第47話 アチラコチラで……
辺境基地駐在兵達の責任者 ― 要するに基地司令 ― は多くが若い新任の士官学校出の少尉である。しかも成績的には中位の候補生だった者がほとんどである。
士官学校出身でも最終成績によって配属先が異なるのは当然のこと。彼ら中位程度の者は辺境の基地司令から始めて、最終的になんとか大佐まで出世出来れば成功した部類だろう。もしくはそこまで行く前に退役して民間に移るか。何れにせよ平時である現在、出世の門は決して広くはない。
したがって、休暇先のリンデンマル号内で部下が問題を起こすと出世に大きく関わってくる。
一方、部下である兵士達は大抵は長く基地に駐在した経験を持つ古参兵である。当然、青白い若造などの言うことなどはまともには聞かない。新任司令のマニュアル通りの指示を小馬鹿にして自分達のやり方で仕事を進めていく。
それに対して新任司令は階級を傘に言うことを聞かせようとしてさらに無視されるか、もしくは部下達の意見に耳を傾けそれでいいように舐められてしまうか。
どちらにしても辺境基地司令などはせいぜい1~2年我慢すれば直ぐに転属となる。そういう意味では軍隊もある意味で官僚組織であるから、僅かな辛抱が出来ればそれで済んでしまう話である。
TY-883基地の司令もこの年に士官学校を出たばかりで着任後およそ8ヶ月が過ぎていた。日頃部下達からの突き上げで胃に穴が開きそうな日々を悶々と過ごしている。
その少尉は第2食堂の士官席で料理を突いている。健康診断の順番待ちで診察前に1度だけ食事が出来るのでビーフシチューを選んだ。普段とは異なり皿に盛られている料理だがどうにも食欲が沸かない。
そこへエメネリアとネイリが姿を現せた。少尉は思わず目を瞠った。
アレルトメイア軍との士官交換派遣プログラムに関しては知っている。だがその士官とここで会えるなどとは思ってもいなかった。しかもその士官は美しい金髪、体のラインを余すことなく表す鮮やかな碧色の軍服。目の覚めるような美人で、しかもそこには冷たさはなく温かみのある表情である。一目惚れしたといってもいいほど目で追ってしまっていた。
その時背後の一般席の兵士の声が聞こえてきた。
「あれがアレルトメイア軍から派遣されてきたミルストラーシュ少佐よ。実家は公爵家で、文字通り貴族のお姫様なんだって」
「へえー、そういつはスゴイね。ここはひとつお近づきにならんと……」
声に聞き覚えがあった。自分の部下であるTY-883基地の駐在兵の1人だった。
「止めとけよ? 相手が少佐じゃあ釣り合わねえよ」
この声にも聞き覚えがある。どうやら数人のグループで食事をしているらしいが、リンデンマルス号の乗組員の女性兵士と同席出来た上に色々と話しをしているようだった。
女性兵士が続ける。
「まあ止めておいた方がいいんじゃない? この艦には誰かに会いに来たらしいけど、その誰かっていうのがどうやら艦長らしいのよ」
「艦長? どうしてまた?」
「知らないわよ。でもそういう噂で艦内はもちきりなの」
「艦長ってどんな奴?」
軍曹の分際で大佐である艦長のことを「奴」と呼ぶのもかなりアレだが、女性兵士も同類のようだった。
「さあ、知らない。でもあの若さで艦長なんだからかなりヤバイ奴なんじゃない?」
「若いの?」
「30前って話」
「嘘! ありえないだろ?」
「しっ! 大きな声出さないでよ! で、艦長の経歴はアンタッチャブル。ちょっとしつこく調べようとするとMP《艦内警察》に引っ張られるっていう話よ?」
「マジな話?」
「大マジ……」
TY-883の司令はそれを聞いただけで高嶺の花であることに気づき、今度こそ料理に向かおうとした。その時、
「誰? あの美人……」
という声がして再び顔を上げた。そうして目を泳がせると直ぐに話題となってた女性が目に入った。
「あれは作戦部のアトニエッリ大尉。連邦宇宙大学一の秀才で、アトニエッリ・インダストリー社の娘。要するに三拍子揃ったお嬢様よ」
