第68回 「勇気」
「XXX-XXXX-XXXX」
「・・・えっ?」
突然。脈絡なく。意味不明な──いや、意味はあるんだが──マナにはとっさに解らないような数字の羅列に、彼女は間抜けな声を上げる。
「いいか、メモっとけよ? XXX-XXXX-XXXXだ」
「え? え?」
「そんで■■県■■市──」
「え、あの、ユー・・ジン・・?」
「■■町■■XX-X サン・ボックスっていうアパートの103号室」
「──ッ!」
ここまで言えば、マナにも分かったろう。
俺は、オンラインゲーム上で、本来自らが納得済みであろうとも禁忌とされることを口にしている。
そう。
「俺の、電話番号と、住所。 そこに、俺がいる。 ほら、これで俺はもう逃げようったって逃げられない」
「・・・ユージン」
「ずっと、一緒に、居る。 これで信じてくれるかわかんないけど、ええと、その、なんだ」
「な・・・んで? どうして、そうまでしてくれるの? 顔も知らないような、こんな"男女"のためにっ」
「何で・・? そりゃお前が──」
そりゃ、お前のことが。
あ、あれ、ええと。
俺は、マナの事が・・・。
俺は。
「お前が・・ええと、あー・・悪ぃ。 それもうちょっとだけ・・・ぼかしといて・・いい?」
自分でも赤面しているのがわかる。
なんでかって? そりゃこの気持ちが"何か"くらい、なんとなくわかってる。
でも、自分の個人情報すら暴露したというのに、"そっち"を言葉にする勇気はなくて。
まだ、なくて。
いつの日か。
今日の事を思い出して、"若気の至りだ"なんて。
そんな風に思うことが、有ったりするんだろうか。
「──・・・不思議な奴だなぁ、きみは」
ふと、ようやく。
ようやく、マナが苦笑──それでも笑顔──を浮かべて。
そんな言葉を、あからさまに、思わせぶりに。
デジャヴ。
俺はそのやり取りをしたことがある。
「そうか?」
とぼけた様に、そう返す。
マナは泣きはらした眼の涙を、そのまま引き継いで嬉し泣きするみたいに顔をくしゃくしゃにして、笑う。
女の子みたいだ。
本当に、女の子みたいだ。
泣き笑いながら。
マナは俺に身を預けてきた。
なるべく優しく。こんな、何もかも覚束ない大馬鹿野郎の手で、それを包み込んで受け止める。
「信じちゃうぞ」
腕の中で、声。
「告白──されたみたいに──言うなよ」
ここまでが繰り返し。
あれはいつの事だったっけ。
なんだか遠い昔に思えるそれは、少なくともたった一ヶ月以内の何処かであるはずで。
其処に一言だけ、付け加えておこう。
今はそれで精一杯。
「──まだ、してねぇ」
ごめんな、マナ。
「ありがとう・・・ユージン。 ありがとう・・ね」
俺の胸に顔を埋めて、ようやく。
ようやく安心した声。
◇◆◇◆◇
「ぼく・・ね・・」
「え・・・?」
しばらくして、落ち着きを取り戻した俺たちは、そのまま安心したような、気恥ずかしい様な複雑な気持ちで、そのままベンチに佇んでいたが。
唐突な声に、間抜けな声を漏らす。
「一人暮らしみたいなものって・・・言ったじゃない?」
「マナ・・?」
沈黙を破って話し出すマナに、驚いて、そんな言葉しかとっさに出せなかった。
「何から言ったら・・ええと、ほら、"お父さんと何があったの?"って話」
そう言って、此方に顔を向ける、マナ。
苦々しい顔で、苦笑。
俺は多分に興味を惹かれながらも
「無理──・・して、言わなくても・・良いんだぞ?」
言って、マナが傷つくなら、と。
俺がそう言うと、マナは軽く首を横に振って。
ああ、この綺麗な髪が震えるのが、初めて見た時から、たまらなく好きで──
「ううん。 きいて、欲しいんだと思う。 たぶん」
「そっか」
そういえば、マリーが昔話してくれた時も、そんなこと言ってたな。
なんて、ふと思う。
うん・・。
マナが、ある程度吹っ切れていて、吐き出すことで少しでも救われるなら、そうした方が良いのかもしれないな。
「僕には、両親と、兄が一人・・・居ました」
いました。
そんな切り口から始まる。マナの語りに、ただ黙って耳を傾ける。
何が聞こえてきたとしても、眼を──耳を?──心を、背ける事はすまい。
「僕の家は、その、ちょっと気難しいっていうか、格式を重んじるようなところがあって、両親はとても厳しい人・・でした」
「ちょっとした娯楽も、本当に小さいころは何も言われなかったけれど、あんまりよくは思ってなかったみたい。・・例えばゲーム。そんなものやってる暇が有ったら少しでも勉強して、良い大学に行って、良い仕事に就きなさい、とか」
「家の名に恥じない様に、とか、世間に誇れるような、とか絵に描いたみたいな堅苦しさで。お母さんにしたって、自分の子供を"着ていく服の一部"みたいに思ってる節があって、とにかく息苦しかった」
