18【そこにある見えぬ壁】
あれから二日ほどしてようやくナヴィへと戻ってきた矢蔵刃睦月、彼は松葉杖をつきながら転送器から出て歩く。
街の住人達が彼を見るのは、彼が“領地奪還隊唯一の生き残り”だと知っているからだろう。
彼が羽織っているボロボロのコートは例の作戦でギルドの傭兵に支給されたレイヴンズ専用コート。
そんな奇異の目に晒されながらも、グラハムは自宅へと帰ってベッドに座る。
「くそ、刀と剣が重い!」
こうなれば刀だけで良いと刀だけを背中に背負って松葉杖をついて家を出ると、隣の家の前に立ち、扉をノックする。
防音性がなっているのだろう、足音もしないが鍵が開く音がした。
扉が開けば中から出てきたのはフィーネ。
グラハムを見て驚いたような表情をするその女性を前に、さすがに申し訳なく思う。
彼は彼女の最愛の人間を死なせた。それだけならまだ良かった……グラハムが申し訳なく思う理由は彼女に自分は夫を任されたということだ。
そして自分はそれに同意し、だが結果はあのザマ。
男として、(自称)大人として、それは彼の尊厳を削った。
「すみませんでした……情けない」
そう言うと、彼女は笑みを浮かべた。
いつも通りと言う風にはいかないようだが、それでも嬉しそうなのはうそではない。
「グラハム君だけでも生きていて、きっと良かったわ」
なにも返す言葉が見つからずに、苦虫をかみつぶしたような顔をするグラハムを横から支えるフィーネ。
驚きながらもフィーネの誘導に従って家に入ると、椅子に座らされる
なにも言えないままそうしていると、フィーネがコーヒーを淹れた。
「あの人の最後は見ていないの?」
「ええ、俺たち傭兵部隊は別行動をしていましたから、戻ってみれば酷いありさまでしたよ、戦争なのだからあれが正しいのかもしれませんが……ッ」
だがその理屈で納得できるかと言えば、グラハムにとってその答えはNOだ。
納得できるわけがない。するわけがない。矢蔵刃睦月と言う男にとっても彼は重要な人間であったのも確かで、この世界で数少ない男の友人であった。
そしてなによりもフィーネの旦那であり、フィーネとその娘ロッテを泣かせたのだ。
「このグラハムは、矢蔵刃睦月は必ず仇を討ちます……彼の敵はこの俺が打ちます」
そう言うと、フィーネが悲しそうな顔をした。
次に返ってくる答えが彼には予想できる。
「……お願いっ、あの人の仇を、とってっ」
両目からボロボロと涙を流して、そう言う。
グラハムから見ていてもフィーネが彼のことを愛していたのは良くわかっていた。
だからこそ、聖人でもない彼女は仇を求めると知っている。
「ごめんねっ、わたしっ……こんなこと言っちゃ……ダメなのにっ、若い、人間の、グラハム君に、こんなこと頼んで……っ」
「いえ、そう言ってくれると思っていました」
そう言うと、ハッとした表情でグラハムを見るフィーネ。
答えがわかっていて言ったのは、彼女の心を楽にしてやろうと思ったからで、当て所の無い怒りや憎悪や憎しみ、そして復讐心を自分に託してもらうためでもあった。
一人のヒトにここまで真剣になることは、矢蔵刃睦月の生涯では初めてであり、グラハムも自分自身で戸惑っている。
だがそれを押さえこむほど、目の前のフィーネやロッテの悲しみをなんとかしてやりたいと思った。
「ありがとうっ、グラハムくん……っ」
―――いいえ、礼を言うのは俺の方です。
聞こえないようにそうつぶやくと、フィーネの隣に座って震えるその背中を撫でる。
矢蔵刃睦月は生まれて初めて、自分の心を誇りに思った。
誰かを守れるような心……そんなものが自分にはある。ならば、フィーネとロッテの二人を守ろうと、矢蔵刃睦月はその心に誓う。
しばらくして、フィーネが泣き止むと目元の涙を指で拭う。
少しばかり赤い顔をして恥ずかしそうにグラハムに笑いかけた。
「ごめんなさい、恥ずかしとこ見せちゃったわね」
「いえ、ところでロッテは?」
「二階じゃないかしら?」
ならばフィーネの泣き声は聞こえていなかっただろうかとも思うが、この際はどうでも良いだろう。
