第76回 「恋してるんじゃないのか?」
テー テレッテ テー テテルテー♪
携帯端末に音声通話の着信を告げる、電子音に。
否応なく覚醒を促される。
薄く目を開け、しかしながら自分の視界が暗いままなことを訝しみ。
頭を振って、意識をはっきりさせようとする。
頭部に、余計な重みを感じる。
何度目かの瞬きの後。
真っ黒に塗りつぶされた視界の真ん中に、簡潔に映し出される白い文字。
"活動的脳信号を受信できない状態が10分以上続いたため、強制的にログアウトしました"
げんなりと。
HMDを取り外してPCデスクのホルダーに掛ける。
どうやら寝落ち。
どうやら座ったまま朝まで眠り。
どうやら先ほどの電話は、始業時間になっても現れない俺を不審に思った級友からのもので。
体中が痛い。
眠気も、うまく抜けない。
俺は眠くて。既に遅刻が確定していて。
だから。と言っては何だけど。
これは後から気が付いたことだけど。
その暗闇に浮かぶ文字列に、つい最近、ほんの数日前疑問に思っていたことの"答えの様なモノ"が映し出されていたことに、全く、サッパリ、これっぽっちも、気が付いていなかった。
既に遅刻は確定的。
と。いうか。
自宅にいる現在時刻にして既に"遅刻している"。
だから、今更慌てるでもなく。
ギシ。
と。
静まり返った自室に音を響かせて。
俺は椅子の背を軋ませて、天井を仰ぎ見る。
閉じたカーテンの隙間から差し込む日差しは、其れだけで今日が晴天であると知るに足る。"何もない"と思っている場所の埃が陽光に照らされて、その空気が動いていると知る。
それでもなお薄暗い部屋。自室。白い壁紙の天井。
現
実
2045年 6月 12日 月曜 朝 8:43
──ばかやろう。
結局、依存しまくってるんじゃないか。
◇◆◇◆◇
「・・・・・」
1限と2限は完全にすっぽかす。
3限目からの出席を狙って、休憩時間に教室に滑り込む。
極自然に。まるで居て当然といった体で。さっきまで居たけど、一旦トイレにでも席を立って、今戻りましたとでもいうかのように、教室の入口をくぐる。
「あ、マイー。重役出勤、ご苦労様デース!」
だというのに。
斎藤の野郎は目ざとく気が付いて、俺の遅刻を聞こえよがしに周囲にひけらかす。幸いにして、周囲のクラスメイトはにこやかに手を振ったりするくらいで、特別絡んできたりはしなかった。
とりあえず斎藤をひと睨みして、何事もなかったかのように席に着く。
その日の授業はまるで頭に入らなかった。
そう言うと、まるで普段はちゃんと勉強しているように聞こえるが、そんなはずもなく。ああ、うん、そう。何時にも増して。
その日の授業はまるで頭に入らなかった。
マナ。
マナ。 マナ。 ・・・マナ。
今、何してる?
最近急速に親密になりつつある、"同性の"女の子の顔を思い浮かべる。
"めんどくさい奴だ"
"でもすげー可愛くて"
"一緒に居ると何やってても楽しくて"
"でもアイツには何か抱えるものがあるらしくて"
"俺はアイツと、心から笑い合いたくて"
なぁ?
今も、"独り"なのか?
一人暮らしみたいな・・って言ってたけど、その、実の父親が? 殺したいほど大嫌いだから、家を出てるのか?
俺が。
しがない高校生男子の俺が。
いくら親と喧嘩しようが、"このクソおやじ"だの"クソババァ"だの呼ぶ事は有っても。
あんなふうに。
あんなふうに、思い詰めた表情で、"あの男"呼ばわりしたことなど、一度たりとも無い。
俺が、17年間生きてきて、ただの一度たりとも感じたことの無い様な怨嗟が、その声に潜んでいるのを、確かに感じた。
"普通に生きてきたユージンにはわからない!!"
自分の腕の中で、泣きながら訴える彼女の顔が、フラッシュバックするみたいに──
◇◆◇◆◇
昼休み。
購買部で購入した何かを、自分でも信じられないくらい無感動に、ただ口へ運ぶ。何買ったんだっけ。自分の口元を見る。かじりかけのサンドイッチが其処に有った。そんでようやく、先ほど購買部で購入したのは"サンドイッチ"であったと自覚する。
まるで"向こう"で食ってるのかと思うくらい、味がしない。
市内 とある県立高校。 屋上。
「マイー」
自分を呼ぶ声。というかこの呼び方をする奴は限られていて。
「んだよ、斎藤」
めんどくさい感情を隠す気もなく、振り向きもせず。
「なんだとはご挨拶だ。お前、ひっでぇ顔してるぞ」
だろうな。
俺は自嘲気味に笑うと、斎藤を振り返る。
「TWOですげーカワイイ女の子が、俺を放っておかなくてさ。寝かせてもらえなかった」
「・・・・・」
「・・・って。言ったら、笑う?」
たしかに、ひどい顔をしていたんだろう。
そう言われた斎藤は珍しく茶化すことなく、ただ黙って方眉を吊り上げる。そのまま俺の横に並んで立つと、手すりに持たれて頭を掻いた。
「女の子、居ないんじゃなかったのか?」
「あれから何日たってると思ってんだよ。有ったサ。出会いが。すっげぇ可愛いんだ。それで滅茶苦茶良い奴で。それで──」
「・・・少しも嬉しそうに聞こえんぞ」
「──それで、滅茶苦茶メンドクサイ奴なんだ」
溜息を吐いて。散々無碍に扱っておきながら、救いを求めるような目線を向ける。
「女なんて、そんなもんだろ?」
「そうかな」
「何を悩んでるか知らんが、らしくないぞ」
「はッ! 俺らしいって何だよ。 じゃあこのもやもやは何だ。気持ち悪さは何だ。それさえもお前になら"お見通し"だって言うなら、教えてくれよ」
俺はいよいよ自覚するぐらい、顔を歪めて、斎藤を問い詰める。何か答えを期待しての事じゃない。これは八つ当たりだ。くそ。
だというのに。
気の利いた返事など期待していなかったというのに、斎藤の野郎はキョトンとした顔で一言、それを言ってしまうんだ。
「そりゃお前、それって"恋"してるんじゃないのか? その娘に」
「は?」




