第30回 「月光に舞う」
夜の共同墓地は、もうそれだけでホラーといった体である。
マリーが唱えてくれた光源の魔術で、俺たちの周囲は相当な明るさだが、逆にそれが墓地の景観を詳細に浮かび上がらせる。
なんというか、墓石に刻まれる文字すら、読もうと思えば読めそうだ。ここまでのゲームのこだわり具合を見れば、あの苔むした墓石から、苔だけつまんで剥がせたとしても何もおかしくないとさえ思う。
「さて、さっき話した通りだゼ、御両人。おれっちがクエストを開始したら、何にも構わず走って城門まで、だ」
マリーがおさらいをするように言う。
「クエストが開始されると、まずこの墓地で違法に死霊魔術を行使する魔術師を捕まえようってパートから開始されるから、魔術師には目もくれないでダッシュだ。オーケイ?」
俺とマナは黙って頷いた。
正直俺個人的には魔術師パートにも興味はあったが、俺とマナが一度でも交戦状態になると、後がやりにくいというので黙って従う他ない。
俺たちはマリーがクエスト開始ボタンを押して、目の前にログが表示された瞬間から全力で走って、ヴァルハラ市南門を目指す。
長いスカートに変えたマナが、何か走り辛そうにしているのを見て、歩調を合わせ、手を引く。
出た時と違って、どういうわけか無人の城門と詰め所を横切り、勝手ながら見張り台の上まで登っていく。
走ったのはアバターだ。俺たちに疲労感はないが、現実の俺たちの興奮を詳細に読み取られているのか、お互い荒くなった息を整える。
そしてお互い顔を見合わせ、ごくりと唾を飲み込み、そして、頷き合う。
非貫通タイプの、ダミーピアスの体をした耳飾りに触れ、遠くを見ようと念じる。
マリーから渡された遠視アイテムだ。
見張り台から、墓地を見下ろしながら、視覚を拡張していく。
それはやがて、墓地に一人佇む、マリーシアの姿を映し出す。
考えてみれば奇妙な絵面だが、赤ずきんを緑にしたような村娘風の格好をした少女が、取り残されたように一人、墓地に佇むのは、何かの映画のワンシーンの様だった。
よく見れば、恐れ戦いた表情を見せながらも、どこか勝ち誇ったように逃げ去る魔術師の姿。
今度こそ本当に一人、墓地に佇むマリー。
その口元が。
ニヤリ。
と、ほくそ笑むのが、まるで合図だったかのように。
一斉に周囲の墓石が倒壊し、四肢のどこだかわからないくらい腐敗した手足があらゆる地面から突き出される。
あれよという間に地面に這い出た其れは、ある程度ヒトの体を成しているものもあるが、中には生々しく臓器を露出させているものや、今まさに最後の筋組織が引き千切れ、足元へ落下するもの。
抜け落ちた歯。頬肉が貫通し口腔内が不気味に照らされるもの。落ちくぼんだ眼孔に、よく見れば寸断され、なお残った視神経等。
「うぐぉ・・・!!」
「ひ・・・っ!!」
さすがに俺も呻く。マナは顔を背けてしまい、俺にしがみ付いてぶるぶる震えている。
リアル・・っていうか。必要があるのか。
腐敗、損壊した人間の死体、というやつを表現するにあたって、ここまで詳細にする必要があるのだろうか。
だって、ゲームなんだ。ゲームなんだぜ?
くそ、それでも見ておかなければ。
こいつらがどんな動きをして、どんなふうにマリーに襲い掛かるのかを。
自分がそうなった時の為に。
マリーはというと、準備運動のように手を握ったり開いたりしていたが、ふと思いついたように自分の掌を見ると、顔を顰める。そして徐にインベントリから鉈の様な剣を取り出す。
ああ、やっぱりさすがのマリーも、素手で殴りかかるのは気持ち悪いようだ。
しかし、武器を構えたマリーは、魔術の明かりの下で、不敵に笑う。
地表に這い出たゾンビは立ち上がれるものは立ち上がり、四肢の欠損があるものも運動能力の限り、這いずったり、足を引きずったりしながら、マリーに殺到する。
「・・・早い」
「・・・っ!」
呟いたおれの言葉に、顔を背けていたマナも、墓地の方へ向き直ってしまう。
しかし、想像以上に速い。
俺の想像する"ゾンビ"ってやつは、ぼろぼろになった体で足を引きずるみたいにゆっくりと、それこそ歩いていれば追いつかれないかのようなスローで襲い掛かってくるものだった。映画とか、ゲームとかで見た其れは、ストーリー上の"容易に移動できない状況"がそれを脅威に変えているものだった。
だが目の前でマリーに殺到するゾンビ共は、中には普通の人間と比べても遜色ない速さで走っているものもいる。
筋組織がつながっていて、物理的に人の形を成していて、痛覚が無いのであれば可能。
ということなのだろう。
なるほど、初見であの速さのグロモンスターが接近してきたら、パニックになっていただろう。
マリーが、ゆらりと動く。
次の瞬間複数のゾンビが、文字通り肉片に変わる。いつかの裏路地で見た、悪漢の取り巻きがそうされたように、"切断"を超えた高速の衝撃によって、破壊の過程をいくつかすっ飛ばしていきなり血飛沫に変えられるような、あの状態だ。
マリーは魔術光の下で、踊る様にゾンビたちを屠ってゆく。
だが、ゾンビの出現も止まらない。
既にゾンビが出現したはずの墓石の下から、再度、更にもう一度と、際限なく這い出てくるのだ。