「お父さんも、何かあれば二言目には、"俺の顔に泥を塗るな"ってひとだったよ。とにかく僕に求められるものは、"他人に話せるステータス"みたいなものばかりで、僕は自分と同じ生き物のはずの家族が、理解できなかった」
「そういう意味では、兄は"完璧"な人だった。ううん、人だった?本当にアレはニンゲンだったの?まるでコンピュータみたいに、ただひたすら両親の望むことだけし続けている様に見えた」
「そして比べられた。百点満点の兄と、ずっと比べられ続けた。95点をとった。5点足りないと叱られた。98点を取った。2点・・・足りないって。"足りない"って、叱られた。僕が、兄よりゲームが上手なことなんて、もちろん汚点でしかなかった」
「そんな中、密かに。僕には他の誰にも言えない・・・その、ごめん、それはまだ言えないんだけど、"悩み"っていうか、"望み"っていうか・・」
「小学校の高学年くらいからかな・・・僕の中には沸々と燻るものがあって。それは歳追うごとに強く、確固たるものになっていった。でもそれは、今の世の中には認められにくいもので、事実、学校でそれを少しでも出そうとしたら、囲まれて、指さされて、ひどい扱いを受けたよ」
「"そのこと"をお父さんに・・家族にだけは認めてもらいたくて、中学時代は努めて両親の望むように振る舞った。学校の成績も、完璧に、文句のつけようのないものを心掛けた。卒業間近になって、兄も、そして両親も"見る目が変わった"って顔してた」
「そこに至るまで、張り付けた仮面みたいな"いつもの僕"の裏で、でもやっぱり、その"悩み"は燻り続けていて、どんどん大きくなって。有名な進学校の試験にパスしたのをきっかけに、僕は自分の望みを両親に打ち明けた」
「結果だけ言うなら、もうメッタメタのズタボロ。そこまで言わなくてもいいじゃないかってくらいの非難の嵐。人格否定。存在否定」
「結局、僕は、その"悩み"を世間に公表して、表ざたにするつもりなら、親子の縁を切る・・・まで言われて。ああ、僕がこの人たちに認めてもらうために費やした、この三年間は何だったんだろう。この人たちに"認めてもらう"ことに何の価値があるんだろう? って」
「そんな風に、"あの時の僕"を否定したくせに・・・あの父親・・・あの男!・・・あの男はッ!・・・──ッ!?」
最後の部分で、マナの語気は急速に激しくなり、ひどく高ぶっていた。
わなわなと手を震わせ、眼を見開いて、まるで、オルヴェ相手に我を忘れた様に斬りかかってしまった、あの時の様な・・・。
俺はそれ以上喋らせたら、また彼女の中に"黒いもの"が溜まり込んでしまう様に思えて、その肩を叩いて、止める。
「今日はここまでにしとこう。また、止まれなくなる」
「あ・・あ」
マナははっとしたように自分の手を見て、それを、いつか見たみたいに握ったり開いたりしながら、ふーっ、と、長く息を吐く。
「ご・・めん」
「いいんだ。 いつか・・・話せる時が来たら、その"悩み"ってやつ。 俺にも教えてくれよ・・なぁ」
そう言って、俺はマナの頭を撫でた。
いつか、話せる時が来たら・・・。
か。
逃げた、かなぁ。
でも止めなきゃ、なんか危うい感じがしたし。
マナはこう、なんか思い込んだら廻りが見え無くなる節が、ちょっと、ある。
自分で言った言葉で自滅・・とか普通にやりかねない。
「ねぇ」
「う、うん?」
とか考えてるところに突然話しかけられて、少なからず、動揺する。
そんな俺とは裏腹に、マナは、なんかちょっと吹っ切れた様な、晴れ晴れとした顔で、その後を続けた。
「僕はまだ、キミの隣にいてもいい? 幻滅・・してない?」
おや。
それを、その顔で、言えるのなら。
「してたら、黙っていなくなってるさ。マナこそ、こんな頼りない奴に、愛想は尽きないか?」
「頼りになるよ。ユージンは。 すっごく。 頼りにしてる」
「はは、"責任重大"だな」
「そうだよ。僕を女の子の姿にした責任、ちゃんととってよね」
「んうぇえっ!? な、なんでそうなる!?」
「最初の夜に、この姿に理由がいるなら、"俺が望むから"でいいよ。 って、言ってたもん」
くすり、と、含むように笑って、そんなことを言う。
"言ってたもん"
とか。
ああくそ。
ああくそ、かわいいなぁもう。
本当に。かわいい・・なぁ。
「ああもう。まいった。負けだ負け。その通りだよ」
「ふふ・・もう、冗談に決まってる・・でしょ?・・・でもその、これからも・・・どうか、よろしくおねがいしますね」
そう言って。
やっと。
やっと、笑ってくれたんだ。
「ああ、もちろ──ん?」
「にゃ」
にゃ?




