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影遊び

作者: 咲楽 礼華

「新人さんだよね?」

心臓が跳ね上がる。ついさっきも同じように、心臓の音が聞こえたばかりだ。

「はい」

我ながら情けない声が出る。恥ずかしくて自分の足元を見るが、汚れたスニーカーが更に惨めさを際立てる。

「俺、…っていうんだ」

「え?」

すぐそばを下品な低音を轟かせながら、バイクが走り去った。肝心なところが聞こえなかった。

聞き返して失礼だっただろうか。

「きょうもと」

「あ、ああ…」

「橋本って書いて、きょうもとって読むんだけど、大抵の人は間違えるんだ。失礼な話だろ」

橋本(きょうもと)の後ろに目をやると、いかにも彼の趣味らしい車が停めてある。

ダッシュボードやミラーに某キャラクターのぬいぐるみが、所せましと並べられている。彼女の趣味だろうか。小骨のようなものが胸のあたりを刺す。何故だろうか。

「次は?」

ぼんやりと車を眺めていた私は、急いで彼を見る。

やばい。目が合った。チクチクしたものが消え、一瞬にして大暴走を始める心臓。肺が追いついていないのか、息苦しい。

「次は、いつ出勤?」

「明々後日…です」

「そっか。じゃあ、またね」

またね、か。その言葉が鼓膜にねっとりとへばりついた。


************


「今日ね、ギャル男に会ったよ」

電話した。彼は鼻で笑った。

「どうだった?」

「ちょっと話しかけられた。けど、合わなそう…かな」

言いながらまた、胸がチクチクと痛む。病院で受診するほどではなさそうだが、何が原因なのだろう。

「気をつけてね」

「ありがとう」


************


駐車場で降りる直前、レジに橋本が立っているのが見えた。

まだ夜が明けきっていないせいで、明るい店内がこちらからは丸見えだ。店内からこちらは見えないだろうが。

「おはようございます」

これが果たして、自分の声なのだろうか。そう思うほど高い声が出た。心臓が口から出そうな気がする。

「おはようございます」

あれ、と思う。何だかわからないが、違和感がある。挨拶を間違えたのだろうか。

そそくさとバックルームに入り、やっと見方を覚えたシフト表を確認する。一気に体温が上昇した。

「おー、来たか」

後ろからオーナーがやって来た。寝起きだろうか。

前回の面接の時よりも腫れぼったい目で、私を見る。

「じゃあ、朝礼始めるか」

言い終わるのと同時に、パートのおばさんが入室してきた。

どうやら直前のシフトの人間が朝礼を仕切るらしい。


「橋本くんが君の事、可愛いって言ってたぞ」

朝礼が終わり、業務指導を始める前にそう言われた。

「君、恋人はいるの?」

「いえ…」

胃の辺りがキリキリと締め上げられているような気がする。

「最初にも説明したけど、君が仕事内容を覚えてくれるまでは、俺が一緒についてまわる。研修終わったら橋本くんを頼りなさい」

オーナーのにやけ顔に、ははは…と笑った。


「お疲れ様」

「お疲れ様でした」

タイムカードを押し終わると、橋本が真横に座る。シフト内の誰かが日誌を書くのだが、私は見ているだけでいいと言われ、黙って手元を見る。

「家どのへんなの?」

「え、家は…」

しどろもどろしながら教える。年中冷たいはずの自分の両手が、熱を帯びてきた。

どうか、顔が赤くなっていませんように。

どうでもいい質問が続く中、心臓の悲鳴が聞こえ、そそくさと外へ出た。

おかしな子だと思われてはいないだろうか。泣きたくなった。


*************


「おはよう」

「おはようございます」

この店には、橋本の同級生が他に三人いる。

出身高校が同じらしく、仲が良いそうだ。が、橋本以外の二人が特に仲が良いのを知っている。

「橋本さんと同じ高校だったんですよね?」

「うん、そうだけど。何?」

「橋本さんは昔から…あんな感じだったんですか?」

「軽そうって事?」

笑いながら言われ、言葉につまる。

橋本の容姿と、この人たちの容姿は明らかに別だった。見た目だけで判断するのは失礼極まりないとは思うのだが、性格も趣味も何一つ合わなそうなのだ。

「どうだったかなー。性格は特に変わりないけど…彼女欲しいが口癖だね」

私はその口癖を一度も聞いた事がない。

やはり、友達と数回顔を合わせただけのバイト仲間では、深さが格段に違う。目頭があつくなってきた。

「橋本が君の事、えらく可愛いって褒めてたんだけどさ」

「え?」

「俺も可愛い子が来た、というかギャルが来たって思った」

「ギャルって…」

これは橋本に限らず、人生史上一度も言われた事のない台詞だ。

自分は見た目も中身も根暗な方だ。そう思っているのだが、彼らが思うギャルという生き物はどんなものなのだろうか。


「お疲れー」

息が止まった。

あと数分で次のシフトと交代、というところで橋本が来た。今日は彼のシフトではなかったはずなのだが。

「どうしたの?」

「いや、眠れないからさ。お前の顔見に来たんだよ」

男同士、本当に仲が良さそうに話しているのを見ると不思議な感じがする。見た目があんなに違うのに、何故あそこまで仲良くなったのだろう。

タイムカードを押し、廃棄になったお弁当を食べようとしている横で、彼らがまだ談笑していた。