空気ぐらい読んでくれるだろうし、最悪読んでくれなかったらくれなかったでフィーネの恥ずかしがるところでも楽しもうと思って、頷く。
気づけばフィーネが自分の方を見ていた。
「どうしました?」
「えっと、二階行くかしら?」
そう聞かれるが、グラハムは首を横に振った
「もう少しコーヒーでも楽しみます」
淹れてもらったコーヒーを飲みながら、一応聞いておこうと思って話を切り出す。
「ロッテにはもう話はしたんですよね?」
「ええ、大泣きだったわよ……まぁ私もだけど」
「様子はどうでした?」
「次の日にはずいぶん元気になってて、私が驚いちゃったぐらい」
笑ってそう言うフィーネに、グラハムも笑みを浮かべて返す。
なら安心だとグラハムは背もたれに体重をあずけた。
刀を置いただけでずいぶん楽になるのだなと、そう思いながらコーヒーを啜っていると二階から階段をおりてくる音が聞こえる。
「お母さん……ってグラハムさん!」
パァッと明るい表情で嬉しそうに笑い、ロッテが座っているグラハムへとダイブする
「ぬぐっ」
「こらロッテ!」
「はは、構いませんよフィーネさん」
傷が痛むが、徐々に和らいでいく。
基本的に矢蔵刃睦月という男は他人を振り回すタイプではあるが、子供のロッテの前ではただ振り回されているような感じだった。
普段のグラハムを知っているエリスや魔王はきっとこんなグラハムを見れば心底驚くのだろう。
「グラハムさんは絶対帰ってくるってお母さんとお話ししてたんだ!」
「それは嬉しいな、信頼されてるってことか、はたまた強いと思われているのか」
「んー……どっちも!」
「そうかどっちもか、それはまた嬉しいな」
そう言って笑うと、グラハムはロッテの頭を優しく撫でる。
くすぐったそうにしながらも、嬉しそうにしているロッテを見ればグラハムも子供というのが欲しくなる気持ちがわかった。
父性をくすぐられるとか、そう言った感覚だろう。
だが、矢蔵刃睦月はロッテの感情を敏感に感じ取った。
「うむ、今日はどうするかな」
「じゃあ冒険のお話し聞かせて!」
「冒険ってほどじゃないからな、仕事だしそこらで起きたことだし」
「良いの!」
心の中では心底悲しんでいることは、矢蔵刃睦月にはわかっていた。
だが傷ついている母の前では悲しむ前とこらえているそんな少女を、グラハムは心底いとおしく思い、だからこそ今日ぐらいは、せっかく帰ってきてほしいと彼女が願っていた自分が今日ぐらいは一緒にいて、遊んで、相手をしてやろうと思った。
ただの同情、それだけだ。
◇◇◇
それから数日、療養生活中という奴で、してることは少ない。
ロッテが訪ねてきたり、訪ねて行ったりして話をしているぐらいである。
そして今日、ようやく松葉杖無しでも、前とほぼ同じように動けるようになったグラハムが外に出た。
「やはり、少しなまっているか」
つぶやいて、大通りに出るとギルドへと向かう。
相変わらず騒がしいギルドだなと思いながら、入ろうと思った時、扉が開いて人が一人飛ばされる。
投げ飛ばされたその人の放物線上にいるグラハムは軽く頭を下げて、その人を避けた。
「……ふむ」
少しだけ興味を惹かれて近寄ると理解する、女だ。
「どうしてギルドを追い出された?」
「……」
無言の女を相手に、困ったように後頭部を掻くグラハムがため息をつく。
大体にして、転がっている女に声をかける粋狂な人間が自分以外にいるとは思えないと思うが、女が黙っているのならばどうでも良いと溜息をついた。
ここでサシャやオルトあたりならつつがなく相手との交流をしようとしただろう。
だが矢蔵刃睦月にはそれほどのコミュニケーション能力も粘りもない。
「応えもしないのか、女のくせにまわされないとは相当に運が良かったじゃないか」
そう言うと、グラハムが女に背を向けてギルドの中へと入ろうとする。
「貴様人間かッ!」
大声に振り向いた時には、女がランスを自分に突き出していた。
叫びをあげる暇も無く、グラハムは条件反射でどうにかランスを避けるて大きく跳ぶと女の背後に移動する。
だが女もランスを後ろに振るう。
「なんだ一体!」
