13【たった140年】
矢蔵刃睦月。
昔はよくその名前を使うこともあった。おもにテストに記入したりポイントカードを作るときなど様々だったのだが、それにしてもこちらの世界アルジェリドに来てからは使う機会も少なくなったというものである。
初対面の相手に対しては一度は名乗るものの、『グラハムと呼んでくれ』という一言で相手からはグラハムと呼ばれがちだ。
彼が元居た世界ではそう言っても素直に『グラハム』と呼んでくれる人間は少なかった。
「つまりこの世界では、俺の名前は忘れられがちなのだ」
「知らん!」
矢蔵刃睦月ことグラハムがそう言うと、隣を歩いていたエリスは少し苛立ったように答える。
一方のグラハムは肩をすくめた。
「そもそもなぜそんなことを私に言う?」
「もちろん、それはあれだ……話しやすかったと」
「愚痴をしやすいということだろう、私としてはお前とは剣を交えるだけで良いのだが」
そういう風に言ってため息をつくバトルマニアであり風の王であり旅人風衣装のエリス。
グラハムは彼女の厚着に舌打ちをしたくなるのを我慢しながらも歩く。
そもそも種族もいまだに教えてもらっていないので、一体どんな体をしているのかもわからない。
もしかしたらトカゲや龍種であり鱗がるのかもしれないと思ったり、カロドナのように蛇なのかもしれないとも思う。
「うむ、イマジネーションが滾るな」
「なんだか悪寒を感じたのだが?」
「気のせいだ……それにしてもお前の拠点に行ける思わなかったよ」
今現在、街中を歩くグラハムとエリスの二人。
「私だってなるべくお前を呼ぶなんてことはしたくなかった……」
「良いじゃないか、親御さんへのあいさつとかの時」
「私の親は都住みだから会うならガトムズに行かなければならんな」
「え、乗り気?」
「そんなわけあるか!」
グラハム相手にツッコミを放棄できなかった自分の未熟さを恨むエリスだが、どう鍛えたってツッコミ体質の人間がツッコミを放棄などできるはずがない。
だが不思議なもので、エリスとグラハムが戦ったあの日からまだ一ヶ月も過ぎていないのだ。
それでも仲良くやれているのは彼の力の一つと言っていいだろう。
「ところで、失礼を承知で聞きたいことがあるのだが」
「なんだ? 下手なことを言えば斬る」
「処女?」
瞬間、抜かれた刀を真剣白刃取りするグラハム。
「落ち着け!」
「私は言ったはずだぞ?」
「オーケーだ、目立ってるぞエリス」
その言葉を聞いて周囲を見れば、ちょっと危ない人たちを見るような視線が体中に刺さるのがわかった。
ため息をつくと、エリスは刀を背中に納める。
グラハムも、安堵の息をつく。
「まったく、死ぬかと思ったぞ」
「死んでしまえ」
ため息をついて言うエリスの隣で、グラハムは今回命を張ってまで言った価値を見出す。
間違いなくエリスが処女だとわかったこと、そして処女という概念がある種族だったということが判明したということ、この二つはグラハム的にはノーベル賞を受賞しても良いと思えるほどの発見である。
間違いなくいろんな方面への謝罪は必要に違い無いが、グラハムはそう思ったのだ。
転送器を使って、グラハムはエリスに連れられて拠点である渓谷へとやってきた。
その渓谷こそエリスの拠点であるらしく、転送器で安全な内側へとはいってこれたが通常であれば険しい道を通らなければならないらしく、正直勇者なんて難儀な仕事だなと思いグラハムは笑う。
安全と言われるしっかりとした、なんとなく魔王城を彷彿させる廊下をエリスと歩くグラハム。
すると向こうからはトカゲ人間と呼んでも良いぐらいの魔物が三匹ほど歩いてくる。
「これはエリス様、お戻りになられたようで!」
「堅苦しいのは良いからとりあえず仕事に戻れ」
「了解っす!」
トカゲ人間たちはグラハムを見てから軽く頭を下げて歩いていく。
再び歩き出すエリスとグラハムだが、グラハムはエリスの横を歩きながら気になったことを聞くこととした。
「あまり見たことのない種族で驚いたぞ」
「この警告にはリザードマンたちも住んでいるからな、正直私たち四天王の拠点付近で似たようなモンスターはいないぞ、まったく環境が違うから当然と言えば当然だろう」
「なるほど」
今度はオルトの拠点にも行ってみたいとは思うが、火山地帯に住んでいると聞いたことがあるのでとてもじゃないが行きたくはないと思う。
「いや、それにしても“こいつ”で連絡してすぐに許可がもらえるとは思わなんだ」
グラハムはメシスから受け取った四角い宝石と石で造られたそれを持って笑う。