説明する女性兵士の声に棘がある。要するに持たざるものの僻みか。
すると管理部は絶対に狙ってやっているだろうとしか思えない事態が起きる。今度はなんとクローデラまでが登場したのだった。
いつの間にか第2食堂の中は静まり返っていた。女性兵士が忌々しげに、それでも声を潜めて言う。
「あれは船務部のフラコシアス中尉。祖父は外交委員長、両親は高級官僚、士官学校を優秀な成績で卒業。それであの外見。厭味ったらしいったらありゃしない」
「本当よね。お高く止まっちゃってさ」
この言葉を聞いてTY-883の駐在兵ら数名は、ナンパ目的で食堂で声を掛けたリンデンマルス号乗組員の女性兵士らに興ざめしてきた。確かに士官学校出は鼻持ちならないのが多いのも事実。だが初対面の異性にこういうことを平然と言う相手は「なし」だった。下手にこういうのに関わると後が面倒だとさえ思ったのだった。
どちらにしろリンデンマルス号への滞在時間は48時間。それが済めばサッサとおさらば、後腐れのない情事を、と考えていたが、後々たとえメールであってもしつこく付き纏わられたら鬱陶しい。
そこで相手を怒らせずに静かにフェードアウトしようと画策した。
「それにしても君達もそうだけど、この艦は美人が多いよね」
言われた女性兵士達は満更でもない様子だった。
「そうでしょ? 特に第2食堂を使うのは作戦部、船務部、それと私達管理部みたいに女性の多い部署がほとんどだから……」
「なるほどね……。おっと、もう時間だ、それじゃあ……」
と言って席を立っていく。
「じゃあ、またね……」
と、女性兵らも笑顔で見送る。
艦内で恋愛まで発展しても結婚というゴールに辿り着くには相当の覚悟と努力が要る。この時の男女は気分的に所詮は一時的な、浮気なものでしかなかった。
ところで自分達が話題にされていたとは露知らず、3人は料理を手になんと同じテーブルに着いた。
着席すると直ぐにエメネリアがコスタンティアに向かって言った。
「コスタンティア、この前の件だけど……」
「何かしら?」
「貴女には負けない、会いに来た人がいる、ってことだけど」
「ええ、それで?」
「あのことは忘れて」
エメネリアは笑顔でそう言った。ただし目だけは笑っていなかった。そこでコスタンティアも見事なまでのアルカイックスマイルで応えた。
「ええ、そうするわ」
そうして2人はしばし目線で火花を飛び散らせていたがふとクローデラを振り返る。クローデラはまさに人形のように整った顔に全く感情を見せずにいた。
―― ナ・ン・ノ・コ・ト・カ・シ・ラ? ワ・タ・シ・ニ・ハ・カ・ン・ケ・イ・ナ・イ・ワ……。
と、言わんばかりに……。
第2食堂の中でも確実にその場の空気は、周りに比べて5度は低かったろう。
同じような光景は第1食堂でも見られた。こちらの相手は医監部の看護師、ただし男性である。手を出しても問題のない女性について情報収集しているところだった。
イステラ軍で看護師になるには2通りの方法がある。
一つは民間で看護師の資格を取り、軍に入るというもの。
今一つはハイスクール後、士官学校予備校の看護コースに入って入隊という方法である。
どちらであっても待遇には何ら差はない。ただ宇宙勤務希望なら民間より士官学校予備校の方が有利というくらいである。
TY-883の駐在兵らは相手が看護師なのでかなり色々なことが聞けていた。もちろん看護師としての服務倫理規定はあるから、何もかもが話せる訳ではない。ただ看護師という立場上、艦内のほぼ全員と接する機会があるので顔が広いということにはなる。
「……そうだね、第1食堂の利用者の中で一番の美人というと、やっぱり戦術部のシュピトゥルス中尉かな」
男性看護師が駐在兵達に言った。
「彼女は第1航空隊のエースで、気が強くてじゃじゃ馬だけど見た目はいいよ。少々胸は残念だけど……。
ただ父親が中央総司令部のシュピトゥルス少将だからね。ハードルはかなり高いと思うよ」
「そりゃ無理だわ……。提督の娘なんて息が詰まりそうだ」
