第16回 「マナチャン」 挿絵有
大陸魔術協会ヴァルハラ支部から出ると、辺りはとっぷりと、夜の顔。
マナは多大な犠牲(?)を払って、最初の魔術の習得に成功した。
俺は、とりあえずもとりあえず、「こ、困った事が有ったら何時でも頼ってくれていいのよ?」と言いつつも心中で"今以外で!"と主張するヴィアーネ嬢たちに礼を言い、しゃくりあげるマナを促して、逃げるように支部を後にしたのが先ほど。
ハンターズギルドの近くにあったようなものと似たベンチを見つけ、ようやく息をついたところだ。
マナはいまだにすんすんと、小さくしゃくりあげている。
普通に女の子が泣いてるのだって、俺には手に負えないのに、この特殊な状況はなんだ?相手は自分を男だと言っているのに、目の前でスカートの端を握り締めて"泣くのを我慢"しようとしているのは、現実にも居そうなリアルさの、只の可愛い女の子にしか見えない。
この健気アピールみたいな仕草も、わざとやっているようには見えないが、男がやるのと可愛い女の子がやるのとでは、事情が違うのだ。この隣で泣いているのがもし俺と同じ顔した大の男であるならば、俺は今すぐ殴り飛ばして根性を叩き直したくなっていたかもしれない。不思議、というか俺が現金なのか、"女々しい男"が可愛い女の子の姿をしていたら、それはもう"女の子"なのだ。
「・・・・でしょ」
ふいに、しゃくりあげていたマナが口を開く。
感慨にふけっていた俺はたじろいで、ばつ悪にマナの方を振り向くことしかできなかった。
赤ら顔、目じりに涙のまま、マナは自嘲気味に繰り返す。
「キモチワルイ・・って、思ってるんでしょ?」
「え」
それは、そういえばネカマに対して普通の感覚のやつが、どうしたって仕方がなく、生理的に、それなりに抱く嫌悪感だったはずだ。
でも俺は、実際にネカマを名乗る相手からそういわれて、何故だか困惑した。
キモチ・・・ワルイ?
どちらかというと俺は、受け入れられないものや理解できないものを、だからと言って非難したり努めて排除しようというタイプではなかったが、それでもマナ本人に言われるまで、その感情がほとんどなかったことに自分でも驚いていた。
「いや、おれは──」
俺はマナの言を否定しようと思ったが、マナのそれは独白に近く、口を開きかけた俺にかまわずに続けた。
「僕だってよくわかんないんだ。でも男だって寄ってたかっていじめみたいなことされたりしたら、言葉一つで泣きそうになったりするでしょ?」
「そりゃ、まぁ」
マナは女の子みたいに泣いてしまったことの言い訳のように言うが、別にそれを責める気はない。俺だって泣き顔上目遣いの女の子に見つめられて、どうしていいかわかんなくて内心半泣きなのだから。
「この体は、アバターで、ゲームの中でだけの僕の姿だけど、でも時折わからなくなるんだ」
そう言って、"ゴブリンを刺殺した感覚"の時に見せた様な、手を握ったり開いたりする仕草をする。そう、この動作も──
「なんだか本当に自分の身体みたいで。ちょっとしたことが、すごく気になったり、卑猥なことされたら恥ずかしいし、怖かったよ」
すごく自然に、不安げな顔をして俺の顔を覗き込む。
そう、俺もここまでに気が付いたが、これらは、"手を握ったり開いたりするところまで"オートエモーショナルコントロールによって制御されている。
俺の、俺達の第二の身体は、なんというか"思うよりも思った通りに"動く。動いてしまう。
嘘がつきづらいシステムだ。気が付いた時にはそう思った。そして今は怖くすらある。
マナの、言う通りだからだ。
俺はそれでも、その不安を乗り越えて余りあるほど、この第二の世界に魅力を感じていて、もっとこの世界で色々なことをしてみたいと思っている。
それで。
「もうこんなゲーム、やめたくなった?」
マナに問いかける。
それはマナも考えていたようで、図星を突かれたように、その時だけは一瞬涙を忘れて、少し驚いたような顔をした後、苦い顔をして視線を逸らす。
「そ、それは──」
「俺は!もっとこの世界で遊びたい!」
「えっ」
突然、宣言するように声を大きくする俺に、マナは困惑したように言葉を失う。
「俺、このゲームには期待してて。ずっとやりたいと思ってて。いざやってみたら想像以上にすごくて。これから始まる異世界ライフにワクワクしててさ」
突然語りだした俺を、邪魔するでもなく、疑問の声を上げるでもなく、ただ少し、驚いたような顔をして、見つめ返すマナ。
