第39話 集中制御室
1日映画鑑賞をした翌日は技術部の視察である。そこでエメネリアは慣れないイステラ軍の宇宙服に身をまとい、〇七三〇(07:30)までに支度を整えて集中制御室に向かった。
アレルトメイア軍の宇宙服だとどうしても宇宙服を脱いだ後の処置に困る。その度に一々部屋に持って戻るというのはどう考えても面倒である。だからと言って、誰かにやらせるというのはその階級からして何もおかしいことではないが、心情からして初めから問題外である。そこでイステラ軍のものを使用することにしたのである。とにかく、不要になったらその場で脱ぐだけでいいという、合理的な艦内システムを利用することにしたのである。
但しネイリはアレルトメイア軍の宇宙服のままである。小柄、というよりもまだ子供であるネイリの体格に合う宇宙服が艦内に装備されていないからである。
集中制御室は艦内のほぼ中央最下部にある、艦内の大型設備を一元管理するところである。
その内部に入ったところでエメネリアは目を瞠った。7:30まではまだ数分あったが中はすでに全員が配置に付き完全に稼働しており、まさか自分が一番乗りではないにしてもそんなに人がいると思っていなかったからである。
その集中制御室は全ての壁に隙間なくモニタが設置されており、いずれも数値やグラフがびっしりと表示されている。広い室内には50近いデスクが置かれその全てにスタッフが着席している。デスクの上にも2~3の卓上モニタが置かれているが、スゴイのになると5つもモニタを並べて何か操作している者までいる。
唖然としていたエメネリアに出迎えた技術部長のグレマン少佐が説明する。
「技術部は艦の運用を滞り無く遂行させるために万全の体制を整えるのが任務。だから『命令される前に動け』というのが基本なんで、こうして時間前から動いとる」
エメネリアに説明しているグレマン少佐は長身、黒髪、中年の、いかにも気難しい技術屋、といった風情の人物である。
「今はワープ準備中だから、とにかく確認事項が多い。重力場形成装置はもちろんだが、それ以外にも人工重力発生装置、、主発電機、通常空間航行用の主エンジンに、艦内で製造・貯蔵されている液体窒素、液体酸素、液体水素の貯蔵タンクを始め、空気浄化システム、汚水処理システム、艦体防御システムのモニタリングを行ってる。
それぞれの設備には独自の制御室があるんだが、そこから特に重要なデータはここにも送られてくる。
ワープ前にこれらの設備に異常がないかを全て調べるのは技術部の大きな任務の一つだ」
技術部は艦の運用の根幹部分を担っている部署であり、確かに、いざ行動を起こそうとして機械の不調で出来ません、では話にならないだろう。艦の状態を常に万全の状態に保っていなければならないのは当然であり、そのための確認を怠ることは出来ないのはこれまた当然のことである。
「うちは機関科、甲板科、製造科の3つのセクションに分かれている。
機関科は今言った大型設備の管理運用、甲板科はその他の艦体諸設備の管理運用、製造科は艦内工場の管理運用を担当している」
ワープに向けて技術部のスタッフが忙しく立ち働く中、グレマン少佐の説明が続く。
「但し、艦載機や主砲、ミサイル兵器などは戦術部が全て管理していて基本的にはうちでは全く手を出さない。
主コンピュータは管理部の管轄で、液体酸素などの貯蔵タンク、工場で作った製品の在庫管理も管理部の仕事だから、うちは一切口出ししない。依頼があった時に機械の整備を行うだけだ。
それ以外にも各種望遠鏡、レーダーや重力波検出器、時空震計といった航行に直接必要な情報を得るための設備は船務部が管轄していて、やはりうちではタッチしない。
もちろん何らかの理由でそういったものに大きな破損や故障があった時は、うちは助っ人として手を貸すがね」
グレマン少佐の説明を頷きつつ興味深くエメネリアは聞いている。
「今少佐がおっしゃられていた部署は、そうすると多くの人員が配置されているのでしょうね?」
エメネリアが尋ねるとグレマン少佐は頷いた。
「そうだな。艦内で最も多くの人員を抱えるのは戦術部だ。艦載機の搭乗員、陸戦兵、艦砲の発射手といった直接戦闘員以外にも、多数の整備兵がいるからな。これは他の艦艇でも同じだ。
うちは他の艦艇と違って戦術部に次いで人員が多いが、これは製造部という他にはない部署があるからだ」
他の艦艇でも必要部品などを内作することがあるが、工場と呼べるほど大きな設備はないので独立した部署とはなっておらず、大抵は甲板科が兼務しているのが普通である。
「それと船務部と管理部も人数は多い。この4部だけで全乗組員の9割以上になるかな」
