第37話 軽率
レイナートと展望室で会話をした日もコスタンティアはAシフトである。
AシフトはCST(Cosmic Standard Time : 宇宙標準時)で〇八〇〇《マルハチマルマル》(08:00)から一六〇〇《ヒトロクマルマル》(16:00)まで。その前後30分は定時ワープのための第3種配備が敷かれるから、遅くとも〇七三〇までに支度を整え宇宙服まで着込んでMB《主艦橋》かOC3《作戦室》に入っていなければならない。
なお、ワープのために限らず第1種配備以外では食堂、ジム、ライブラリ、シアター等の利用は不可である。ちなみにコスタンティアのその日の第1食は〇六四五から〇七一五に指定されていた。それでバッチリと化粧まで終えて第2食堂に姿を表したが、実は3時間も寝ておらずはっきりいって寝不足だった。
―― まったく……、随分と厳しくなったものだわ……。
内心ぼやきつつトレイの上のサラダをフォークでつついている。
食堂のメニューは第1、第2ともに共通で常に3種類から選べる。コスタンティアはこの日寝不足故に食欲がなく、最も軽いサラダとスープのセットにしたのだった。
何故寝不足かといえば、レイナートが展望室を去った後、その場に留まり色々と調べていたということもあるが、憲兵に尋問を受けたということが大きく影響していた。すなわち、「エラー:コード990」を頻発させたためにである。
展望室で情報端末を使って軍のデータベースにアクセスしていた。だが中々求める情報は得られなかった。検索エラー、すなわち重要機密にアクセスしようとして表示される「エラー:コード990」の故にである。
もっともそれによってかえって自分の推理の裏付けが取れたということもあったが、あまり嬉しくないお客さんも招いてしまったのだった。それは保安部の憲兵である。
憲兵は艦内軍事警察という位置づけであり、艦内における犯罪行為の捜査と取り締まりを第一義とする。
艦内における重要施設及び艦長の警備と歩哨とともに憲兵は陸戦科からの出向によって行われている。保安部の業務は本来、法の執行という観点から事務職はともかく、特に判事、訴追人、弁護人、憲兵は各組織からの独立性という点で独自の人員を擁するべきである。そうして判事、訴追人、弁護人に関してはそれが徹底されているが憲兵は陸戦兵が兼務している。普段遊んでいる、というと言葉が悪いが、出番の少ない陸戦部隊を活用するためである。
「失礼します。この展望室から重要機密へのアクセスが多数ありましたので調査をしています」
憲兵の一人がそのようにコスタンティアに説明した。
「何か気づいたことはありますか?」
憲兵の態度は至極丁寧ではあったが厳しさに満ちてもいたし、自分を疑っていることが明白だった。
そもそも陸戦兵の出向ではあるが、憲兵として職務に就く時は警護や歩哨以上に私情を廃すべしとされている。まあ、警察機能ということであれば当然のことであろう。
ただしその場にいたのがコスタンティア、作戦部長次席という高位の士官だったので慇懃な態度を採ったと見える。
一方、問われたコスタンティアは特別悪いことをしたとは思っていなかったから素直に答えた。第一、隠したりしたところで情報端末を調べられればすぐにそれとわかってしまうのである。
「それは多分私でしょうね。調べ物をしていたのだけれどエラーコードが出ていたから」
「どのようなことを調べていたのですか?」
憲兵が重ねて聞いてきた。
「色々と……。つい先程まで艦長とお話させていただいていたのだけれど、そこで色々と参考になることを聞かせていただいたの。それで関連項目を調べていたのだけれど……」
コスタンティアは何も重要機密に不正アクセスしようとした訳ではない。アクセスしようと思った情報が偶々最高機密ランクに設定されていただけである。だから誤魔化したり嘘をつく必要はないと考えた。
「艦長とですか……」
「ええ。艦長警護の陸戦隊員に確認すればわかるはずよ」
そこで憲兵の一人が小声で無線機を使用した。
陸戦隊員は憲兵に出向の際は他の陸戦隊員とも一線を画すように命令されている。したがって同じ陸戦隊の同じ分隊や小隊の者とでも気軽に話をしなくなる。とは言うものの、それは精々1~2週間の間ではあるが。
そうして確認が取れたのだろう、憲兵達は何やら小声で話し頷き合っていた。
「そうでしたか……。ありがとうございます、お手間を取らせました」
そうやって直ぐに開放されたのではあったが、こちらも中々考えさせられた。
レイナート艦長が着任して直ぐは、その人物を知るため艦内の多数乗組員がその個人情報にアクセスしようとし、同じように「エラー:コード990」を経験している。
だがこの時には憲兵が乗り出すなどという事態にはならなかった。数があまりに多過ぎたということもあろうし、着任して直ぐで良く知られていなかったからだろう。
だがあれから既に4ヶ月以上になろうとしている。さすがにもう誰もレイナートの個人情報ファイルを頻繁に開こうとはしなくなっていた。そうして通常、そのように機密ランクの高いファイルにアクセスしようなどとは誰も思わない。それこそスパイだけだろう。
ところが保安部のコンピュータは第6展望室でそのアクセスが盛んに行われたことを示した。それで憲兵が出動することとなったのであることは想像出来た。
―― こうなると情報収集はもっと難しくなるわね……。
コスタンティアはサラダをフォークでつつきながら考えている。
艦長はおそらく、第七士官学校を卒業した後、第七管区すなわち第七方面司令部管内の辺境基地RX-175に勤務となりそこに配備されている警備艇の艇長となった。そうしてそのきっかけがどういうものかは不明であるものの、そこでエメネリアと出会っている可能性が高い。そこには戦闘レポートにある海賊船との戦闘が関わっているのかもしれない。
もしかしたら艦長の経歴一切が最高ランクの機密扱いになっているのもそれが理由かもしれない、とここまでは推理出来た。しかしながら、それ以上のことは全くわからなかった。
―― 他にもまだ何かあるのかしら?