駐在兵の一人がそう言うと残りも一斉に頷く。もっともその気になっても端から相手になどされないだろうが。
「次いで彼女と双璧は……、同じく戦術部のエベンス中尉かな。彼女は第2航空隊のエース。ただし性格がアレなんだ……」
「アレって?」
「彼女は『エグリのミュリュ』って呼ばれている。名前はミュリュニエラっていうんだけど、とにかく性格がきつくて、こっちの神経をゴリゴリ削るどころかエグッてくれる程性格がキツイんだ。胸の方もエグれてるんじゃないの? ってくらい無いしね……」
「いくら顔が良くても、そういうのは勘弁……」
「だよね……。
後はうちの先生、シェルリーナ軍医中佐殿かな。連邦宇宙大学医学部大学病院の脳神経外科の権威。見た目はおっとりした感じの美人だよ。ただ怒らせるとかなり怖いって話。
何せウチの設備でも脳を摘出してちゃんと活かしておけるって豪語しているくらい。それから戻すのはかなり大変だけど、やっぱり不可能じゃないってね。実験台になるって言えば大歓迎してくれるよ」
「いや、それは無理です。絶対無……」
そこで駐在兵達が押し黙った。しかも顔が引きつっている。ハッとした看護師は恐る恐る振り返った。そうして自分の背後に、冷ややかな笑みを浮かべている女医と、怒り心頭という表情の飛行服を来た二人の中尉が立っているのを認めた。
―― 詰んだ……。
第1食堂は第2食堂に比べ、さらに5度ほど気温が下がっていた。
さて、話は相前後するが、TY-883へ残り1日となった日のこと。最も艦首よりの、そうして最も人気のない第1展望室で二人の女性が飲み物片手に話し込んでいた。否、もっぱら話をしているのは、くすんだ短い茶髪を頭の後ろで縛っている方。艷やかでゆるやかに波打つ漆黒の髪に浅黒い肌、引き締まった肉体を持つ美女は聞き役に徹している。
「……でね、エレノア先輩、あのアレルトメイア女、なんて言ったと思います?」
「おい、イェーシャ、任務中に聞いた話は口外禁止。バレたらただじゃ済まないぞ?」
「大丈夫ですよ、ここには私達しかいないんだし……」
「そういう問題じゃないだろ」
「そりゃあ、そうですけどね……、んで、あの女、艦長に言ったんですよ」
どうもイェーシャはエレノアの忠告を少しも聞く気がないようだった。
「『私はあなたに会いたくてこの士官交換プログラムに志願したのよ。あなたに会いたいから、あなたのいるところを探してもらって、それでここへ来たのよ。わかってる?』って……」
つい先頃までイェーシャはもう1人の陸戦兵とともにエメネリアの警護任務に就いていた。警護というが実際には監視に近いものである。
それはともかく、エメネリアが勤務時間外に中央通路でジョギングをした。その時にやはりジョギングに来ていた艦長と合流したのだという。2人は示し合わせていた訳ではなく、偶然だったようでとても驚いていたという。
自然レイナートとエメネリアが肩を並べ、警護兵はその後ろに固まって従うという形になった。
ちなみこの時の警護兵は軍服に通常武装という本来の形ではなく、いわゆる訓練時と同様、プロテクトスーツにTシャツ、トレーニングパンツ、それに拳銃のみを携行という姿である。
「そうしたら、艦長が言ったんですよ。
『私と君の関係は、我軍では最重要ランク機密に指定されている。だから一切口外しない方がいい』ってね。その後アタシら警護兵も釘を差されたんですよ。
『君らも今聞いたことは全て忘れなさい。さもないと君たちの安全は保証出来ない』ってね。
どう思います?」
「馬鹿か、お前は!? どう思うもクソもあるか! アタシをそういうことに巻き込むな!」
エレノアが切れた。そういうことを聞かされただけで、どんなとばっちりを食うかわかったものではないから当然である。
「だって」
イェーシャが口を尖らせた。
「だって、じゃない! 下手すりゃ懲罰もんじゃないか!」
「その通り」
背後から聞こえた冷たい声に、2人は恐る恐る振り返った。