実力で劣る状態で、あの場面に出くわしたらどうなっていただろう。
ホラー演出によるパニック。際限なく出現するゾンビに絶望。プレイヤー自身のの精神に異常をきたしてもおかしくないんじゃないか、とすら思う。
マリーは時に剣術スキルなど使用し、派手に爆砕したり、流れるような連撃でゾンビの隙間をかいくぐりながら切り刻んだりと、此処へ来てなお、余裕の態度を崩さない。
俺はふと隣にあった気配が、薄くなっているのを感じた。
「!?」
見ると、マナはなんか絶望しきったような、ある意味間抜けともとれるような、ちょっと脱力した表情のまま、薄青く光って霧散していくところだった。
そう、"ログアウト"している。
おそらくだけど・・・自分の意志じゃない。
悪漢のジョーンズがそうだったように、VR内で異常な精神状態だとみなされれば、俺たちHMDによる半感覚組であっても、強制的にログアウトさせられてもおかしくないのだ。
だ。と、思う。
「うぉ」
少々驚いたが、まぁ無理もない。
もともと苦手だと言っていたのに、あのレベルの詳細さで見せつけられては失神モノだったろう。
さて、マナにはあとで謝っておくとして、俺だけでも最後まで見届けなければ。
っと、マリーに視線を戻すと、マリーもインターフェース情報からマナのログアウトに気が付いていたのか、何やらこちらを向いて手を合わせている。
"ナムー"って。
ったく、どこまで本気で、どこまで冗談なんだか。
マリーは俺の見ている前で、ちょっとこれ見てて。とでもいう様にすぐ近くのゾンビを指さす。
「ええ?」
困惑する俺の目の前で、マリーは先の一切とがっていない鉈の様な剣で、およそ効果的ではないはずの刺突攻撃を繰り返す。
この距離で効果音が聞こえるわけではないが、ドスッ!ボスッ!とか聞こえてきそうな高速刺突で、攻撃を繰り出すごとに、なんというか、クッキー型でくりぬかれたように、ゾンビの身体に鉈の先の形の穴が開いてゆくのだが・・・。
「──!?」
体を穴だらけにされているというのに、ゾンビの運動能力はほとんど低下することなく、マリーに襲い掛かる。
ひらりと、余裕の表情で躱したマリーは、今度はそのゾンビに対して剣の刃の部分で素早い斬撃を繰り出し、あっという間に腕も足も、四肢全てを切断してしまう。
あとに残されたゾンビは死亡・・・というか行動停止していないものの、ただその場でうねうねともがくだけの、無害な塊になっていた。
「なるほど、生きている人間なら即死になる様なピンポイント攻撃は無意味で、物理的に破壊して行動力を奪わなきゃ、無害化できないのか。ゾンビ物の映画とかでもそういう表現あるけど、実際自分でやるとなると、えげつないな」
マリーはその後もワザと、ゾンビの動きがわかりやすいように位置どって見せたり、どう破壊したら効果的か、というような動きで俺に教える様に、ゾンビたちを破壊していく。
「しかし、本当に化け物じみてるな。これが、レベル70か・・・。さて、本当に怖いのはモンスターか、高レベルのプレイヤーか・・・ははは」
マリーの勢いは止まらない。
本当に出現設定は"無限"になっているらしい、ゾンビ共をまるで卵やトマトなど軟らかいものを粉砕してふざけ遊ぶように、終わりなく破壊してゆく。
「これはこれで狂気・・・ううむ、確かに勉強にはなった・・けど。んーマナには今度何か埋め合わせでもしてやるか・・・な?」
「それ、忘れないで覚えててよね」
「うぉっほ!?」
そろそろリアルなゾンビにも多少の慣れのようなものも感じていた俺だが、意表を突いたそのセリフには思わずひどい声を上げていた。
見ると、もう涙も髪型も哀れなほどくしゃくしゃにした、やけっぱちの様な顔で墓地の方を凝視しているマナの姿。
うひょぉぉもどってきやがったぁぁぁぁ(汗)
ってセリフは何とか心の中だけにとどめ置く。
っと。俺たちがそんな寸劇してる間にも、マリーはそろそろ十分と感じたのか、畳みかけるような雰囲気を露にする。
いつぞやのそれと同じように、いつの間に取り出したのか、鉈剣を持つのとは逆の手に釘状の鉄杭。
俺たちが見守る中、鉄杭で鉈剣の鎬を打ち、此処まで聞こえるような甲高い音を立てる。
そして短く何か叫ぶ。
おそらく「偶像崇拝に申し上げる」
魔術起動言語だ。
そのあと何やらポーズを決めて、やたら格好つけてゾンビの群体を指さしながら、何事か呟いている。
ああ、マリーはきっとノリノリで魔術の詠唱をするタイプだな。
何にしろ、詠唱の最後に指をパチンと鳴らすと、その瞬間。
マリーの足元から、赤というか黒というか、何か邪悪感満載のヒドイエフェクトの奔流がほとばしり、夜の闇に溶け込みそうな漆黒であるにもかかわらず、仄かに発光する黒龍が螺旋を描きながら空を翔ける。
そして短く。再度呟く。
振り下ろされた親指に反応するかのように、黒龍が急降下し、墓地の地面と激突すると──
──全てが、爆散した。
それは。
なんて表現するべきか。
もう漫画かよって突っ込みたくなるくらい。
擬音でいうとどうだろう「カッ!!」とか「ビカッ!!」みたいな感じで
黒で縁取られた眩い白光にすべてが包まれ、一旦ではあるがゾンビが完全に消失してしまう。
墓地が。墓地が壊れちゃうよぅ。