そうなると現在の情報からだけでは全く想像もつかなかったのである。
そうしてしばらくサラダをつついていたが、ふと目の前に女性士官が2人座っていることに気づいた。それに全く気づかないでいるくらい深く考え込んでいことに我ながら驚いたコスタンティアである。
だがそれ以上に驚かされたことはその2人の女性、船務部のクローデラと管理部のアリュスラが怖い顔で自分を睨んでいることにであった。
「何よ? 2人して……」
呆れ顔で聞いたコスタンティアにアリュスラがボソリと言う。
「裏切り者……」
「何ですって!」
コスタンティアが眉を釣り上げたら今度はクローデラまでが言う。
「抜け駆け……」
「ちょっと! 失礼なこと言わないでよ! 私が何を裏切って抜け駆けしたって言うのよ!」
全く心外な言葉を投げかけられて、寝不足もあってコスタンティアは本当に怒りを覚えていた。
「艦長と随分と親しげに話をしていたらしいじゃない? 興味ないなんて言ってたくせに……」
アリュスラがジトッとした目でコスタンティアを見つつ言った。
「貴女、滅多にお目にかかれないようないい笑顔だったっていう話じゃない」
「誰がそんなことを!」
それは言わずと知れた、艦長警護の陸戦隊員の漏らした情報だろう。
警護兵は任務中に何があったかを報告することになっているはず。当然自分と艦長が展望室で話をしていたことも報告しているだろう。だがそれを他の誰かに漏らすことは職務上の専守機密保持規定に違反しているのではないだろうか。
そう考えると余計に腹立たしくなったコスタンティアである。
クローデラもコスタンティアを睨めつけている。
だがそれでもコスタンティアは興奮して我を忘れるなどということもなく、頭の中で冷静に考えていた。
―― 要するに嫉妬ということでしょう? ホント、あんなヤツのどこがいいんだか!
―― でも今は何を言っても無理そうね。だからって誤解されたままというのも癪にさわるし……。
そこでコスタンティアは静かに口を開いた。
「確かに艦長に興味あるわよ?」
アリュスラとクローデラの顔色が変わる。
「でも、勘違いしないで。それは同期の優秀な上官ということだけだから」
「本当かしら?」
冷めた目でアリュスラが聞く。
「ええ。それに艦長と話が出来て、お陰で色々とわかったこともあるわ」
「わかったこと? どんな」
そこで2人が食いついてきた。
身を乗り出してきた2人に、コスタンティアも身を乗り出し声を潜めた。
「どうやら艦長は、士官学校を出た後、第七方面司令部管内の辺境調査基地に配属になったようね」
それはある程度予想出来ることである。だがコスタンティアのことである。そこで話は終わらないだろう。
2人がゴクリと生つばを飲み込んだ。目が期待に輝いている。
「そこで海賊と戦闘になったみたい」
「海賊と……」
「戦闘……」
口々に呟く2人である。
「ええ。但し記録にはっきりと名前が出ていた訳じゃないから多分に憶測だけど……」
「じゃあ、どうして?」
そんなことがわかるのか。当然の疑問だろう。
そこでコスタンティアは掻い摘んで説明したのである。
「戦闘レポートの記録に名前がなくて、データベースの方はアクセス不可だったわ」
「まさか……、コード990?」
「ええ。、その通り」
そこでクローデラが確認してきた。
「でも、それだけでは、それが艦長のものだとは断言出来ないのでは?」
その問にコスタンティアも頷く。
「ええ、そうね。でも十中八九間違ってはいないと思うわ」
「何故? そこまで言える理由は?」
「まず第一に、艦長は第七士官学校卒。ということは第七方面司令部管内に配属となった可能性が極めて高い」
「それはそうね。それで?」
それはもう既に聞いているからアリュスラが先を促す。
「そうしておそらくその時、艦長とミルストラーシュ少佐は出会ってる」
「えっ?」
「うそ! まさか」
愕然とした表情をアリュスラもクローデラも見せた。
「少佐が乗艦した時のこと憶えてる?」
