20【その手のぬくもり】
あれから数週間が経ったが、矢蔵刃睦月はフィーネとの話通り、ロッテとフィーネの生活費を負担していた。最後の最後までフィーネは拒否したが最終的には折れることになり、結局すべてグラハムの望んだ通りにことは運んだ。
なぜそこで折れなかったかというのは、フィーネに他の男と寝るような仕事はさせたくなかったし、それ以上に自分の不甲斐なさを思い知ったから故に、意地になっていたということもある。
声を荒げてフィーネの頬を打って、そんな子供だった自分が嫌で次に意地で突き通した。
やはり彼は高校生、子供なのだろう。
そして現在、矢蔵刃睦月はいつものように自宅にいた。
椅子に腰をかけてコーヒーを飲んでいるグラハムの隣の椅子に座っているのはフィーネの娘ことロッテであり、紙が束ねられたノートに教科書をみながら色々と書いていく。ロッテがしているのは単純な問題だが、グラハムとしては簡単なものに思えた。
文字を覚えたのはつい最近ではあるが、文字さえ覚えてしまえばあとは応用だ。
「……そういえばフィーネさんは?」
「お買いもの言ってる、今日もうちで食べるでしょ?」
「ああ、フィーネさんの料理に勝るものはないからな」
「でしょー♪」
嬉しそうにそう言うロッテを頭を軽く撫でると、くすぐったそうな表情で嬉しそうにしている。
とりあえずはロッテの面倒を見てフィーネが帰ってきたらギルドに行って仕事でも探そうと一つ頷く。
だがそうしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「まったく誰だ」
そうつぶやいて扉を開けると、そこには久しい顔がある。
正直あまり見ても気分が良い顔ではない、それは向こうも同じならば良かったのだがそうでもなく、笑みを浮かべていた。
「魔王……」
「久しいな」
なぜあのことがあったにも関わらず、お互いわかりあえないとわかっているにも関わらず、平然と顔を出すのか矢蔵刃睦月には理解できなかった。
魔王の背後にはエリスもいるせいで、余計なことは言えない。
とりあえずロッテを見てから魔王を見る。
「帰れ、客が来ている」
「グラハム……理解しろ、魔王様とて多忙な中来ている」
たしなめるように言うエリスは、すでにグラハムが強く言ってもわからない人間だと理解しているからだろう。
だからこそ、なるべくしずかに言う。
グラハムがロッテの方を見て、申し訳ないという表情を浮かべた。
「……はぁ、すまんロッテ客人を上げるぞ」
「あ、うん!それじゃあベッドの方に」
「すまんな」
ロッテは頷いてさっさとベッドの方へと移動して勉強を続けている。
魔王とエリスの二人が入ってくると、やけに驚いたような表情を浮かべるロッテだがそれを見てグラハムは改めて二人が偉い側の人間なのだと理解した。
いや、おかしいのは間違いなく矢蔵刃睦月という男であり、魔王とエリスを相手に立場を理解しても一様に対応が変わらない。それは、少しばかりずれているといればそうなのだが、それでも彼は彼の尊厳として魔王相手にもう態度を顧みることは無いだろう。
単純に、子供なのだ。
「で、何の用なんだ?」
「単純にお前に頼みがあってな、今回は魔王様の護衛だ」
「護衛……お前じゃダメなのか?」
「私は少し用があってな、今度人間の帝都ラインバルトにて皇帝との会談がある……私以外の四天王は行くがお前がいた方が助かる」
明らかに持ち上げすぎであり、自分にそれほどの力があるとも思えないグラハム。
確かにそこらの魔族や人間に負けることは無いだろうと自負しているが、こうしてエリスと向かい合っているといつまでたっても彼女を超えられる気はしない。
動きなどでは自分とエリスは互角、だが魔法やらが関わってくると間違いなく負けるだろう。
だからこそ、自分が彼女の代わりをこなせるわけがない。そしてそれを二人がわかっていないわけがないはずだ。
「勘違いするな、エリスはなにも変わりをやってくれと言っているわけではない……私が単純にお前と話をしたいとも思っているだけだ」
「片腹痛いぞ魔王、貴様だって理解しているはずだ……間違いなく面倒が起きる」