俺は止まらない。
「でも不安もあったんだ。右も左もわからなくて。わからないことだらけで。そんな風に思ってたら同じような初心者がいてさ!」
言わずもがな、マナの事だ。
「なんかめんどくさい事情があるみたいだったけど、コンビ組もうって手を差し出したら、握り返してくれたんだ・・・・うれしかったよ」
マナの目が少しだけ、驚いたように開かれる。
「なぁ、"この問題"マナがキャラクターを消去して男に作り直して来たら、それで解決かもしれないけど、俺はそれ、なんか"違う"気がするんだ。お前みたいなのがなんでそんな格好しようとするのか分からないし、聞かないけど。マナ」
そこから先は、俺もちょっとだけ苦々しく。
「その姿で居るのに言い訳が要るなら"俺が望むから"でいいよ。だから、もう少しだけ"マナ"してみない?」
畳みかけるように吐き切ると、マナはといえば、驚いた顔から怖がるような顔から泣きそうな顔から。
一通り百面相した後、ふと苦笑。
「はは・・なんだよ、ソレ。 ユージンてばまだ"僕"のぱんつ見足りないの?」
「へ?」
「そういえば、さっき魔術協会で鼻血垂らしてた。このすけべっ。女の子のカッコしてたらなんでもいいのかー」
「え、いやでもお前、いっぺん鏡見てみろよ!スゲェ可愛いんだぞそのアバター!お前も男ならその顔が目の前にある苦悩が──!」
「身に覚えの一つや二つって何だー。昨日、そんな目で僕のこと見てたのか、このえろがっぱー」
な、なんなんだ。
「おまえっ!っていうかふざけんな!俺は真面目に話を──!」
さっきまでボロボロ涙流して泣いていたかと思えば、いきなり茶化したようなことをまくし立てるマナに、いい加減カチンときて、その腕をつかんで黙らせようとする。
うわ、ほそっ・・とかいう感想も一瞬で。
「──わかってる」
掴まれるまま、マナは俺に身を寄せて、その額を俺の胸に押し当てる。
「うん・・・わかってる」
「え、お、おい・・マナ?」
この状態で、マナの表情は読めないが、先ほどのあれは照れ隠しなのか何なのか、少なくとももう茶化す気はないようだ。
俺は驚いてマナの手を放すが、その手はモダモダと何かしようとして結局何もせず下される。
「ごめん・・・・ユージン、ごめん。・・・・ありがと」
嗚呼。
嗚呼、伝わってたわ。
一瞬、俺も勢いで、その細い体を抱きしめてしまいたい衝動に駆られるが、寸でのところで思いとどまる。
「ねぇ、ユージン。まだ・・・僕と遊んでくれますか?」
マナの表情は見えない。
本当に、此処で俺一人を失うことが、そんなに恐ろしい事か。
言ってて悲しくなるが、俺自身、縁が切れるのを惜しまれるような、大層な人間であるつもりはない。でもこいつを取り巻くコミュニティはそれを惜しむほどに、悲しいほどに小さいんだろう。
出会った最初の時にも思ったが、俺はなんだかそのことが許せなかったんだ。
「ああ。明日からの予定に、お前も組み込まれてんだから、居てくれなきゃ困る」
「そっか・・・はは。何やってるんだろうね、僕は。これじゃ本当に女の子みたいだね」
「おまえ、またスゲェ反応に困ることを・・・こっちからは"マジで女の子にしか見えない"んだからな」
軽くマナの肩を支えながら、俺は正直なところをしゃべってしまったことを少しだけ後悔し、天を仰ぐ。
はぁ、やれやれだな。
懐でマナが僅かに身じろぎする。
「え、えっと・・あの」
「うん?」
「その・・もう恥ずかしくって顔上げらんないから、今日はこのままログアウトするね?」
困ったような声で、同意を求めてくるが、正直俺もそうしてくれると助かる。このままマナが顔を上げたとして、俺もどんな顔すればいいのか分からない。
「あ、う、ああ」
答えて、目線だけでマナの方を盗み見ると、マナのアバターは薄青く輝いて、夜の暗がりに溶けていくところだった。
「おやすみ、ユージン。また・・・明日」
そんな言葉を残して、完全に消え失せる。
俺は。
「っはぁぁぁぁぁ・・・・」
どっと息を吐いて、ベンチの背に持たれる。
「ちっくしょ」
誰にも見られていない、夜のベンチで俺は悪態をついた。
してやられた気分だった。
「ああ、そうだな・・・また明日」
ログアウトしてしまったマナに返事を返すように呟く。
何せ俺は、マナが「また明日」と言ったことに対して──
「こんなに、安心してるなんて」
"キモチワルイ・・って、思ってるんでしょ?"