第10回 「これがよる」
「これで」
「最後ぉ!」
最後のジャイアントビートルにとどめを刺す。
あの後、なるべくマナの方をガン見しないように気を付けながらの高度な戦闘を強いられた。まったく"目に悪い"ってのはこのことだよ。
「おわったね!」
そう言って振り返ったマナは空いた方の手を高い位置で構えている。
なんとなく意図を察して、俺も空いた方の手を、それと打ち合わせる。
ハイタッチ。
マナは満足げにほほ笑む。
だからいちいち可愛いんだよ畜生。
まぁ、一先ずクエストは終わり。と二人で長い息を吐く。
俺の目の前に、そして多分マナの目の前にも"クエストの主目的を達成"とログが表示される。
しかし、次の瞬間。
周りの空間の雰囲気っていうか、空気みたいなものが変わった気がした。
「!?」
「は?」
二人そろって間抜け顔をしてしまう。
気が付けば、俺たちは緑色の肌をした餓鬼のような亜人、所謂"ゴブリン"のようなモンスターに取り囲まれるようにして立っていた。
場所はさっきまでいた農場の野菜畑のままだが「なんとなく別の場所のような」気がした。其れはつまり。
「しまった。さっきのクエスト、インスタンスだったんだ」
"インスタンス"というのは、例えば洞窟の中に宝箱がある設定で、ネットゲームだからっていろんなプレイヤーが一斉に侵入したりすると中が混雑したり、そもそも目的である宝箱が奪い合いになったりする。あえてそうしている場面もあるが、大抵の場合、洞窟の入り口が境界になっていて、そこを通過したパーティ毎に、全く同じ景色、構造をした別の洞窟が用意され、競合することなく探索を楽しめるというシステムのことを"インスタンスダンジョン"などと言ったりする。
多分、農場主のトーマス? に話しかけたときだな。あの時から俺たちは気が付かないうちに、俺とマナとジャイアントビートルしかいない特殊な世界に居たというわけだ。
「で、クエストが終了した瞬間、一般モンスターが居る通常のフィールドに戻されたってことだね」
マナもその辺は理解しているらしく、講釈の残りを代弁する。しかし理解しているがゆえに、その顔には焦りの色が伺える。
こ、これは……ある意味罠だな。
運がない、と言い換えようか。クエストから戻った瞬間その場に無関係なモンスターが居合わせる可能性はゼロではないだろうが、しょっぱなからその状況を引き当ててしまうとは。
「ギィーエァ!」
ゴブリンのうちの1匹が俺たちに気付き、奇声を上げると、ほかのゴブリンも次々に得物を構えて俺たちを取り囲み始める。
2、3、4……7匹は居る。こちらに気が付いて向き直ったことからもわかるように、このゴブリンは"アクティブ"だ。こちらが何もしなくても襲い掛かってくるだろう。
7匹が。一斉に。
個々の戦闘力がどのくらいかはわからないが、ジャイアントビートルと同じようにはいかないことは火を見るより明らかだ。
気色の悪い奇声を上げながら、鉈のような武器を振り回してにじり寄ってくる。
まずい。
まずいまずいまずいまずいまずい。
戦っても、ほぼ間違いなく二人とも死亡するだろう。
何よりその、予想される虐殺が。
リアル過ぎるのだ。
ゴブリンは現実離れした緑色の肌をした子供くらいの人型のモンスターだが、その質感はTWOのスーパーグラフィックスによって"本当に居そう"なくらいリアルで、今からあの鉈が俺の身体に食い込んで──
──死ぬ?
い、いや普通に考えて、何らかのペナルティを受けて"セーブポイントに戻る"ってのがありがちなパターンだが、そのリアルさに恐慌をきたしそうな程、俺は恐怖した。
ふと、密着するほど背中合わせになっていたマナが、後ろ手に俺のシャツをつかむ。
小刻みに震えている。
……震える? これもオートエモーショナルコントロールか?