残るは作戦部、医監部、保安部でどれも規模としては大きなものではない。ただし権限という意味ではこの3科以上のものはない。
「そうなんですか」
エメネリアはまさに感心したように頷いた。
その時、集中制御室内に大声が飛び交い始めた。
「ワープエンジン異常なし」
「主エンジン異常なし」
「主発電機異常なし」
「人工重力発生装置異常ありません」
「生命維持関連施設、どれも問題ありません」
「防御シールド展開装置、エネルギー中和シールド展開装置、ともに異常なし」
「外壁パネル、宇宙線エネルギー変化率、規定範囲内です」
そこでグレマン少佐が大声で指示を出した。
「主艦橋《MB》に連絡。ワープエンジンにエネルギー注入を開始、同時に艦内への電力供給を停止する、とな」
「了解。
MBへ、こちら集中制御室。艦内への電力供給を停止、ワープエンジンの作動を開始します」
『MB、了解』
直ぐに艦橋からの返信が入り、次いで艦内アナウンスが行われた。
『全乗組員へ。本艦はワープ体制に入った。秒読み開始。最終安全確認を実施せよ』
それを受けてオペレータが次の動作に入る。
「主発電機停止。外壁パネルからのエネルギー回路、ワープエンジンに切り替える」
集中制御室の照明も消え非常灯に切り替わった。
「艦内各所、電力供給停止を確認。
主コンピュータ、非常用電源による作動への移行を確認、異常なし。正常作動しています」
グレマン少佐が頷き、近くのオペレータに尋ねる。
「ワープエンジンへのエネルギー供給率は?」
「稼働中の全外装パネルからのエネルギー供給を確認。供給率98%です」
「時空歪曲率の確認急げ」
そこでグレマン少佐が再びエメネリアに振り返った。
「さて、2人ともそろそろ着席した方がいい」
「わかりました」
エメネリアが頷くと技術部の兵士がエメネリアとネイリの2人を壁際の席に案内した。
「ベルトをしっかりと締めて下さい。
大丈夫、直ぐに終わります」
兵士はそう言って立ち去った。
エメネリアはそれに笑顔で応えるとヘルメット越しに室内をぐるりと見回した。
壁のモニタの中で正面中央のものが示すのはワープエンジンの作動状況、増大する時空歪曲率と、カウントダウンによって減っていく時間である。
エメネリアはしっかりと椅子に座ってそれを見つめていた。
「時空歪曲率、目標値に到達!」
オペレータの声がヘルメット越しに聞こえたと思った瞬間、ワープ時に起きる「あの」独特なゆらぎを微かに感じた。
だがそれは直ぐに収まった。
「ワープ完了」
間髪を入れずに報告がなされる。
「全システムの確認急げ!」
ワープとは至極大胆な言い方をすれば、俗にワープエンジンと呼ばれる重力場形成装置によって発生させた強大な重力で時空を歪め、現在地点と目的地点の2点を重ね合わせ物体を移動させる技術である。そうして重力場形成装置に供給されるエネルギーが臨界点に達した時がワープの瞬間である。この時に時空に「ゆらぎ」が発生し人体に少なからず影響を及ぼすとされている。
それでなくとも艦内エネルギーのほとんど全てを重力場形成装置につぎ込むため、人工重力発生装置も、二酸化炭素を還元させ酸素に戻す空気浄化システムも作動を停止する。
もちろん空気浄化システムが停止してもいきなり酸欠状態になるほど艦内は狭くない。しかしながら二酸化炭素濃度がわずか数%に達しただけで健康状態に重大な影響を及ぼすようになるのである。したがってワープ中の宇宙服着用は当然の規則である。また人工重力発生装置が正常復帰しないと艦内で宇宙遊泳をするハメになる。それ故のベルト着用義務である。
またそのワープが正常だったかどうかの確認も大至急行わなければならない。
宇宙で何が一番怖いかといえば、全システム中生命維持機能の喪失もだが、なんといっても「迷子」に勝るものはない。自分の現在位置がわからない、この先どちらへ進めばいいかわからない、という状態はまさに最悪である。
したがって観測班は躍起になって自艦の位置確認、特定を行う。だがそのためにはまず艦内電力が戻らないことには話にならない。光学望遠鏡を除くあらゆる観測装置は電気で動いている(但し見るだけという話。望遠鏡の方向を変えようと動かすには電力が必要である)からである。
故にワープ後の安全確認が済み、諸システムが正常に復帰するまでは全く気が抜けないのである。
「主発電機異常なし、再起動します」
主発電機が正常稼働し安定的に電力を供給出来るようになると、重要度ランクの高いところから電力供給が再開される。
「主コンピュータ、非常用電源から復帰」
「メインブロックへの電力供給完了」