「わかっているさ、それでもお前といるのはこう……そうだな、楽しい、喜劇的だ」
なにを言っているのかとも思うが、グラハムは苦笑して理解してしまう。
別に自分も言い争いにもなることはあるがそれ以外の時は楽しく話せないわけではない。
そう、だがただ一つのことで言い争いになる以外は……それはある意味で、ある視点で見れば喜劇的かもしれない。
「良かろう、俺をどう使うつもりかは知らんがお前たちの話には乗ることにする」
「グラハム……!」
妙に嬉しそうに笑顔を浮かべる魔王。
そうした彼女を見るのはグラハムもはじめてであり、正直かなり驚いたのか目を見開く。そしてそんなグラハムを見たのも初めてだった二人が驚く。
顔を見合わせて笑みを浮かべる三人は、先ほどの雰囲気とは一転している。
笑みを浮かべたまま、グラハムは三人分のコーヒーを汲んで二人に出す。
「砂糖は?」
「いくつかもらおう」
そう言って、エリスが角砂糖の入っているビンから10個の砂糖をコーヒーに入れて混ぜる。正直なにかしら言いたくなるグラハムだったが、エリスの隣の魔王が首を横に振るので触れないようにした。
話も終わっただろうと一息つくと、ロッテの方を見る。
魔王もそちらを見ると、緊張したように頭を下げるロッテ。
「こっちにおいで」
「で、でも……」
「構わないから」
そう言う魔王に、遠慮するロッテがグラハムの方を見た。
悪く言えばお伺いを立てている、良く言えばグラハムに助けを求めている。
それを理解して、グラハムは笑みを浮かべてロッテの方へと歩くと肩を軽く叩いてテーブルの席へと着かせた。
「どうせ身も蓋もない話をすることになりかねないからな、いる方が助かる」
「で、でも……」
エリスをちらっと見るロッテ。
「ん?」
「怖いんじゃないか、お前男っぽいから」
「そう言う風にしているんだ……女だからと言って舐められたくはない」
その気持ちは、言いたいことはわからないわけではない。
だがいかにも旅人の腕っ節の強そうな者という風貌はどうにかならないものかとグラハムは顎に片手を当てる。エリスは相変わらず額当てをしておりローブのようなものを羽織っているし、ローブの下も旅人という感じのだぼっとした服。
顔をしかめるグラハムと、そんなグラハムを見て顔をしかめるエリス。
魔王がおかしそうにくすくすと笑っている。
「えっと、その……エリス様って、かっこよくて」
「ファンか!?」
「ファンってなんだ?」
驚愕するグラハムと、ファンという単語に首をかしげる魔王。
言われてみればエリスのような女性に女性ファンがつくというのも珍しい話ではないとは思うが、それにしても身近にそんな人物がいるとかなり驚くというものである。
口元を押さえるグラハムがエリスとロッテを見比べていると、エリスが目を細めた。
「どういう視線だそれは」
「いや、ロッテがエリスのようになっては嫌だなと」
「貴様という男は……」
「グラハムさんエリス様のこと悪く言うのやめて」
頬をふくらまして抗議するロッテがそっぽを向くと、グラハムは慌てるように顔をしかめた。
そんなグラハムを見るのが初めてで魔王とエリスの二人が目を開いて驚くものの、魔王は腹を抱えて笑い、エリスは口元を押さえて笑いをこらえる。
グラハムはというと、そんな状況を理解して平静を装う。
「はははっ、なんだグラハムその顔はっ」
「そんな顔ができた、とはっ……くくっ」
頭を押さえるグラハムがコーヒーを飲むと一息つく、いつも通りの表情になるとつまらなさそうにする魔王とエリスの二人。
「まぁなにもエリスのことを悪く言ったわけではない、実力はそこそこ認めているし容姿も整っている方だしな」
「~~~っ!?」
そう言うと、エリスの顔が真っ赤に変わる。
男にそういうことを言われるのが慣れていないというのもあるのだろうが、それ以外にも矢蔵刃睦月という相手に言われたのが気恥ずかしいというのもあるのだろう。
してやったりな表情のグラハムを見て苦笑する魔王。
「良くも悪くもお互い気兼ねしない関係ということだロッテ、こうして仲良いからこその悪態というのもある」
「……そうなんですか、エリス様?」