場違いなことを一瞬考えかけ
「……ユージン」
続いたマナのか細い声に、また現実に引き戻される。さらに俺は背後のマナの存在を自覚することで、彼女のアバターが……女の子が無残に鉈で切り刻まれる光景までも想像してしまった。
くそ、どうすれば……。
「ギャーゥォ!」
ひときわ大きく、奇声を上げて最初の1匹がマナにとびかかるのが、視界の端に見えた。
「っの!」
「ひっ」
咄嗟にマナの肩を引き寄せ、体を入れ替えると同時に、ゴブリンの鉈をロングソードの刃で受け止める。
ガキィンンッ!!
金属同士がぶつかり合う、あまり心地いいとは言えない音が夜陰に響く。
初撃は何とか受けた。しかしこれで手詰まりだ。この鉈1本としのぎ合いをしている間に、残りの6匹が俺たちに殺到するだろう。
万事休す。
背後でゴブリンが一斉に動き始める気配があり、マナが短く息をのむのが判る。
「ギェアアアァァァァァァッ!!」
雄叫び。とはなんだか違う意味に聞こえる、まるで断末魔のようなゴブリンの声。そして何やら肉のちぎれる、骨のきしむ嫌な音。小柄な体が吹っ飛んで地面に転がる音。
音の軽さからして、マナではない。其れだけは安心できたが、何が起こっているかわからず、がむしゃらに目の前の鉈をはじき返し、後方を確認する。
「え」
見ると、ゴブリンがまとめて3匹ほど薙ぎ倒されて、地面に転がっている。どいつもほとんど身体が寸断されそうなほどちぎれかけており、野菜畑に盛大な血だまり──青紫の──を作っている。
驚愕に目を見開いて、その奥に立つ人影を見る。プレイヤーだ。手に、人の胴体より優にでかい戦斧を携え、残りのゴブリンを威圧している。
た、助かった!?
おそらくたまたま通りかかったプレイヤーが異常に気が付いて加勢してくれているのだろう。一瞬で3匹のゴブリンを屠る実力から考えて、俺たちは身の安全だけを考えていれば、彼が何とかしてくれるだろう。
身の安全。
俺ははっとして、先ほど攻撃をはじいたゴブリンがまだ残っているのを思い出す。
カァァン!
火花。
間一髪。振り向きざまに再度、鉈の斬撃を受け止めるが、体勢が悪い。
「くそ!」
「ユージン!」
仰け反りながらも、危うい均衡を保つ俺のわきを、低い姿勢でマナがすり抜けて、そのまま俺と切り結んでがら空きになっているゴブリンの胴へとサバイバルナイフを突き立てる。
「ゴゲプッ」
ビクンとゴブリンの身体が震え、しばらく痙攣していたが、ぷつりと糸が切れたように崩れ落ちる。
振り返ると、先ほどのプレイヤーが既に残りの3匹を肉塊に変えていた。
「た、たすかりました!」
「うぁーん、ありがとうございますー!」
俺たちは口々に礼を言いながら、そのプレイヤーに駆け寄った。
「いやー、2時間くらい経ってっけど、間に合うもんだなー」
「あ、あんたは」
俺は彼に見覚えがあった。
ゴブリン6匹をあっさり薙ぎ倒しながら、何やらとぼけた様な口調で戦斧を担ぎ上げる巨漢の戦士は、数時間前にハンターズギルドで声をかけてきた男だった。
色黒で巨漢、ついでにスキンヘッドに巨大なバトルアックス。まさに戦士然とした斧戦士。
彼は俺の肩をポンポンと叩くと
「まぁ、これで説明する手間が省けたと思うんだけど、つまり」
俺たちにとっての先ほどの死闘が、ほんの些細なことだとでもいう様に、笑顔で続けた。
「これが"夜"ってことサ」
ニヤリ。