「フィグレブ准尉、先程の報告には今の話はなかったと思うが」
「鉄壁の無表情」と陰で噂される保安部長がその場に立っていた。
その後、艦長室に副長、保安部長、陸戦科長そうしてエレノアとイェーシャが招集された。
レイナートはデスクの上で手を組んで報告を黙って聞いていた。
「報告は以上です」
保安部長が締めくくった。陸戦科長のナーキアスは頭を抱えていた。つい先日も部下がエメネリアに突っかかって問題を起こし、事実上の更迭で下艦することになっている。その矢先にこれである。エメネリアが疫病神に見えてきていた。
「どうも艦内の規律が甘くなっているようですね」
レイナートが言う。
「まあ、私のように訳のわからない、捉えどころのない人間がいるからなんでしょうが……」
「艦長」
レイナートの独り言のような発言は完全無視で保安部長のサイラが口を開いた。
「小官は艦長の経歴を存じ上げません。また何故経歴が機密指定になっているのかも知りません。したがってこの両名に対し、どのような量刑が相応しいのか判断がつきません。よって艦長の裁可を仰ぎたいと存じます」
その言葉にレイナートは椅子にもたれかかり腕を組んだ。しばらくそうやって何か考えていた。
エレノアとイェーシャはまさにまな板の鯉。イェーシャは冷や汗たらたら。エレノアはとんだとばっちりで憮然としている。
レイナートが腕を解き静かに言った。
「2人には1ヶ月ほど艦内の掃除をしてもらいましょうか」
それを聞いて誰もが唖然とした。
「それは……、罰掃除、ということでしょうか?」
副長のクレリオルが確認する。
「まあ、そういうことですね」
「それはあまりに……」
クレリオルが言葉を失う。
最高機密指定の事柄を偶然知ったとはいえ他に漏らしたのである。甘すぎる処分だと言いたいのだろう。
「ですが、2人を営倉入り、もしくは減俸とか降格処分にすると、人事部に報告をしなければなりません」
勤務評定や昇給、昇進にも関わるから賞罰は正しく中央総司令部に報告する義務がある。
「そうなると監察部に追求されますね。理由も提出しなければなりませんから」
これにはエレノアの表情も変わった。イェーシャはすでに恐怖でガタガタ震えている。
監察部は軍内部の不正や犯罪を捜査・訴追する組織である。その追求は厳しく、徹底的に内偵し、表立って動いた時にはもう逃れられないところまで追い詰められているのが普通である。したがって監察部に目をつけられたらその時点で軍人としては終わっていると言っても過言ではない。
「そうしてそれはこの2人だけでなく、本艦の乗組員全員に行われるでしょうね」
これにはその場の全員が絶句した。イェーシャは己のしでかした事との重大さに血の気を失い真っ青になった。
「おそらく全ての行動計画が破棄され、本艦は主星に召喚されるでしょう。そこで全員が尋問されることになると思います。
そうなっては乗組員全員に大変申し訳ないことになります。なので報告義務を怠ったので掃除、ということにしようと思います。始末書もあとに残りますから……」
艦長室は静まり返っていた。
するとレイナートは何やらブツブツとぼやいていた。
「今更ですが初めから当初予定の通り、人目につかないところで一生飼い殺しにしてくれていればこういうことにはならなかったんですけどね。どこへ行ってもトラブル続きで口止め代わりの昇進でほっぽり出されたから……」
皆は黙ってそれに耳を傾けていた。それに気づいたレイナートがようやくいつもの穏やかな表情に戻った。
「ああ、すみません。これは関係のないことでした。
それから、ミルストラーシュ少佐には私の方から強く注意しておきます。
ということで皆さん納得してもらえませんか?」
「納得するも何も、それが艦長のご決定であれば……」
否やはなく従うしか無いだろう。
クレリオルの言葉に全員が頷いた。エレノアとイェーシャは胸を撫で下ろしている。
「質問はありませんか? なければ解散です」
これがTY-883基地到着直前の出来事だった。