「あ、あああ! そ、そういうものもあるぞもちろん!」
キョドるエリスを見て、グラハムは満足そうに頷いた。
やられたらやり返すのが矢蔵刃睦月流であり、魔王もそんな子供っぽいグラハムを見て苦笑を浮かべながらコーヒーを一口飲んだ。少しの苦味が口の中に広がるがコーヒーとはそれで良いしそれでうまい。それを思うと、家臣ではあるが、友人ともいえるエリスのことが少しだけ、わからなくなる魔王だった。
しばらくすると、魔王とエリスの二人がグラハムの家の扉を出る。
玄関先にグラハムとロッテの二人が立つ。
「では、気を付けて……約束の五日後にな」
「よろしく頼むよグラハム」
魔王から笑みを浮かべられると、頷くグラハム。
つい数時間前まで顔を合わせにくかった二人とは思えないが、それでも現状こうなのだから合わせておくに越したことは無かったのだろうと、エリスは少し安心する。
グラハムと魔王の二人を置いて、エリスはかがんでロッテの頭を撫でた。
「魔法のコツは今日教えた通りだ、励めよ」
「はい、エリス様!」
子供らしい純粋な笑みを浮かべるロッテを見て、立ち上がったエリス。
魔王とエリスの二人が歩いてグラハムの家を離れていく。そんな二人に手を振るロッテ、そして手を振りかえす魔王と笑みを浮かべるエリス。二人が見えなくなるとグラハムとロッテと共に部屋へと入る。
五日後に大きな仕事が舞い込んだというのは個人的には嬉しいことだ。
現状としてはフィーネとロッテを養うだけの財政力が欲しい所てもある。
「……すっかり父親みたいになってるな」
「グラハムさんはお兄ちゃんって感じかな」
「それは良いじゃないか」
笑みを浮かべて数度頷くグラハム。
そのフレーズが気に入ったのか実に嬉しそうだが、一つ疑問を浮かべる。
―――ロッテのお兄ちゃんじゃフィーネと色々できない。
それはグラハムにとって大問題だった。
察したのか察してないのかわからないが、グラハムとフィーネが最近、仲が良いということをわかっていたロッテがにやつきながら聞く。
「あ、でもお父さんになるのー?」
「あまり大人をからかうな」
そう言うと、にやける口元を押さえた。
父親が死んで一ヶ月ほどだというのになぜこうも言えるか、割り切ったいうこともあるのだろうけれどその悲しみ以上に、フィーネの幸せを望んでいてその上で矢蔵刃睦月という男をロッテが慕っているからだろう。
恋などではなく、単純にグラハムが好きなのだ。
だから二人に幸せになってほしいと思っている。
そうこうしていると、扉が開かれてフィーネが帰ってきた。
彼女もグラハムへの遠慮が少しずつ消えてきたのか、ノックもせずに入ってくるあたり自分の家と比べても変わりを抱いていないのだろう。
すっかり家族のようになって、いっそのこと壁を破壊しても良いぐらいには思っているグラハム。
「さて、それじゃあ晩御飯の支度しちゃうから戻りましょうか」
「はーい!早く行こうお父さん!」
そう言ってグラハムの手を引くロッテ。
そんな言葉に、グラハムとフィーネの二人が焦ったような表情を浮かべる。
「ロッテ!」
「貴方って子は!」
「あはははっ♪」
楽しそうに家を出ていくロッテを見てため息を吐くグラハムがフィーネの買ってきた食材の入っている紙袋を受け取り片手で持つ。
そして刀を腰に差してフィーネと共に家を出ると、鍵をしめてすぐ隣の家へと向かおうとする。
だがそこで、空いている片手に暖かくて柔らかな感触を感じた。
「?」
「……やっぱりグラハム君の手ってあの人の手に似てるわね」
「好きなだけ握っていてください……俺は、全力で二人を守りるから」
「……あの人と同じようなこと言うのね」
「かぶっていたとは、ちょっとショックです」
そう言ってグラハムが笑うとフィーネも笑った。
僅か一メートルほどを二人で手を繋いで歩く。
あとがき
ということで、今回は日常っぽいようなぽくないような感じです
フィーネとロッテと仲良くなりましたよという話であり、少しばかり重要な話をされたという感じでもあります
次回は久しぶりに戦闘が入るのか入らないのか
では、お楽しみくださればまさに僥倖!




