第27話 何も怖がることなんてない!
小鹿亭の17号室。
ジークはその前に立ち控えめにノックする。とはいえ、ここは彼の部屋だ。
「……はい」
「僕だよ」
彼がそう囁くように告げるとカチャリと開錠音がして、ゆっくりと扉が開かれる。出迎えたのはマリア。カギを掛けておいてという彼の言葉を律儀に守ってくれたのが嬉しかった。
もう不埒な人間が彼女を誘拐しにくるとは思えないけれど『それはそれ、これはこれ』とジークは考える。二度とあんな想いはしたくなかった。
「お待たせ。まずはこれを飲んで落ち着こう?」
ジークはテーブルの上に湯気の立ったホットミルクを置いた。
ヨハンとチェリーのヴィオール組と裏庭で別れた彼らは『全て』に向き合った話がしたいと考え、ジークの部屋に場所を移した。マリアはどうしても聞いて欲しいことがあるのだと先に口を開いたのが、声が擦れて痛々しいことこの上ない。
だがらまずは温かい飲み物をと思い、マリアを部屋に残し、起きていた宿の主人にお願いしてホットミルクを作ってもらったのだ。ジークとしても一旦落ち着きたかったので、カップを傾け少しだけ口に含む。
「……熱ッ! おやっさん、少しは加減してよ」
猫舌のジークは何気なく主人に八つ当たりするのだが、それが可笑しかったのかマリアが少しだけ頬を緩めた。そして彼女もゆっくりと飲み始める。
「無理を言ってごめんね? でもさ、ジークって本当にそういうところに気が付くイイ子だよね?」
マリアが弱々しい笑みでジークを見つめていた。
二人の中で年齢や個人情報に関わる話はしないという暗黙のルールのめいたものがあったが、それを今彼女は意識して破ったのだとジーク――明神悠一は理解した。
――おそらく、彼女が話したいのは『現実世界』でのマリアのこと。
「……そんな人を年下みたいに」
「年下でしょ? おそらく学生さん。……高校生かな? もしかしたら中学生かも」
マリアはジークの目を見て首を傾げる。
彼はどう反応すべきか迷った末に正直に伝えることにした。
「高校一年生だけど……」
「やっぱり。そんな気がしたわ。……じゃあ、なおのこと私はキミには釣り合わないね」
マリアが初めてジークをキミと呼んだ。
でもそれはどこか他人行儀で――。
「……マリアはOLさん、なの?」
社会人という言葉があるのだが、ジークはとっさにそれが出てこなかった。
とりあえず学校と呼ばれる組織は卒業しているのかと、そういうことが聞きたかっただけで。
だけど今のジークの言葉は、マリアをほんの小さく、だけど確実に傷つけた。彼自身もそれが分かった。彼女の顔が僅かに陰ったのだ。
――そうさせたのは自分の無神経な言葉。
ジークはひたすら自分の言葉足らずを恥じる。
「そのことも含めて私の話、聞いてもらえるかな?」
こうしてマリアの話が始まった。
次々と明らかになる彼女の過去。
家庭不和。
夜遊び。
好きでもない男との性交渉。
妊娠からの退学、放逐、そして出産への流れ。
今はキャバ嬢として派手で露出高めの服を着て男をその気にさせ、そこで得た金で母子ともに何とか生きているということ。
マリアは包み隠さず話した。
時に露悪的な表現で自分を卑下しながら、嗚咽しながら、……過呼吸で苦しみながら。
全てを。
……全てを話した。
それは未練を断ち切るためだった。
ジークへの、このセカイへの、初恋の――。
それは想像していたよりもはるかに重いモノで、高校生の彼では受け止めることが困難な話だったけれど、不思議と彼女のことをより深く好きになっている自分を発見していた。
話を終えたマリアは『これで分かったでしょ」と言いたげに、少しだけ荒んだ目でジークを睨みつけた。どうしたものかと彼は彼女を見つめ返し、溜め息をつく。
その仕草にマリアは怯えるように肩を震わせた。
きっと彼女はいつも誰かの目を気にして生きてきたのだろう。
そんなマリアを想うと切なくて、そして愛おしい。
――呆れるほど僕と一緒だったんだね?
溜め息って本当に怖いもんね?
ジークは立ち上がり彼女の横に立つと、座ったまま怯えたように彼を見上げるマリアに笑いかける。そして覆いかぶさるようにして強く抱きしめた。
「マリア、いえ、月野瀬友佳さん。……僕はずっと貴女のことが好きでした。……今もその気持ちは全く変わりません」
ジークが身体を離すと、驚くように目を見開く彼女と目が合った。
相変わらず彼女は美しい。でも所詮これは仮初の姿。
だけどそもそもジークは、マリアの姿形ではなく友佳という彼女の中身に惚れ込んでいたのだ。
どこか遠慮がちで、でもいざとなったらジークよりも断然肝が据わっていて、あまり知られていないけれど天然なところがあって。
何より、人の痛みを理解できる優しさがある。
ジークはマリアへの溢れる想いを噛みしめながら、あのときのケヴィンの言葉を『本当の意味』で理解した。
――そっか。
だからあのとき、ケヴィンはエレナさんを幸せにしたいって言わなかったんだ。
幸せになりたいんだよね?
マリアを手に入れて僕自身が幸せになりたいんだ!
幸せでとろけるようなマリアの笑顔を、一番近いところで見つめることが出来る僕。そんな僕はきっと世界一の幸せ者だろう。
周りの男たちは指を咥えて羨ましがるに違いない!
なるほど、よく分かった。
これは男のワガママだ。ただのエゴだ。
……でも、これが人を愛するということなんだ!
ジークは生まれて初めて勝ち取ったこの震えるほどの熱情を胸に抱き、誇らしく胸を張った。
急に笑顔になった彼に、マリアは当然のごとく怒り露わにする。
「ちゃんと今の話、聞いてくれていたよね? だったら――」
「それじゃ、今度は僕の話だよね? ……そうじゃないとフェアじゃないもんね?」
ジークは笑顔のまま彼女の言葉をぶった切る。
いきなりの展開にマリアは慌てて首を振った。
「いや、そうじゃなくて。……その言いたくなければ別に言わなくていいんだよ? 私が勝手に話したくて話しただけなんだから――」
マリアは今回の誘拐事件で精神的に疲れ果てていた。その上、初恋のジークに嫌われるのを覚悟で隠しておきたい過去を話すという一種の自傷行為までやった。
そんな状況でもなお、彼女はジークの傷つきやすい心を気遣える優しさを持っていた。それが痛い程分かるだけに、ジークはマリアへの想いを更に昇華させる。
「ううん、聞いて欲しいんだ。僕のことをちゃんと知って欲しい。他ならないマリア――友佳さんに。僕の今のこの気持ちも含めて全部全部何もかも知っていて欲しいんだ!」
ジークがいつになく強い口調で諭すと、彼女は納得したのか小さく頷いた。
「僕は明神悠一。先程言った通り高校一年生です。そして生まれつき足が――」
ジークは何もかも隠さず全て話すことにした。
マリアだって勇気を振り絞って過去を赤裸々に話して見せたのだ。
――だったら、僕だって!
何も怖がることなんてない!
一番怖いのはマリアのそばにいられなくなることだ。
それ以外は全部些細なコトだ。
覚悟を持った目で話し出すジークのことを、マリアは真剣な目で見つめ、一言も聞き漏らさないよう耳を傾けた。