そのモノの正体は“通信機”である。
文字通り遠距離の相手との連絡手段の一つ。
「お前、それを使いこなすのが早いな、私だって十日は掛かったぞ」
「まぁ似たようなものが俺の世界にもあったし、当然と言えば当然だな……やることなすこと良い風になると怖くなる。運を散々使ってしまったのだとな」
「そういうな、目の前の幸運は味わっておくのが正解だぞ」
エリスがドアを開いて、グラハムはその部屋に入ったエリスを追い部屋に入る。
部屋と言うには広すぎるそこは広間と言うのが正解なのだろう。その広間に入ったグラハムは興味深そうに周囲を見渡す。
渓谷の中にあるとは思えないほどの、綺麗なレンガ造りの壁に驚きながら、自分が歩く緑色のカーペットの先にある大きな椅子、いや玉座を見据えた。
「もしかして、あれに座っているのか?」
「まぁ公務……謁見などがあった際はそういう時もあるな。あとは時たま勇者がここにたどり着いた時はあそこに座って待つのが四天王……と言っていた」
「誰が?」
エリスが頭を片手で押さえてため息をつく。
「そんな愉快なことを私に言う奴は一人ぐらいしか思い浮かばんな」
なんとなく察しがついたグラハムが、エリスの後を歩く。
玉座の裏に回るとドアがあり、そこを開くとそこはそれほど大きくない部屋があった。大きさで言えばグラハムの家とそれほど変わらないだろう。
そしてそんな部屋の椅子に座って、湯気の出るコーヒーを啜っているのが一人。
「なぜお前がここにいる!」
「いやぁ、訪ねてみたら居なかったからさー、やっほーグラハム」
「あぁメシス」
部屋にいたメシスが軽く手を振るので、グラハムはそれに応えて手を振る。
噂をすれば影とは言ったものであると思いながらも、グラハムは空いている椅子に座った。
エリスは少々不機嫌ながらも椅子に座ると少し神妙な顔つきになる。
「どうした?」
「メシスもせっかくだから聞いていけ……非常に不可解な状況だからな、これに関してはメシスのように詳しいことを知っているものがいた方が良い」
「んー?」
神妙な面持ちのエリスとは正反対に、グラハムとエリスの分のコーヒーを汲みながら、適当にメシスは聞く。
そんな彼女の様子にも慣れているのか、エリスは文句一つ言わずに話を続ける。
「勇者が一人、おかしな奴がいるらしい」
「おかしな奴?」
「そうだ、おかしな奴だよ……王都から二月前に出された勇者なんだが、進行は遅いものの確実に魔物を仕留めて中堅である魔物たちもやられている」
メシスが面倒そうにため息をついてコーヒーを飲む。
「確かに嫌な感じだね、天使の信託を受けたりしてなかったら良いんだけど……140年前みたいなのはゴメンだからね」
「あぁ、140年前のあのことはできれば思い出したくない」
「その意味深な140年前って単語やめろ、と言うよりお前ら一体いくつなんだ」
「えーレディに歳を聞くなんて野暮だぞ☆」
「私は160歳だ」
「ババア!」
「黙れ!」
即座に反応して悪口を言ったメシスを叱るエリス。
「だいたい魔族というのが長生きなのは知っているだろうグラハム」
「まぁそうなんだがな、というより10年前みたいなノリで140年前の話をするのはやめろぞっとする」
「そんなこと言ったって事実だ、140年前の大参事の結果は今だに残っているからな」
少しばかり憂鬱そうな表情をするエリスと反対に、メシスは笑いながら何かを思い出している。
グラハムとしては結局なにがなんだかわからないので早く話してほしいのだが、どうにも話が進むことは無く、仕方ないのでため息をついてコーヒーを一口。
口内を火傷しそうになりながら飲むと、聞く。
「結局、140年前に何があった?」
「今が外歴140年、外歴と呼ばれ出したのはその直前の大戦からだ」
「人間と魔族のか?」
「あぁ、魔族が圧倒的優勢を保っていたにも関わらず負けた理由、そして現在も互角である理由はそこにある」
140年経っても埋まらなかった溝というのがそこにはある。
グラハムも真面目に聞くこととした。
「天使が現れ、魔族と敵対したんだ」
「天使というと別次元の強さを持つと、メシスに教えられたな」
「あぁ、結果が魔族側の惨敗であり、魔王軍の四天王や中枢となる強い者たちはすべて殺されて、立て直しも上手く聞かずに未だ現魔王軍と敵対する魔族の者たちがいる始末、それは大きい」
確かに、言わんとすることがわからないでもない。
だが、だとしたらなぜ今現在その天使が自分たちの前に現れないのか?
