第28話 第2食堂での一コマ
エネシエルと別れた後、エメネリアとネイリは第2食堂へと向かった。情報端末のナビゲーションアプリを頼りにしてである。
エメネリアとネイリに同行する陸戦兵には基本的に二人の道案内などしないようにという通達が出されていた。それは艦内に慣れるということの他に、不必要に交誼を深めることのないようにという上層部の思惑からだった。陸戦科の兵士は保安部に出向しているから情が移っては困る、という、わかったようなわからないような理由の故にであった。
第2食堂は常に混雑しているがそれは第1も同じで、これは仕方あるまい。総乗組員数が3000を超えるのに対し、食堂の席数は第1、第2併せて320しかない。しかもその内50席は士官用スペースで下士官以下用スペースの席はしたがって270席であるから、どうしても下士官以下用の席が混むのは当然のことなのである。
それでも食堂利用可能時間がひとりひとり細かく設定されているから、座れずに食いっぱぐれるということはあり得ない。
ちなみに士官用は5人掛けの丸テーブル、下士官以下は4人掛けの長方形テーブルを2つ繋げたもの。当然ながら士官用の方がゆったりと座れる。
リンデンマルス号乗組員の内、尉官以上の士官はその数およそ100名程度。これが3交代をしているのだから一度に利用する数は最大でも40名程度。初めから席に十分余裕がある。それであっても尉官、佐官でも、士官だからと自由な時間に食事を摂ることは認められておらず、管理部が提示する食堂利用可能時間に従うことが義務付けられている。その時間帯でないと料理が受け取れないのであり、それが嫌なら艦内購買部でレトルトパックを買うしかない。
この士官用と下士官以下用のスペースはプランターや観葉植物などで区切られているのみで、士官用スペースに一兵卒であっても出入り出来ない訳ではない。
となると士官用は当然ながら常時空席があるから「空席を利用するくらいいいじゃないか」と考えるのは人の常。だが下士官以下がここで食事を摂ることは原則禁じられている。
その代わりと言ってはなんだが、この空きスペースは少人数でのミーティングで利用されることが少なくない。もちろん下士官以下だけでは利用不可だが、士官と一緒であれば着席することが可能である。但し食堂である以上、他の食事の妨げとなることは許されないのは当然である。
また「打ち合わせ」と称して士官に同席、食事をする下士官以下の兵士もいない訳ではないが、これは大目に見られている。事実、実際に食事をしながら打ち合わせをしている者達もいるからであり、業務の円滑な遂行という観点から容認されているのである。
だがこれには元々、艦内にはいわゆる会議スペースのようなものがない、ということも大きく影響している。
リンデンマルス号が惑星地表面に降下出来ないことが明らかになった時、あらゆる不要とされた設備や機器の搭載が見送られ、代わりの諸施設が設置されたが、どういう訳か会議室のような多目的に利用出来るスペースの設置が見送られてしまったのである。
これは乗組員からは至極不満が持たれているが、さりとて、では代わりにジムやライブラリを縮小するという話にはならない。まあ当然のことではあるが。
会議等は通常はブリーフィングルームが利用されるのだが、ブリーフィングルームはその構造上、自由に意見を交わす目的の打ち合わせには利用しにくい。また特に所属部署を跨いでの会合となるとセキュリティ権限の関係上、全員が問題なく集まれる場所に困るということが往々にしてある。その場合、この空いている士官用のスペースというのは貴重なのである。
また一方で私的グループ ― 音楽とか演劇とかといった艦内の娯楽サークル ― での利用も原則不可であるので、そういう時には展望室が利用されるのが普通である。
レイナートら士官学校470期同期会が展望室で行われたのもその理由によるところが大きい。
そうしてその士官用の席に着いたエメネリアにネイリが申し訳なさそうに言った。
「申し訳ございません。ご自身で並ばれるなど……」
料理の受け取りは本人でないと出来ない。具体的には、個人の食堂利用可能時間が定められており、その時間内にどちらかの指定された食堂で料理サーバーにプロテクトスーツの袖のICチップを認識させることで料理が受け取れるのである。したがって本人以外は受け取れないというのが基本システムである。もしネイリがエメネリアの代わりに受け取ってしまうと、今度は自分の分が受け取れなくなってしまう。いかなる理由があっても二人分の食事を受け取るということが出来ないのである。従ってエメネリアは順番に並び、自分で料理を受け取って着席したということである。
「本国であればこのような……」
半ば憤りを見せつつネイリは愚痴をこぼしている。
「いいのよ、ネイリ。『郷に入っては郷に従え』と言うでしょう」
「しかし……」
「随分とリューメール候補生はお冠のようですね?」
そこへコスタンティアが姿を表したのだった。
「何か問題でも?」
コスタンティアに問いかけられてエメネリアは首を振った。
「いいえ、何でもないの。ネイリももう落ち着きなさい」
ネイリもそう言われてしぶしぶ頷いたのだった。
そこで一応の決着が着いたと判断したコスタンティアはエメネリアに同席の許可を求めた。士官用席は常に空席があるにもかかわらず、なのにである。だが、エメネリアは不審げな様子も見せず、快く応じたのだった。
そうしてコスタンティアは話題を振った。
「ところで如何でした? 最初の視察は?」
コスタンティアはその類まれな美貌に、単なる職務上の興味以上のものを湛えながらエメネリアに聞いた。どうしても気にかかる、エメネリアに聞きたいことがある。そこで様子を窺いつつジャブを繰り出すのだった。
