第20回 「マリー」(後編)
かくしておっさん少女の長い昔語りが始まるのであった。
「まず、すっげぇ時間かけておれっちの納得のいく美少女をキャラメイクするだろ?付き添ってくれたスタッフさんも、『終わったら呼んでね』みたいなこと言ってログアウトする始末よ」
「作ってる時も散々忠告は受けてたんだけどな?まず始まりの庭に下り立った瞬間、そうだな、お前さんの言ううわチ〇コ無ぇ感も有ったよ。それからなんか説明しづらいんだけど、この小さな少女ボディにおれっちっていう精神が全部収まりきってないような感覚っつーのかな」
「ゲーム始めて10秒で立ってすら居られなくなった。並行感がなくて3歩も歩けないでその場にへたり込んだよ。それから頭痛や吐き気・・くらいの説明はお前もされたんじゃないか?まぁそんな言葉じゃ納得いかないくらいひどい精神状態だった。胃袋と脳みそを交互に握りつぶされるような無茶苦茶な悪寒に、吐いた。アバターがだ。ゲロ吐いたんだ。あとからヘッドギア外してみたら、リアルでも吐いてた」
「あんまりひどいんで、サポートに症状を書き込んだら『直ちにそのキャラクターの使用停止を提案します』ってさ。まぁ当然の反応だよな。で、俺みたいな男が全感覚型で女の身体を操作することを、一言で表すいい言葉を思いついた、みたいなこと言うんで、『言ってみろよ』ってヤケになりながら聞いてみたよ」
「貴男が性別の違う身体を全感覚型で操作することは、"一瞬で歴史上他に類を見ないレベルで重度の性同一性障害になるようなものだ"だってさ。なんでそんな機能が正式実装されてんだよって思うよな?」
「で、技術者だとかいうスタッフに聞いてみたら、この場合元から女っぽいやつ。つまり、体は男だけど性格とか思考パターンが女みたいな奴ほど、すんなり適応するんだと。それこそ元が性同一性障害のやつがやったら、ドすんなり普通に扱えたりすることもあるらしいが、どうやらおれっちがやるにはおれっちは"男過ぎた"らしい」
「そこでゲームをやめなかったのかって?まぁ普通にキャラの作り直しくらいは考えたんだが、どうもおれっち、負けず嫌いのひねくれモンでさ。こうなったら絶対この美少女ボディを使いこなしてやる、とか今思うとどうしてそうなった?って感じだが、まぁ意固地になってたよ」
「しばらくは、始まりの庭のログインポイントの壁の裏に隠れて座ってるだけの、何もできない日々だった。嬉しそうに歓声を上げながら、ゲームを始めていく他のプレイヤーを、壁の裏から恨めしい気持ちで盗み見てたよ。でもさ、そうやってログイン時間を稼いでたら、だんだんこのアバターに、おれっちの精神が馴染んでいくのが判った」
「自分でもびっくりだったが、3日もしたら割と普通に動けてたかな。あれこれ現実の自分、女っぽく矯正されてるってこと?なんて不安もまぁ、あったが、ようやく始められたゲームに抗えるほど、まともでもなかった。おれっちもゲーマーだったわけさ」
「それでハッピーエンド?いやいや今もなお終わってねェし。今でこそ見た目に反した筋力ステータスとかしてるけど、始めたばっかりのころのおれっちは、そりゃもう見た目通りのかよわい女の子だったわけさ。丈の短いスカートで走り回ったり飛び降りたり、膝立てて座ったり、なんか見られてんな~とは思ってたけど、最初はそんな警戒心もなかった」
「おれっちにしてみれば、30年以上も男しかやってきてないヤツに無茶言うなよ?って感じだったんだが、このゲームの異常なまでのリアルさは、おれっち達バーチャル女子の無防備さを許さなかった。今思えば"初心者の支援をしてる"なんてゲームサービスが始まって1週間もたってないのに、そんなこと言ってるヤツのことなんで信用したのか」
「此処と、そんなに変わらない裏路地だったよ。案内されてホイホイついていったら、ほかに男が2人くらいいて、下卑た顔で笑ってやがるんだ。あ、ヤバイなんて思ったときにはもう羽交い絞めにされててさ、もう二人が遠慮なくいろいろしようとしてくるわけだ。無い胸鷲掴みにされたり、スカートん中に手ェ突っ込まれてパンツ引きちぎられるとか」
「正直"ゲームだろ?"なんておれっちも思ってたから、そんなに細かく相手のアバターをいじれて、そんなに一方的に相手の装備品を破壊出来て、とか驚愕の連続だったよ。そんでそれ以上に、触られてる感覚があるのに好き放題されてく恐怖。ハラスメント警告とかもう見たことあるか?あれってあくまで自分の意志で押さなきゃ何も反応しないんだ。目の前に表示されたそれを、羽交い絞めにされたまま押せたのは奇跡に近かったな」
「押したら後は迅速だった。まるで本当にそこら辺を巡回してたみたいに、一つ先の角から赤く光る眼ェした駐屯兵がアホみたいな速さで走ってきて、其の3人をボコボコに、で済まないレベルでぐしゃぐしゃの細切れにしちまった。其れも含めてもうトラウマだったよ。ヒデェことに"血が出る"し、切断面はリアルに描写された肉片が転がるしで、おれっちは初めて国産ゲームの表現規制に感謝したね」
「さすがにそこでいったんゲームを辞めたよ。何これリアル過ぎるにもほどが有んだろ、て。でもさ、さっきも言ったけど、おれっち負けず嫌いのひねくれ者なんだよね。そっからおれっちの廃人生活は始まったのさ。来る日も来る日も所謂レベル上げってやつに勤しんでな」
「復讐は・・・改めて自分の手でしてやったよ。それからというものおれっちは"そういうやつ"を見つけたら容赦しないことに・・・って、おーい?」
オートエモーショナルコントロールで、俺はどんな顔をしていたんだろうか。あんまりにも、この朗らかなイメージのあったおっさん少女が、TWOサービスからたった3か月で経験したことが壮絶すぎて、ひどい顔をしていたんだろう。
流石におっさん少女に心配されて、話はそこで打ち切られるが、俺は──
「う・・・ぐ・・」
なんだよそれ。
ほんと何なんだよ其れ?