天使が敵として現れないのかが一切の謎だった。
「あの時のことは、あの現場に居た者は誰一人として生き残っていない……」
「エリスちゃんは尻尾を巻いて逃げ帰ったからね、尻尾ないけど」
「メシスの言うとおり、私は数少ない大戦での生き残って天使からの惨殺から逃げ延びた一人」
苦虫をかみつぶしたような表情で語るエリスを見て、グラハムは今のタイミングなら行けるかと思い椅子ごと近づこうとするも片手で制される。
仕方がないので神妙な面持ちのままグラハムは元の場所へと戻った。
メシスはと言えば楽しそうな笑みを浮かべながら話を聞く。
「あの日以来現れない天使、私たちはそれでもその影に警戒しながら、いや怯えながら戦っているというわけだ……書物には載っていなかっただろう?」
「あぁ、本当に知らないことだらけだ。情報規制も大概にしてほしいものだな」
「人間側はそれを公にしているから完全な情報規制にはなっていないがな、だからこそ市民たちの中にも知っている者はいるだろう」
まったく厄介なことであると、グラハムうなりを上げる。
今度の領地奪還にグラハムは参加すると、ギルドの方で申請してしまっているからこそ余計に厄介だった。
なんと言っても天使という強大な敵が出てくる可能性が無きにしも非ず。
「厄介な……」
「エリス様!」
そんな時、部屋の扉を勢いよく開け放って先ほどのリザードマンが現れた。
少し不快そうな表情をするエリスだが、緊急時とわかっているからか近場の刀を持って背中に背負うと立ち上がる。
この状況でわからなければ相当な勘の悪さだ。
「さて、準備と行こうか」
「俺も手伝おうじゃないか」
そう言って立ち上がるグラハムはその表情に笑みを浮かべている。
理由はと言えば単純な好奇心と単純な感情の昂ぶり、そしてノリと勢いだろう。
矢蔵刃睦月と言う男はそういう人間ある。
「じゃあ私も頑張っちゃおうかなー」
「ん、お前は自分の拠点じゃないと戦えないはずじゃ?」
「ふふーん、自分の弱点ぐらい把握しとかないとねー」
メシアは背後に寝かせていた棺桶を背負う。
なるほど、と思いながら頷くとグラハムはエリスの方を向く。
笑みを浮かべたエリスは頷いて、三人は外へと出る。
「まさか四天王の二人が同時相手とは、運がない勇者だな」
「それにグラハムもいるしねー!」
「まったくだ」
笑いながらグラハムは刀の鞘を左手で撫でた。
部屋から出ると玉座にエリスが座り、その両側に立つグラハムとメシアの二人。
まったくもってそれらしい雰囲気になり、先ほどのリザードマンがグラハムの隣に立った。
「ん、隠れていても構わんぞ?」
「これでも村内鉈使い選手権一位を取ったんだ、人間に後れは取らん!」
グラハムを人間とわかった上で行っているのかはわからなかったが、正直不安になるグラハムだった。
あとがき
まぁ魔族はめっさ長生き、常識的に考えて(断言)
ということで、今回は戦闘までの長い前振りでした
次回は戦闘が入ってそのまた次も戦闘が入ると思うので落ち着かせるということで、いい加減説明もなにもない日常を行わせたいのですがそうもいかず
では、次回もお楽しみくださればまさに僥倖!