コスタンティアがアリュスラに尋ねた。
「ええ。もちろん。それが……?」
「あの礼儀正しいお嬢様の少佐が、艦長にだけは『はじめまして』と言わなかったのよ? 憶えてる? もちろん艦長もね。と言うことは……」
「「2人には面識があった!」」
自分もお嬢様でありながらコスタンティアはエメネリアをそのように表したが、それには少しも気を取られず、思わず大きな声を出した2人は恥ずかしくなって首をすくめる。
それに苦笑しながらコスタンティアが続けた。
「ええ。そうしてそれは艦長が辺境基地勤務時代のはずよ。もしかしたら少佐はその海賊に追われていたのかもしれない。理由はわからないけど。
そうでないと、どう考えてもイステラ軍人とアレルトメイアの軍人が結びつかないし、第一、あんな辺鄙なところに海賊が現れる理由も思いつかないもの」
「辺鄙なところ」というのはひどい言い草だが、確かに辺境基地は「辺境」というだけあって周囲は半径数光年から数十光年の範囲で何もないところにぽつんと配置されている。
そうして軍のデータベースでおおよそのRX-175基地の場所を確認したコスタンティアには、過去に戦闘も何もなかったその周辺に突然海賊が現れた理由がわからなかったのでエメネリアと結びつけてみたのである。
「それは確かに……」
「それに、アレルトメイアとの士官派遣交換プログラムだって随分と急な話じゃない? イステラはそこまでアレルトメイアと友好的な関係だったかしら?」
「そう言われてみれば……」
この4~5年で急速に近づいた二国間関係だが、それまでは互いに無関心とも呼べるほどでしかなかった両国である。士官派遣交換プログラムを実施するには些か性急過ぎると言えなくもない。
「でしょう? この士官派遣交換プログラムには絶対裏に何かあるはずよ。そうでないといきなり過ぎるもの」
「でも、いくらなんでもそれは考え過ぎなのでは?」
クローデラが疑問を呈する。
だがコスタンティアは首を振った。
「過去の2人に何かがあった。それは艦長の軍歴を一切機密扱いにさせ、しかも普通では考えられないような昇進となる程の事態だった。そうしてその絡みで士官派遣交換プログラムが実施されるに至った。
そう考えるとしっくりと来るのよ。全ての疑問が……」
アリュスラもクローデラも押し黙り、コスタンティアの言葉を反芻している。
「もちろん全て私の勘違い、私の言ったことは全部間違い、という可能性は否定出来ないわ」
コスタンティアはそう締めくくったのだった。
だがこの時、コスタンティアは他に見落としていることがあることに自分では気づいていなかった。
その日、何事も無くシフトを終えたコスタンティアは自室に戻るべくエレベータに乗り込んだ。艦長のレイナートもである。
10人ほどが乗れるエレベータ内は艦長が一緒ということもあって緊張感に包まれ、シフトを終えてやはり乗り込んでいたMBスタッフの誰しもが無言だった。
そうしてレイナートはエレベータを降りる時に振り返りコスタンティアに言ったのである。
「大尉、あまり藪は突かない方がいい。出てくるのは蛇だけとは限らないから」
そう言い残してレイナートはエレベータを降りていった。
コスタンティアは一瞬にして全身が冷や汗に包まれた。
―― まさか、今朝の話のことを言ってるの?
だが考えてみれば、士官用の食堂ではあっても密室ではない。小声で話していたとはいえ周囲の者が聞き耳をたてていたということはあり得る。
そうして自分と艦長が展望室で話していたことさえ、数時間後には他部署の人間に筒抜けだったのである。であるならば、今朝の話が今頃は艦内全部に知れ渡っていて、艦長の耳に入っていたとしてももおかしくない。
艦長の経歴は最高機密扱いで艦内の誰もそれを知ることは出来ない。そういうことを、たとえ推測であろうと、事もあろうに食堂なんかで話していた。
その時初めてコスタンティアは、いくら寝不足で本調子ではなかったとはいえ、己の軽率さに気づいたのだった。




