第22話 乗艦
リンデンマルス号に配備されているコードネーム「ドルフィン」と称される多目的シャトルは、主翼の中ほどにロケットエンジン、機体の胴体部分後方下部にイオンスラスタをそれぞれ左右に1機ずつ備える。これは大気圏内外での飛行を可能とするためである。
であればロケットエンジンだけでも良さそうだがこれは効率があまり良くない。基本的には宇宙空間においては慣性飛行であるが、細かい軌道修正のたびにロケットに点火していると一応主翼下部に増槽タンクも備えるが直ぐに燃料がなくなってしまう。そのためにイオンスラスタも備えるのである。
ただし、今回のようにわずか30kmの距離を飛行する場合、1回ロケットエンジンに点火して一気に速度を上げれば、あっという間に目的地に到達出来る。それこそ実質的な飛行時間は3分にも満たない。
したがって荷室内に座っている女性達も飛行中に会話を弾ませる暇はない。
「こちらドルフィン3、着艦体制に入る」
事実、アレルトメイアの空母から離床したと思った矢先に、既にパイロットからそういう言葉がリンデンマルス号の飛行管制センターに届く。
『ドルフィン3、了解。
速度と高度に気をつけろよ。間違っても艦橋なんかに突っ込むなよ!』
「馬鹿野郎、こっちの腕を信じやがれ!」
『何、言ってる! どうせ自動操縦だろうが!』
「だったら、そっちこそ初めから言うな!」
パイロットと飛行管制センターでそんな遣り取りが交わされる。なんともふざけたものだが、責任者たちが黙認しているから一向に改まることはない。
艦橋の下の離発着ハッチは開いたままで、誘導灯が点滅しているのがコクピットからはよく見える。だが荷室には外を見るための窓はないので全く機外の様子を知ることは出来ない。
やがて軽い衝撃とともに機体が停止したGを感じる。
『お疲れ様でした。無事到着です』
パイロットが荷室内にアナウンスする。
それを受けて、手早く安全ベルトを外したコスタンティアが、アレルトメイアの女性士官に告げる。
「着きました、少佐殿。今から降機しますがヘルメットはまだ取らないで下さい」
「わかりました」
女性士官がかすかにヘルメットを上下させて答えた。
エレノアが女性士官の、イェーシャが従卒の少女の安全ベルトを外す。
「では、どうぞ。もうここは人工重力の影響下に有りますの足元に注意して下さい」
コスタンティアはそう言って2人を先導する。
イェーシャはやはり先に降りてタラップ脇で姿勢を正し捧げ銃をしている。
女性士官がタラップを降りると、ちょうど離発着ハッチが閉じられているところだった。
漆黒の宇宙空間が見えなくなる。女性士官は明々と照明に照らされるハンガーをぐるりと見回す。そこは余り天井が高いものではなく、天井からはクレーンが何機もぶら下がっているのが見える。
「少佐殿、どうぞ」
しばらくハンガー内に見とれていた女性士官は促されて歩き出す。先頭をコスタンティア、次いで2人のアレルトメイア軍人、最後にエレノアとイェーシャが続く。2人のアレルトメイア軍人の手荷物は別の甲板員が手に持って付いて来ている。
すぐにエアロックのドアに辿り着き中へ全員が入る。
エアロック内には窓があってオペレータがこちらを見ている。
「お願い、始めて」
コスタンティアに促され、オペレータがエアロック内に空気を充填し始める。
やがて窓の上のランプが赤から緑に変わった。
『もうOKです。それと艦内はもう第2種配備に変更になってますから、宇宙服を脱いで下すって構いません』
オペレータの声に全員が宇宙服を脱ぎ始める。
艦内にはおよそ3千人の乗組員がいる。その全員がいつも同じ所にいるとは限らない。したがって緊急の第3種、第4種配備の場合、一々自分の宇宙服を自室もしくは勤務部署まで取りに行くということはナンセンス、ありえない。そこで艦内各所には宇宙服が壁に吊り下げられているところが200箇所以上もあり、約4千人分の宇宙服が準備されている。通常はこれを使用し、必要のなくなった宇宙服は手近な所へ戻せばいいことになっているのである。
したがってコスタンティアも作戦室《OC3》付近で着た宇宙服をこのエアロックで躊躇うことなく脱いだのである。
もっとも、あまり宇宙服の数が場所によって偏った場合は、管理部がそれを調整して回ることにはなるが。
アレルトメイア軍の宇宙服は仕様がわからないからイステラ兵が手を貸そうにも手出し出来ない。だが少女が手早く手伝って女性士官の宇宙服を脱がせた。
そこから現れた女性に一瞬誰もが息を呑んだ。身体に張り付くようにフィットしたアレルトメイア軍の制服は見事な曲線を描いている。そうして長いであろう金髪を結い上げ、顔はまさしく美人と呼べるもの。ただコスタンティアのようなある意味冷たい顔立ちの美人ではなく、もっと愛嬌のある明るい笑みを湛えている。
コスタンティアはふと窓の外のオペレータの方を見た。オペレータは若い男性兵士ですっかり見とれている。コスタンティアは鋭い一瞥をオペレータに与えた。
―― 宇宙服とはいえ、女性が服を脱ぐところをジロジロ見てるなんて!