重度の性同一性障害の様なモノ?そんなん一歩間違えたらだれもがやっちまいそうなところにそんな機能が放置されてる?おっさんの場合が特殊?
いやそれはいいや。
それより羽交い絞めにして少女を襲う?実際に他人の装備アイテムである下着を破壊してでも行為に及ぼうとすることができる?一方的に?
なんだそれ。
それができる世界に、俺は今もいる?そんなことしようとする奴がこの世界にはいて、今も同じようにこのゲームしてて、のうのうと生きていて、他の誰かが危険に晒されてたりすんの?
「う・・・ぉ・・ちょ、ちょっとすんませ・・・!!」
──Continue Connection
俺はHMDを投げ捨てるみたいにして外すと、ゲームに接続したまま、プレイヤーである現実の俺は、部屋を出て洗面所へ駆け込む。
洗面台にしがみ付くと、間を置かず嘔吐した。
ピンク姐さんの警告は聞いていたのに。俺の頭はまだ幸せなままだった。そしておっさんの話は生々しすぎた。
ひとしきり吐き切ると、そういえばゲームに接続したままだったという事を思い出してよたよたと部屋に戻る。
──Return to Game
HMDを装着すると視界いっぱいにおっさん少女──マリーの心配そうな顔。
「・・・ぃ。おーい。大丈夫か青年。もしもしー?」
「うぉ」
「あ、戻ったか。やーいきなりすげー顔したかと思ったら、今度は無表情無反応なんだもんよ」
「えーと情けない話なんですが、さっきの話で冷静じゃいられなくなって──」
「うん?ああ、まぁ気持ちのいい話じゃ・・」
「洗面所で吐いてきました」
「吐いたァ!?」
やーおっさん少女も話の中で、アバターとの不適合で吐いたというし、なんだろう、このゲームというか、この機材、情緒を過剰にするような機能でもついてるんだろうか。
マリーはなんだか大人びた顔っていうか、見た目は明らかに子供の姿をしているのになんだか子供を見守るような優しげな顔になると
「にィちゃんはやさしーなァ」
漏らすように呟く。
「え?」
やさしい?
「その気持ち悪さ、おれっちの境遇への哀れみとか、犯罪者プレイヤーへの憤りとかそんなんだろ?」
「え?ああ、はい」
たぶん、そう。
「誰かがそう思ってくれんの、素直にうれしいよ」
そんなことを言って、いつもの「にしし」って笑い方をする。
それは最初に会った時からお馴染みの、このおっさん少女のトレードマークみたいな、ぱっと場の雰囲気を明るくする朗らかな笑顔。
嗚呼、過去を知った後だとこんなにも。
「しかしこの世界は残酷だねぇ。おれっちも最初に出会ったのが、にィちゃんみてぇな奴だったならよ。もうちょっと違うことになってたかもなァ」
こんなにも。
「なァ。にしし」
こんなにも寂しい顔に見えるなんて。
「なんか・・・すみません」
「なんで、謝んのサ」
「え?いや、興味本位で、おれ、何か聞いちゃいけないことを」
なんだかもうぐるぐると思考が巡って訳が分からない。
「いやぁ、おれっちも誰かに聞いてもらいたかったんだろうなァ。スゲェすっきりしたぞ」
強姦未遂された過去がある三十越えのおっさんの昔話を?
ほんと、なんだそりゃ。
奇妙な運命のめぐりあわせで、それが起こってしまう世界。
嗚呼、世界は悪意に満ちている。
ところで俺はここにきて一抹の不安を感じていた。
それはやっぱり顔に出ていたんだろう。なんだかんだでこのマリーはそういうのを見逃さない。
「どうかしたのか。青年?もしかしてもっかい吐きそうなのか?」
「あ、いやそうではなくて」
「そうか?なんか顔色悪いぞ?」
何がって。
「いや、その、今の話聞いて、急に相棒の事が心配になっちゃって」
つまりそういうことである。
このどこまでもおっさんおっさんしたマリーですら、よからぬ考えをしたやつらから見れば得物でしかなかったのだ。
じゃあ、マナは?
何度も思い出されるが、俺はいまだに、ヴィアーネ嬢の警告を本気で受け止めちゃいなかったんじゃないか?
あれほど危うい存在はない。
マリーの昔話の後であれば、本気でそう思う。
俺がそう言うと、マリーはなんだかはっとした様な顔をして、それからなんだかあらぬ方向を見て、目を細めながら思案顔。
「んー・・・・なぁにィちゃん」
マリーが難しい顔をしたままこちらを向く。
「はい?」
「その子、急いで探そう。経験上、そんな胸騒ぎってサ、当たっちまうんだ」
「・・・・はい」
俺たちは頷き合うと、足早にマーケットへと向かった。