17【敵ではなくても】
起きて、最初に視界に映ったのは綺麗な天井だった。
首を右に向けると見覚えのある部屋なことに気づいて、自身の現状整理をしようと思考を巡らせていく。
一つ、自分は元居た世界でクラスメイトであった新堂秋斗と出会った。
二つ、そいつも帰り方は知らない様子だった
三つ、自分はアキトの仲間であろう女に斬られた。
四つ、そして自分を回収したのはメシスと誰かだ。
そこまで現状整理をすると上体を起こそうとするが、鋭い痛みで再びベッドに沈む。
「まだ傷は治ってないんだ、起き上がるならゆっくりにしろ」
そう言う声が聞こえて首を左に向けるとそこにはエリスがいた。
相変わらずの厚い服を着込んだその四天王の一人を見てから、ゆっくりと上体を起こしていく。
痛みは感じるが先ほどのように鋭い痛みではない。
「ふぅ、ここは魔王城か」
「あぁ……あの作戦は失敗だ、すぐに大隊が合流するという情報が届いてメシスが向かったようだがそれでも間に合わずにあのざまだ」
忌々しいと言わんばかりの表情で言うエリスだが、視線をグラハムに向けることはなくチラチラと見る程度だ。
自身におかしいところがあるだろうかと思ってみれば自身が服を着ていないことに気づいた。
上半身は裸で包帯を巻いていて、布団をめくって下を見てみれば普通にズボンを穿いていた。
「ところで今はいつだ?」
「あれから丁度一晩明けたところだ、回復魔法で結構回復しているだろう?」
「あぁ、とても一晩明けただけとは思えんほどだ」
笑うと、グラハムは包帯に触れる。
痛みはあるが、それでも斬られたにしてはずいぶん痛みが弱い。
治りかけというところだろう。
そしてそんなことを思っていると扉が勢いよく開いて、久しい顔が見えた。
「サシャ嬢!」
「グラハム様、ご無事で!」
涙目のサシャが駆け寄ってグラハムのベッドに乗り出す。
ありのままの好意を自身に向けてくれるサシャの頭を撫でて落ち着かせるグラハムが、さらに入ってきたメシスに目を向けるとため息をついた。
ため息を吐かれたメシスはと言うとジト目でグラハムを見る。
「なにさそのため息は、私とサシャちゃんがいなきゃ今頃お星さまになってたよ、グラハムは」
「ん、お前とサシャ嬢……あの車を運転していたのがサシャ嬢?」
「お、お恥ずかしながら」
顔を赤くしてベッドから降りるサシャは『紅茶を汲んできます』と言って部屋から出ていく。
唖然としていたグラハムが我に返ってメシスの方を見た。
「いや、意外だった。サシャ嬢がよもや俺を迎えに来るために運転などと」
「まぁサシャちゃんはみんな助けようとしてただけなんだけどねぇ、たまたま生きてたのがグラハムだけって話でー」
「俺だけ、か」
自分だけが生き残ったということは、アスラムも死んだということだ。
そうやってフィーネやロッテに顔を合わせようと思いながらも、悩んでいても始まらないだろうと頭を切り替えてまずはメシスの方を見る。
「……ありがとう」
グラハムがそういうと、心底驚いたような表情をするメシスとエリスの二人。
なぜそんな表情をされるのか、グラハム自身わけがわからないと思うがむしろわけがわからないのは二人の方だった。
「グラハムがメシスに礼を言うとは」
「本当だね、びっくりだよ」
「俺だって礼ぐらいは言うさ、特に命を救ってもらったんだから」
そういうと、グラハムは傍にあるシャツを取って自身のものとも言われてもいないのに袖を通してボタンを閉める。
サイズはぴったりだから自分のものだろうと勝手に考えるとグラハムは少しばかり気を抜く。
安心した、ということだろう。
扉が開き、サシャが入ってくるがもう一人。
「起きたかグラハム」
「……これはこれは魔王様、お久しぶりです」
「あまり畏まらなくて良いぞ、私の気が滅入ってしまう」
そう言って笑う魔王に合わせてグラハムも苦笑する。
「ならそうさせてもらう……今回は助かった」
「いや協力してもらったのはこちらだし、敵大隊が近づいているのも気付けなかった……それにあの勇者たちがそれほどの力を有しているとは思わなかった」
「あの勇者たちと言うと、アキトか」
そうつぶやうグラハムに驚愕の表情を浮かべる魔王とエリス。
「知っているのか?」
「あぁ……俺が向こうの世界で共に文学を学んでいた者だ。アイツもこちらに呼び出されているとは思わなかった」
「だがあの勇者は神託をしっかりと受けて魔法も使える珍しい勇者、それに剣の腕も高いと聞く……白い稲妻の勇者、アキトか」
―――ん?
