる。
早朝にも関わらず香り付けと称して紅茶に果実酒を多めに垂らすという、宗教関係者にあるまじき型破り。それでもなお神々しい。
彼女は『娘』の一人。
しかも教皇が『長女』として特別に扱っている女性だった。
大きめのフード付きローブを羽織っていることもあって目元から下しか見えないが、それでも絶世の美女であることは誰が見ても理解出来ること。
事実、その面差しは幼女の頃から他の追随を許さない程までに際立っていた。
束ねられた銀色の髪が一房、右肩に垂らされている。朝日で煌めくその髪色で目立たなくなってしまったのが非常に残念だが、無二の存在感を示す銀色のペンダントが胸元で輝く。
彼女は教会最秘奥組織『巫女』。
その筆頭を務めて、そろそろ三十年になろうかとしていた。
「――それでは行ってまいります」
女性は衣擦れの音と共にゆっくりと立ち上がると、椅子に腰かけたままの教皇に恭しく一礼した。
そもそも彼女が訪れたのは出発の挨拶の為だ。
それなのに何故かいつの間にか部屋に持ち込んでいた茶器で紅茶を淹れ始め、懐に隠していた小さな酒瓶を取り出し、世間話をしながら本格的にくつろぎ始めたのだった。
「あぁ、道中はくれぐれも注意するように。帝国内はまだしもディーゼル王国はそれなりに乱れているからね。護衛の者をつけているから大丈夫だと――」
そこまで告げて、教皇は顔を顰める。そして小さく嘆息。
「……いつものように撒くのが目に見えるけれど、ね?」
「さすが『お父様』本当によくお分かりで。……人を撒くのは私の唯一の得意技ですの」
ふふふと女性は微笑む。
到底、幼女の頃からラフィルの巫女筆頭として数々の奇跡を周囲に見せつけてきた人間の言葉だとは思えなかった。彼女の底知れなさはそれこそ『父』である彼が一番よく知っていることだった。
「……まぁキミさえ無事ならば好きにしてくれて構わないよ。……ただ、仮にも『聖女』を名乗るならば、護衛する彼らの苦労も察してやってくれないかな?」
どうせ何か厄介なことに巻き込まれたとしても、いつものように口八丁で切り抜けてしまうのだろう。
最悪、交渉できないモンスターが相手でも『その気』になれば、どうとでもしてしまう。
教皇はそんな守り甲斐のない人間の護衛に任じられた者を想い、弱ったような笑顔を見せる。
彼が微笑むと周囲が明るく照らされるように感じるというのは、彼のことを良く知る者たちが口を揃えて言う言葉だった。
彼こそ、歴代で最も尊い教皇だと。
事実、彼が主導するようになったこの三十年、ラフィル教は帝国内そしてセカイで唯一無二のともいえる宗教にまで上り詰めた。
支配下に置こうとすれば必ず反発する。
かと言って、おだてれば調子に乗せてしまい制御不能となる。
そんな扱いづらい『巫女』たちに歴代の教皇たちは頭を痛めてきた。
しかし当代の教皇である彼は完璧な連携をとることができた。
……だからといって頭を痛めていない訳ではないが。
何にしろ『理解ある教皇』の後押しの下、巫女の奇跡は『風聞』でなく『誰もが目にすることの出来る事実』となり、教会の権威高揚に一役も二役も買った。
そして今回、影響力を更に強固にするため、近隣国の要請に応じて遺物を届けに行くのだ。……他ならぬ、『巫女』筆頭である彼女が――。
「それならば、いっそ護衛など必要御座いませんわ」
皮肉気に歪めてもその美しさは全く陰らない。
「そうはいかないんだよ。一応キミは聖女なんだ。そこはいい加減自覚なさい」
「先程から、『仮にも』だとか『一応』だとか、随分棘がありますのね?」
娘は拗ねたように口を尖らせる。もちろんそういう二人の『遊び』だが。
最後に折れるのはいつも教皇の方だ。
「…………はぁ、……もう分かったよ。護衛する者にそれとなく『撒かれる覚悟をしておくといい』と伝えておくから。……『撒かれても焦らなくていいから』と」