エアロックを出たら文句のひとつでも言ってやろうと真面目に考えたほどである。だが艦橋では艦長が待っている。グズグズしてはいられない。そこで思い直しドアに手を掛けてエアロックから内部に入る。そこは大きなガランとした空間で、いわばエアロックの待合所のような用途で使われる場所である。
コスタンティアは怖い顔でオペレータを横目で睨みつつスタスタと奥へ進んでいく。
中央にテーブルがあり、女性下士官が1人待機している。そこに2人の私物が入っているであろう手荷物の機密パックが置かれた。
機密パックは要するに宇宙用のスーツケースである。周囲の気圧が変化しても押し潰れたり、逆に膨張・破裂しない強度を持つ。
「申し訳ありませんが、持ち込み品の検査をさせていただきます」
検査係である保安部の女性下士官がそう言った。
「ええ、どうぞ」
本来ならドルフィン3に乗機する前に行われてもおかしくないことである。当然予想していたことなのだろう、アレルトメイアの少佐が笑顔で頷く。
2人自身が機密パックを開け中身を取り出していく。途中、少佐の私物の中から拳銃が出てきた時には、係の女性下士官の目が光ったが、それでも彼女は何も言わなかった。
「問題ありません」
女性下士官はコスタンティアに向かってそう報告したのだった。
「ありがとう、ご苦労様、曹長。荷物をお二人の部屋へ。
お待たせしました。さあどうぞ、こちらです」
コスタンティアが2人を誘った。
3基あるエレベーターの中央のに案内し乗り込むとレベル12まで上がる。この中央のだけは主艦橋《MB》 まで登れる唯一のエレベーターだから、一定レベル以上のセキュリティ権限がないと乗ることすら許されない。もっともアレルトメイア軍人にすればそんなことはわからない。ただこのエレベーターのドアにだけ警護兵が立っているので、重要施設へ行けるものであることは窺い知れる。
エレベーターがレベル12に達しドアが開くとそこにはレイナートが待っていた。
MBだけでなくOC3、戦闘指揮所《CIC》、情報解析室《IAC》の全スタッフも起立していて新たな客人を出迎える。
コスタンティアはレイナートの前に進む。
「艦長、アレルトメイア宇宙海軍少佐をお連れしました」
コスタンティアは敬礼の後そのようにレイナートに告げ、レイナートの脇に控える副長のクレリオルの横に並んだ。
アレルトメイアの士官が今度はレイナートの前に進む。敬礼の後、自らを名乗る。
「帝政アレルトメイア公国宇宙海軍統合参謀本部所属、エメネリア・ミルストラーシュ少佐です。本官の受け入れに心より感謝します」
「ようこそ、少佐。私がリンデンマルス号艦長レイナート・フォージュです。貴官を歓迎します。どうぞよろしく」
「ありがとうございます、艦長。こちらこそよろしくお願いします。
それと後ろに控えるのは本官の従卒、ネイリ・リューメール幼年学校生です」
それを受けてネイリと呼ばれた少女がキリリと敬礼した。
「初めまして艦長閣下。
わたくしはネイリ・リューメール、宇宙海軍幼年学校最高学年生です。おじょ……、いえ、少佐殿の従卒を務めさせていただいております。何卒よろしくお願いします」
年の頃は13~4歳のネイリが、気負っているのか幾分顔を紅潮させてそう言った。
思わずその初々しさに誰もが顔をほころばせる。
「初めまして。ようこそ、ネイリ候補生。慣れないことも多いと思いますが頑張って下さい」
「ありがとうございます、艦長閣下」
レイナートの言葉にネイリが声を張り上げた。それ聞いてレイナートが苦笑する。
「それと、その閣下は止めて下さい。あいにく私はまだ大佐で、閣下と呼ばれる地位にはありませんので……」
幼年学校の生徒に対してもレイナートの言葉遣いは丁寧なものだった。
「ですが……」
何かを言い返そうとするネイリをエメネリアが制止した。
「ネイリ、艦長のお言葉に従いなさい。艦長は艦の最高責任者。そのお言葉は絶対です。そう習っているはずです」
「わかりました、おじょ……、少佐殿」
エメネリアがたしなめるとネイリは素直に頷いた。
次いでクレリオルが自己紹介する。
「初めまして。本官は作戦部長兼副長のクレリオル・ラステリア中佐です。今後、貴官の直属の上司となる予定です。よろしく」
「初めまして、ラステリア中佐。こちらこそよろしくお願いします」
エメネリアはクレリオルにも敬礼を返す。