グラハムは耳を疑った。
「なにそれ、アイツそんな風に呼ばれてるのか……正直痛々しいぞ」
「なにがだ? お前だって『二刀使いの裏切り者』や『反逆の刃』と」
「やめろ! やめてくれ! ぐぁぁっ!」
大声を出したせいで傷が痛んで悶える。一体“どっちの傷”が痛みを発したのかはわからないがどちらにしろ彼を悶えさせるには十分な威力の武器であったのは確かだが、無意識というよりこの世界にその名称や通り名を痛々しいと思う概念などないのだから仕方がないというものだった。
一通り悶えると、落ち着いたグラハムに紅茶を渡すサシャ。
それを受け取って一口飲むと、グラハムは魔王の方を見る。
「で、結局俺の顔を見に来ただけか?」
「まぁそれが大きな理由ではあるんだが、とりあえず傷が治るまではここで面倒を見るぞ」
グラハムは魔王の方を見ると紅茶を一口啜る。
「……いや、傷があまり痛まなくなったら出る」
「大丈夫なのか?」
「ギリギリ大丈夫になったら出るって言ってるんだ、最低でも一日は厄介になる」
魔王は少し考える様子を見せてから頷いた。
とりあえず、グラハムとしてもこの状態で出ていくのは無理だという判断ができる。
すると、エリスが踵を返す。
「まぁ無事なら私はヘヴンバレーへと戻る」
「え、お前のあそこそんな名前だったの、似合わない」
「だからお前に言いたくなかったんだ」
エリスは『不覚』とつぶやいて部屋を出ていく。
メシスも軽く手を振って部屋を出ていくと、その部屋に残ったのはグラハムと魔王とサシャの三人になり、上流階級たる二人相手になんでもない自分一人と、グラハムは笑った。
おかしそうに笑うグラハムを見て、疑問を浮かべる魔王だがグラハムは『なんでもない』と一言。
「テラスにでも、出るか」
そう言ってグラハムが立ち上がろうとするのでそれを魔王が支える。
「平気か?」
「魔王様に支えてもらうとは、これはかなりやばいんじゃないか?」
「からかうな、この程度気にしていないくせに」
今度は魔王がおかしそうに笑って、グラハムに肩を貸す。
「そこの杖、使って良いぞ」
言われてグラハムはたてかけてある杖を右手に持ち、左を魔王に支えてもらってテラスのイスへと座すとテーブルにサシャが紅茶を置いてくれる。
グラハムの向かいに魔王が座り、サシャもイスに座った。
太陽は出ていて、日差しが心地いい。
「久しぶりにここからの景色を見たが、やはり良いものだ」
彼の視界に映るのは魔王城前から広がる森林と、その先の街、そしてさらに先には緑の山すら見えた。
「ところで、俺の“ペンダント”は?」
「ん、あぁお前が持ってたあれか……」
魔王がポケットからそれを出すと、彼が勢いよくそのペンダントを取る。
「……驚いたぞ」
「すまん、これが他人の手に渡っているなど……想像したくもないのでな」
そう言って笑うグラハムだが、その雰囲気はいつもと違うように感じた。
矢蔵刃睦月という人間がなにを考えているのかまったくわからなくなりながらも、魔王は理由を探ろうと紅茶を一口飲む。
とりあえず何を聞くか、頭の中で状況を整理してから考えをまとめる。
「そのペンダントは、そんなに大事なのか?」
「ああ、この矢蔵刃睦月、命なんざくれてやっても構わないが……これだけは誰にもやる気はないぐらいにはな」
相当大事なものなのだろうと、魔王自身は理解できた。
隣のサシャが紅茶を飲む。
「恋人からもらったとか?」
「……ッ!? けほっ、こほっ!」
瞬間、サシャが紅茶でむせる。
「どうしたサシャ?」
魔王が心配そうな表情でサシャの背中を撫でる。
少しして落ち着くと、サシャは少し赤い顔でグラハムの方を見た。
質問に答えろ、ということだと理解して頷く。
「親から、母親からもらったものだよ……俺が小さいころに死んだがな」
それを聞くと、魔王が少しばかり申し訳なさそうな表情をする。
「それは、すまなかった」
「なに気にするな」