教皇の仮面を取っ払った言葉に、聖女が握りこぶしをつくる。
「そういうことです! これから先も、ずっとそういう感じでいきましょう!」
彼女の微笑みは女神の祝福と同じである、というのは奇跡的に彼女と時間を共にすることが出来た人間の言葉だ。そういう意味では二人とも似た者『親娘』であった。
「調子に乗るんじゃないよ、まったく」
「……では『弟妹たち』によろしく」
彼女は逃げるようにそう告げると、踵を返して扉に向った。
「――あぁ、肝心なことを言い忘れていました。新しく『彼』につけることにした者からの定時連絡です。……ツーグ遺跡に眠っていた兵器が賊によって起動、そして暴走したそうです」
扉のドアノブに手をかけて彼女は振り向いた。
先程と違い口元に笑顔は残っているものの、声色はどこか真剣で。
教皇も心持ち構える。
「……それはそれは。キミも相変わらず情報が早いね」
彼が今朝、遊撃隊から軍へと出向させているジャックから受けた報告と同じものだった。だがそのことは伝えず、どうとも取れる表情で頷いておく。
彼女も気にしていないのか、続けた。
「『彼』とその場に居合わせた冒険者四人組によって排除。うち二人はヴィオールで古代文明を研究している者だそうです。……まさかオーバーモードが起動する程の事態になるなんて」
ここにきて聖女が少し困ったような表情を見せる。それでもまだ微笑みまでは消えない。
少し気になる言い回しだったが、イチイチ相手にしていては出発の時間が伸びてしまう。
教皇はそれに気づかなかったフリをして肩を竦めるに留めておいた。
「……今はあの国のことは放っておいていいだろう。それよりも『彼』の身は何があっても守るよう厳命しておいてくれ」
「はい。でも簡単に守らせてくれるとは思えませんよ? すでに『お父様がつけていた者たち』は撒かれていたそうですから。……ちなみに人の撒き方のコツは、私が丁寧に教え込んでおきました」
「余計なことを……」
教皇は溜め息を吐くと、反撃代わりに少し突っ込んだことを訊ねる。
「それより賊は誰にオーバーモードの起動法を教わったのだと思う?」
「さぁ? 流石にそこまでは分かりかねますわ」
それこそ、どうとでも取れる口ぶりで今の言葉を部屋に置いた彼女は、振り向くことなく扉を閉めて去っていった。
教皇は立ち上がると窓を開け放った。
瞬く間に新鮮な風が舞い込み、果実酒の匂いが消し飛ばされる。
ラフィルの巫女は特殊な存在だ。
彼女たちが『清らかな身体のまま』総本山の最奥に置かれるのはそれゆえ。
勝手に子供を持ち、それらの子供がさらに教会の知らないところで子供を持つと教会の優位性が崩れかねない。
だから大昔より、ラフィルと親和性の高い魔力を持つ娘を教会が率先して『保護』してきた。
不満に思わないよう、教皇に次ぐような立場の巫女として。彼女の家族にも手厚い保障をして。
巫女に選ばれるのは名誉なことだと、教会は何百年もかけて民たちにそう刷り込んできた。
そうやって教会は社会的地位と慈悲を独占してきたのだった。
教皇は何度目かになる溜め息をつく。
先程、部屋を出て行った彼女はそんな長い教会の歴史の中での『例外中の例外』。
能力、実績、経歴、そして性格。
全てが例外であり規格外。
彼女が退屈な日常を紛らわせる為に、裏でセカイを引っ掻き回すさまを彼は何度も見てきた。
教皇と親衛隊はいつもそれの後始末をさせられる。
その度に教会の権威が高まっているのが皮肉な結果だったが、それも彼女の計算のうち。
何にしろ、彼女がまた動き出したのは事実だろう。
時期を見れば。『彼』と皇位継承に関係していることは間違いない。
「はてさて、キミも大変だね、……セシル」
教皇は小さく呟いた。