グラハムは腰の刀を抜いてランスを受け止める。
だが予想以上に強い力は舌打ちをして受け流すと共に後ろに下がった。
周囲の住人たちは何事かと二人を見る。
「人間に生かす意味なし、それに貴様……その二刀は『反逆の刃』ッ!」
「やめろぉぉぉぉ!!?」
叫ぶグラハムに、驚く女だがすぐにランスを空に振るい、突きを放つ。
舌打ちをしながらも、その程度の攻撃どうと言うことは無いと言う風に刀で受け流し、左手を刀の柄から離すと、背中の剣を持って振るう。
この戦いをするようになってからはすっかり左手の力も強くなった。十分ヒトを断殺する力はある。
だがその攻撃を避ける女。
「くっ! この二刀間違いない!」
「なに様のつもりだ貴様、なんの権限があって俺に喧嘩を売る、場合と状況によっては女であろうと斬るぞ!」
そもそも矢蔵刃睦月は女尊男卑のフェミニストだったものの、この世界に来てからはだいぶ変わった。
いい意味で区別をするようになったし基本的には同等に見るようになったのは、彼自身としても自分は良い成長をしたとは思う。
だがそのぶん、男も女も同じぐらい殺すことに躊躇が無くなったのは問題だ。
そして問題視しながらも、直そうとはしない。
直していたら、おそらくこの世界で生きていけない。
「斬ってみろこの人間!」
「貴様のような奴がいるからどうにもならんのだ、馬鹿者が!」
大声でそう言うと、グラハムは刀を鞘に戻して剣を両手で持つ。
振るわれるランスを剣で弾くグラハム。
ランスと剣がぶつかり合うたびに激しい音が鳴り響き、周囲に火花を散らす。
ギルド内からも見物人が見に来て楽しんで挙句に賭けまでしている。
それを見てみすみす負けてやるグラハムではないが、エンターテイナー的な魂に火がついて手の力をわずかに緩めると、ランスがぶつかって剣が後ろへと飛び、刺さった。
ランスでの刺突が来た瞬間、笑みを浮かべたグラハムが左手で腰の刀の鞘をつかむと、柄尻でランスの切っ先を押さえこむ。
周囲から歓声が沸くと、満足そうに笑みを浮かべた。
「貴様ッ! 人間が私を愚弄するか!」
「!? ほう、見抜くか……」
「バカにするな、この猿がァッ!」
ランスを引く女がもう一度突きを放ってくるので、グラハムは軽く地を蹴ってコートを翻しながら下がる。
今の剣戟だけでずいぶんと勘は取り戻した。
もう負ける気はないと、グラハムは左手で刀の鞘を持ったまま、右手で地面に刺さった剣を抜く。
「貴様、馬鹿にして!」
「そりゃ馬鹿にもする……人間だと思って侮るな」
女がフードの下で舌打ちをすると、ランスを連続で突き出す。
グラハムが剣を背負うとそれを流れるように避けていく。
そしてそんな連続攻撃を避けながらも、矢蔵刃睦月はこの状況に疑問を抱いていた。
―――あまりに、避けやす過ぎないか?
不思議そうにしながらも、目に見えるその攻撃を回避していく。
「さて、そろそろ終わらせよう」
「なんのつもりだ!」
「こういうつもりだ……よ!」
右手で刀を引き抜いて、ランスを逸らすと左手に持った鞘で女の腹部を打つ。
くぐもった声と共に女の力が抜けて倒れた。
落ちたランスが重い音を立てたが、すぐに小さな指輪へと変わる
グラハムは鞘に刀を納めると、倒れた女を左肩に担ぐ。
「あまりに軽いな……」
右手で落ちている指輪を持つと、どうするかと悩みながら近くに宿屋を見つけてそちらへと歩いた。
宿屋に女を連れて行き、金を払うと言われた部屋のベッドに女を放りなげて指輪を左手の薬指にはめる。
ここで据え膳を食わぬのは、単純に目の前の女が嫌いだったからだ。
フードをはずして顔を見る価値すらないと、グラハムは部屋を出て、宿屋も出る
「気に食わん」
舌打ちをして歩いていく矢蔵刃睦月。
ああいう相手を見るといつまでもこの世界にいるのは御免だと思わされる。
とりあえず、今日は仕事をする気分にもならないと、グラハムは家へと戻るのだった。
あとがき
これからはさらに物語も加速していきます
差別だったりなんだったりを入れながらテンポよく話を進ませていきたいななんて思いながら
更新頑張りますので応援お願いします!