グラハムはペンダントを首から下げると大事そうに握って、笑う。
無くなった母からのプレゼント、グラハムの記憶にある母は金髪碧眼の綺麗な人であった。
「マザコンなんだろうな」
自覚もあるし、あまり言わないが、なぜだか魔王相手には言ってしまった。
「まざ、こん?」
わかっていない。だから言って、少しだけすっきりした。
幼いころに母が死んだからこその彼の感情を彼女たちは理解できないだろうし、グラハムの言う『マザコン』の意味を理解できている人間ですら、彼の感情はわからないだろう。
しかし、グラハムは自己満足のためにそう語り、ぬるい紅茶を半分ほど一気に飲む。
「まぁ良いさ、ともかく当面の目的としては……アイツを殺すことだけだ」
瞬間、魔王が血相をかいて立ち上がった。
「なんで、なんだそれは!?」
少しシリアスでもあったが、和やかでもあった雰囲気が拡散する。
大きな声を出す魔王は怒っているような戸惑っているような表情、一瞬でグラハムは状況と魔王の感情を理解した。
彼女はヒトが死ぬのを良しとしない、ならば彼が友人を平然と『殺す』と言ったのを怒っても当然と言えば当然である。
しかしグラハムは、特に困るわけでも逆に憤慨するわけでもない。
「クハッ」
一度だけ笑う。
「お前が殺しを嫌うのは知っているが、俺はギルドの傭兵だぞ……お前の嫌うそれで生計を立ててるのはわかっているだろう、それにお前の主義を俺に押し付けるな」
「グラハム様!」
「サシャ嬢、悪いがこれは俺の因縁の問題だ……この俺の復讐だ」
痛むであろう体を押して、片手をテーブルに着けたまま立ち上がると紅茶を飲んだ。
最後の一滴まで、上に口を開いてティーカップの中身を一滴残らず飲み干すと、八重歯をむき出しにして不適に笑う。
「復讐、なんの復讐だ……」
「俺のプライドを踏みにじった、それだけで十分じゃないか?」
「な、そんなことのために殺しを」
「この世界で俺から殺しを取ってなにが残る、答えてみろよ魔王さま」
「お前―――ッ!!」
苛立ったような表情を浮かべる魔王と、その魔王を挑発するように笑うグラハム。
「グラハム様も魔王様も落ち着いてくださいッ!!」
そんな二人をキョトンとさせたのはサシャだった。
普段のサシャからは想像もできないような声に、二人とも唖然としてしまう。
魔王も唖然とするということは、サシャは相当怒らないのだろうとグラハムは納得した。
「すまんな、サシャ嬢」
「すまない、サシャ」
魔王はそういうと、悲しそうな眼でグラハムを見て部屋を出て行く。
一方サシャは残っているが、グラハムは顔をしかめて椅子に座る。
「くそっ、痛いな」
「当然です、あんな立ち方したら」
グラハムの負っている傷は、突然立って良いようなものではない。
若干怒っているのか、サシャはぷんすこしながら紅茶を淹れる。
淹れたてで暑い紅茶をずずっ、と啜って息を吐く。
「ふぅ、やはりサシャの紅茶はゆっくり飲みたいな」
「私もゆっくりまったりと飲んでいただいた方が良いです、ゆっくりまったりと……」
釘をさすように言われると、グラハムは苦笑した。
それは雰囲気のことを示していることなどわかる。
だがギスギスしてしまうのは仕方のないことであると言えるだろう。
「俺はあいつとは―――」
◇◇◇◇◇◇
魔王が不機嫌そうな表情で歩いていると、メシスとエリスの二人がいた。
驚いたような表情をするエリスと、ケラケラと笑うメシス。
そんな失礼なメシスをエリスが小突くが笑うのをやめることはない。
「もしや、あの男が不敬を?」
「そうじゃない、そうじゃないが……」
煮え切らないという表情を浮かべる魔王。
「私とあいつは―――」
◇◇◇◇◇◇
―――絶対にわかりあえない。
あとがき
次回はとりあえず戦闘が無さそうです
ちょっと痛い通り名を付けるのはこの手のものの恒例行事かなって
ということで、次回もお楽しみいただければまさに僥倖!