「大変興味深かったわ。それに驚くことばかり」
エメネリアが言った。こちらもその美貌に柔らかな笑顔を湛えていたが、社交辞令ではなく心からの言葉だった。
「でしょうね。でも、勘違いしないで下さいね。この艦はかなり特殊で、これがイステラでの普通ではないということを」
コスタンティアが真顔で言った。
「ええ。でも、あまりに特別すぎて、思わず勘違いしてしまいそうだわ」
エメネリアも真顔で答えた。
美貌の二人が向かい合い笑顔で会話をしているのは何とも壮観である。これに船務部のクローデラまで一緒だったら、もう誰もが我を忘れて食い入る様に見詰めてしまうことだろう。
そこでコスタンティアは不審げにネイリを眺めた。ネイリは自分の食事を手にしたままその場に立っていたからである。
「どうかしました? リューメール候補生」
そこでネイリは平然と言った。
「なんでもありません」
「なんでもないことはないでしょう。いいからあなたもお掛けなさい」
エメネリアが諭すように言う。
「しかし自分は従卒です。お嬢……、少佐殿と同席で食事をする訳には参りません」
「だからと言って、私の食事が済むまで待っていることはないでしょう?」
「ですが……」
そこでコスタンティアも得心がいった。
高級士官にはその身の回りの世話をする従卒が付く。これはイステラ軍も同様である。事実、地上勤務の士官ならそれが普通である。ところが宇宙艦艇勤務の場合、通常艦隊の司令やより大きな部隊の司令官や幕僚達でも、副官はいても従卒がいない方が多いくらいである。
例えばリンデンマルス号なら、艦長初め各部長の佐官達も従卒を使っている者が一人もいなかった。居住区の構造自体も艦内システムも従卒がいなくても済む。従卒がいると逆に不便、とまでは言わなくてもほとんど必要がないまでになっているからである。
またリンデンマルス号管理部には高級士官の私室の掃除をする専門の部署があって専属の兵士がいる。それだけ聞くとなんだか奇妙にも思えるが、要するにホテルの客室クリーニングスタッフを想像すればいい。それらが士官の勤務シフトを元に部屋の空いている時間に順繰りと掃除やベッドメーキングをしていくのである。
食堂利用に関して言えば、まさに今エメネリアとネイリが経験した通り。本人以外は食事を受け取ることさえ出来ないのである。
それ故士官一人ひとりが従卒を抱える必要はなく、それが限りある艦内スペースを無駄に専有することの防止にもつながっているのである。
だからエメネリアが従卒を連れて乗艦したために「お偉いさん」用の特別室を利用するはめになったのである。
「ごめんなさいね。イステラ軍の宇宙艦艇は将校に従卒が付く、という前提になっていないのよ。限りある艦内スペースでしょう? ただ一人の将校のためだけに働くスタッフというのは……」
コスタンティアは最後は言葉を濁した。ここで「無駄だ」と言い切ってしまうと、ネイリの存在を否定することになってしまうからである。
「そうなんですか……」
だが最後まで言われなくともコスタンティアの言いたいことがわかったネイリは、そのあまりに合理的過ぎる考え方に悄然とする。殊に身分制度を有し、エメネリアには「仕えている」と意識しているアレルトメイア軍人 ― 正確にはその卵 ― であるネイリからすれば、己の存在意義にも関わることだけに当然のことだろう。
「『郷に入っては郷に従え』よ、ネイリ。いいからあなたも食事を済ませてしまいなさい。この後も視察は続くのよ? 時間がなくなってしまうわ」
「はい……」
納得出来ないものを感じつつもネイリは頷いたのだった。
ところでコスタンティアは静かに食事をしつつ、疑問を口にしようかどうしようかと悩んでいた。すなわちエメネリアは艦長のレイナートとは以前に面識があるのか、ということである。
―― でもまだ早いわね。もう少し様子を見てからでないと……。
となると次はどうジャブを繰りすか。そちらに気が行っていた。
コスタンティア自身は気づいていなかったが、実はレイナートをかなり意識していた。
とは言ってもそれは異性としてではない。自分よりも高位の同期生ということだからである。しかもその経歴は一切不明で、アンタッチャブル。限られたごく一部の人間しか知り得ないというのだから当然のことだろう。
そうしてエメネリアとレイナートには何らかの引っ掛かりがありそうだ。それは単なるカンではなく、二人が出会った時の様子から窺えたのである。
聞こうか聞くまいか。それで悩んでいる内にエメネリア達は利用時間が終わりを告げ席を立ってしまったのだった。
「あらら、残念だったわね?」
コスタンティアの背後から声を掛けてきたのは軍医中佐のシャスターニスだった。
「何がです?」
内心の焦りを隠しつつ、コスタンティアは優雅な笑顔を見せた。
「なんだか色々聞きたくてウズウズしてるって顔してたけど?」
シャスターニスは些か人の悪い笑みを浮かべつつコスタンティアに言ったのである。
だがそんなことで狼狽したり弱みを見せたりするようなコスタンティアではない。
「あら、先生はカウンセリングもなさるのですか?」
言外に「貴女は外科医でしょう。それなのに?」という多少の嫌味を含ませつつコスタンティアは切り返したのだった。
「するわよ? 私の専門は脳神経外科だけど。
脳は人間の思考の中心にして根源。単なるタンパク質の塊じゃないもの。人は何を思い、どう考えて行動するのか。それを無視して、そもそも医療も何もないわ」
だがシャスターニスの方が数段上手であったのは否めなかった。
 