主コンピュータへの電力復帰が終わるとMBに情報解析室《IAC》、戦闘指揮所《CIC》、作戦室《OC3》への電力供給が再開される。
これから暫くの間は、IACの観測結果待ちである。
そうしてIACによる自艦の位置特定が終了すると集中制御室へ連絡が入る。
『全システムを回復せよ』
そこでオペレータ達が一斉に安堵の溜息を漏らす。表情にもいくらか余裕が戻ったがまだまだするべきことは多いから気は抜けない。落ち着いて艦内全設備の制御室へ再起動の指示が行われていく。
やがて主エンジンが点火され艦が通常航行を始める。
艦が規定の巡航速度に達したところで主エンジンが停止し慣性航行へ移行した。
そうして全システムの完全な再稼働が確認された〇八二九に艦内は第3種配備解除、第1種配備への移行が伝達されたのである。
「お待たせしました」
下士官がエメネリアとネイリの前に現れた。
「もう宇宙服を脱いでも大丈夫です」
ヘルメットを外したエメネリアは小さく溜息を吐いて立ち上がると宇宙服を脱ぎに掛かる。
ネイリはヘルメットを外しただけで脱ごうとしない。脱いでも置いてはいけないから結局荷物になる。それで着たまま移動しようということである。
下士官はエメネリアが脱いだ宇宙服を奪うように受け取って近くの壁に吊るした。
そこへグレマン少佐が戻ってきた。
「さて、今のが技術部の一番の仕事だ。もっとも主に機関科のだが……」
グレマン少佐が説明する。
「これからは各設備の制御室で制御され、ここでは本当にモニタリングだけになる。だから第1種配備の時は多くの人員を配してはおかない」
そう言われて室内を見回すと、Cシフトの兵士達がAシフトの兵士に引き継ぎを終え敬礼して集中制御室を出て行く。あっという間に室内は10名程度が残っているだけになり、壁のモニタも電源が切られ暗転していく。
「ところでそれら大型の機械設備なんだが……」
グレマン少佐の表情が少し申し訳無さそうなものに変わった。
「特に生命維持装置関連、空気浄化還元装置や汚水処理施設、それから液体元素貯蔵タンクは特別なセキュリティレベルが設定されていて、少佐では近づくことさえ出来ない」
グレマン少佐はそこで一旦言葉を切って、断固たる口調で続けた。
「したがって少佐を案内することは出来ない」
エメネリアはそれに対し当然といった表情で答えた。
「了解です」
宇宙空間において「迷子」となることは、乗組員に多大なストレスを与える。
「生きて故郷に還れない」どころか、死ぬまで閉鎖空間に閉じ込められている、ということに精神が耐え切れなくなるのである。
だがそれでも生命維持関連装置が正常に作動していれば少しは前向きになれる。だがそれすらも覚束なくなればそれこそ叛乱でも起きかねなくなる。それ故生命維持関連施設は他とは別個の特殊なセキュリティが設定されるのである。
「まあ、主エンジン、それに人工重力発生装置や重力場形成装置は見られるが、ただ設備そのものはデカイばかりだし、制御室の方が視察する価値はあると思うんだが……」
グレマン少佐はそう言ってエメネリアを窺う。
エメネリアが技術士官であればそれだけでも大いに興味をそそられるだろうが、何せ参謀職にある将校である。確かに艦のスペックに全く興味が無いということことはないだろうが、果たして現物を見たいとまで思うかどうか。それが不明であった。
当のエメネリアにすれば、確かに作戦を立案する上でその艦の能力は重要な要素である。どれほど見事な作戦でも実働部隊にそれを実行する能力が欠けるなら、それこそ絵に描いた餅。何の役にも立たない。
「他の部署に関しては如何でしょうか?」
エメネリアが尋ねる。グレマン少佐があまり気が進まないようだと見て取ったので話題を変えるべく聞いたのである。
「甲板科も今日のところはエレベータやエアロックの点検ぐらいで大した仕事はない。」
これまた期待はずれの答えである。
「ただし……」
「ただし?」
「予定では2日後に辺境基地の補給を行う。その時に外装パネルの交換作業が予定されている」
「外装パネル?」
エメネリアが首を傾げた。先ほどのオペレータ達の確認作業でも名前が出てきたが、それだけでは何のことだか想像がつかなかった。
「外装パネルというのは、装甲の上から艦体全体を覆っている宇宙線取り込み用設備だ。本当はとんでもなく長ったらしい名前が付いてるんだが、我々は単に外装パネルと呼んでる。その幾つかが破損しているので、この機会に修理することになってる」
グレマン少佐の説明は簡潔だった。
巨大戦艦リンデンマルス。そのエネルギー供給システムはどういったものか。
これについては純粋に興味を覚えたエメネリアであった。