そこでレイナートが再び口を開いた。
「さて、本艦はしばらくの間、通常航行をした後ワープを行います。その間お二人には色々とやってもらわなければならないことがあります」
「はい」
エメネリアが頷いた。
「その前に少佐、同胞へのご報告をどうぞ」
そう言ってレイナートは艦長席にエメネリアを座らせる。コンソールの中央にはモニターがある。
「通信士、アレルトメイア艦への回線を」
「回線繋げます。どうぞ」
モニターには今度はエメネリアを送ってきたシュスムルス提督の顔が映し出されている。
「ありがとうございました、提督。無事に乗艦しました」
エメネリアがシュスムルス提督ににこやかに語りかける。
『了解した、少佐。気をつけて』
シュスムルス提督も笑みを浮かべている。
「ありがとうございます」
『フォージュ艦長、少佐のことをよろしく』
シュスムルス提督はエメネリアの背後のレイナートにも声を掛けた。
「了解です」
レイナートが頷く。
『では、我が艦隊は帰投する。よい航海を』
「提督も。通信を終わります」
短い通信が終わるとエメネリアは立ち上がり元の位置へ下がる。
レイナートが言う。
「次のワープまでおよそ4時間半です。それまでの間……」
レイナートは一旦言葉を切って自らの背後に居並ぶ士官の一人の方を一瞥した。
「こちらのアリュスラ・クラムステン少尉が乗艦に際して必要なことをご案内します。しばらくは彼女の指示に従って下さい」
「わかりました」
エメネリアが頷くとアリュスラが気を付けの姿勢のまま一歩前に出た。そうして身体を45度回転させエメネリアに向かうと敬礼した。
「私は本艦管理部のアリュスラ・クラムステン少尉です。只今よりお二方をご案内させていただきますのでよろしくお願いします」
「初めましてクラムステン少尉。こちらこそよろしくお願いします」
エメネリアも敬礼を返す。それを受けてアリュスラが身体の向きを戻し一方後ろに下がった。その動きはキビキビとしていて小気味いいものだった。
「シャッセ中尉とフィグレブ准尉は引き続き護衛の任務について下さい。
アトニエッリ大尉は部署に戻るように。
以上。何か質問は?」
レイナートが言うと皆無言だった。
「結構です。では艦内体制を第1種配備に変更。総員、解散」
再び全員が敬礼した。そうしてそれぞれが己の持ち場に帰り始める。
「では、少佐殿、どうぞこちらへ」
アリュスラがエメネリアとネイリを案内してエレベーターに向かう。
OC3に戻ったコスタンティアはそれを横目で眺めながら、自分を襲う違和感に意識を奪われていた。
―― 何故ミルストラーシュ少佐は艦長に「初めまして」と言わなかったのだろう?
自分がシャトルで出迎えに行き初めて彼女と対面した時も、エレノアやイェーシャに対しても彼女は初対面であることをその言葉で表していた。
たった今のMB内でも同様である。ただひとり艦長に対してだけが違った。それは艦長も同様である。従卒の少女には「初めまして」と言ったのに彼女には言わなかった。
―― もしかして、2人は顔見知り? 前に会ってる?
だがそれはどう考えても腑に落ちないことである。
アレルトメイア軍の参謀本部付き士官とイステラ軍の宇宙戦艦の艦長ではどう考えても接点がないとしか思えない。
―― 艦長の過去と何か関係があるのかしら?
それはあると見るべきだろう。他に考えようがなかった。
―― でも、どこで、どうやって?
帝政アレルトメイア公国とイステラ連邦の関係は、それまでどう良く見積もってもそれは「中立」端的に言えば「無関心」というものに近かった。それがこの4~5年で急速に関係改善が進んだ。
大体、軍の士官交換派遣プログラムなど、普通は同盟国同士の間でもなければ行われないことだろう。それが行われるほど両国の関係は親しいものではなかったはずだ。それなのに実施され、しかもまるで藪から棒にリンデンマルス号に士官が派遣されてきた。しかもこちらからの派遣はない。
―― 余程の理由があるんじゃないかしら。
その余程の理由というのが艦長の過去に関わっているのだとしたら、艦長の経歴が一切機密扱いで開示されていないことにも頷ける。
―― まさか私達はとんでもないことに巻き込まれているんじゃないかしら?
そんな穿ったことを考えつつ、目の前のコンソールをじっと見つめているコスタンティアだった。