「そういえばさ、橋本この子の事かわいいって言ってたよね?」

「え…あ、うん」

テンポ良く話していたのに、突然歯切れが悪くなった。

私が此処にいると邪魔なのかもしれない。目の前の食べ物に対する興味が一気になくなった。

「あ、あの、私やっぱりお腹空いてないので…迎えも来たみたいですし、帰ります。お疲れ様でした」

ぶんぶん頭を下げたせいで、若干めまいがするが、此処にいると何かしら悪化しそうなので小走りで去った。

嗚呼…今日のは絶対に変人だと思われただろう。泣きたかった。


*************


「おはようございます」

「おはようございます」

あ、そうか。いつも敬語なんて使わない橋本が、私に対して敬語を使うから違和感あるのか。

確実に橋本の視線に入らないよう、手で口元を覆う。緩むのだ。彼を見ると、心臓が大暴走するだけでなく、顔の下半分の筋肉が緩む。老化…だろうか。


朝礼が終わり、パートのおばさんから聞かされたが、今日からオーナーとの研修ではなくなったらしい。新しい写真入りの名札を渡された。

「橋本さん、今日から私も研修中じゃなくなったんですよ」

しまった、と思ったがもう遅い。私の声は彼の鼓膜に届いてしまっただろう。

どうしよう。嬉しさのあまり、彼に馴れ馴れしく話しかけてしまった。この世の終わりは、近い。

「へえ、よかったじゃん。頑張ってたもんね」

「あ…あ…」

不意打ちだった。彼がにっこりどころじゃない、満面の笑みをこちらに向けた。

自分と同じところに八重歯があるのを発見して、嬉しい自分がいた。八重歯ごときに何を浮かれる必要があるのだ。


「今、彼氏いるの?」

「いないです」

橋本の顔を見ないように言う。

深い意味などないのだろう。彼からしてみれば、本日はお日柄もよく…なんてのと同レベルの会話だと思う。

「マジ?絶対いると思ったのに」

「いえ、私なんて彼女にしたら…面倒くさいと思います」

現時点で面倒臭い、変な女なのに、と思うと情けなくなってきた。

「いやいやいや。可愛いから!俺も彼女募集中なんだけど、なかなかできなくてさ」

此処まで話したところで、客が来た。ちょうど通勤ラッシュの時間だ。がっかりした。


「メアドとか聞いてもいい?」

少し手の空いた時、彼が言った。

「はい?」

情けない声が出た。聞こえている。彼がなんと言ったのか、ばっちり聞こえている。

それでも、もう一回言って欲しいのだ。言ってくれなかったらどうしよう、と思わないわけではないが、言って欲しい気持ちが勝った。

「連絡先!聞いてもいい?」

「はい…あ、いや、じゃあ後で」

何かの本で読んだ。

こんな時に“小悪魔な女”というのは、焦らすのだそうだ。これで良いのか分からないが、橋本はわかったと言った。きっと、正解。


「お疲れ様です」

「あ、メアド教えてよ」

タイムカードを押している最中、真横で橋本が言う。すぐ横に彼がいる。倒れそうだ。

「…はい。じゃあ、赤外線」

受信画面を開き、彼と携帯を合わせる。変な感覚だ。

バックルームが薄暗いから、余計に変だ。

「すぐメールしてー」

言われるがまま、空メールをする。見た目の派手さとは裏腹に、橋本のアドレスはシンプルだった。

「今日は?どうやって帰るの?」

「いつも通り、これから迎え呼んで…」

「送るよ!」

間違いなく、心臓が止まった。今この瞬間に心電図をとれば、不整脈必至だろう。

悩む間もなく、お願いしますと返答した。


「これ、俺の車」

面接の日に見たもの、出勤のたびに何度か目にして来た車に、まさか自分が乗り込む日が来るとは思っていなかった。

どうだ、先々週の自分。そう思いながら後部座席のドアに手を掛けると、橋本が不思議そうな顔でこちらを見る。

「助手席でいいよ」

はっとした。自宅の車で助手席に一度も乗った事がないのだ。

「お、お邪魔します」

初めて乗る車に、真横にいる橋本との距離に、眩暈がした。形容ではなく、実際に眩暈がしたのだ。

スピーカーと、足元のウーハーから最近流行りの曲が流れる。ミーハーだと思われたくなくて、好きな歌手の最新曲以外はチェックしない私にとって、橋本の記憶にその曲が刷り込まれた瞬間。

「このぬいぐるみは、彼女さんの趣味ですか?」

「言ったじゃん。俺、彼女いないんだよ。募集中~」

「じゃあ、これは?」

「ゲーセン好きで、暇な時とかに集めたんだよね。可愛いっしょ」

肩の荷が崩れ落ちた気がした。

私は知らず知らずのうちに、存在しない彼の彼女に嫉妬していたのだ。

「今日なんか予定あるの?」

「ないですよ」

彼にとっては意味のない質問かもしれない。が、もし重要な用事があっても、私は全く同じ答えだったはずだ。

「じゃあ、ドライブしてもいい?」

「はい」

緩み始める口元を見られたくなくて、助手席側の窓を見る。

目新しいものはないのに、初めて見るかのようにまじまじと見る。


「それじゃあ、またね」

「ありがとうございます。お疲れ様でした」

彼の家を見た。今までに一度も入った事のない筋に入り、誰一人として知り合いのいない団地に彼の家はあった。

それから、彼の出身高校を見た。パンフレットやネット、最寄駅から見える表側なら何度か見た事もあったが、裏側を見せてくれた。

彼は此処へ三年間通ったのか。そう思うと何処か胸のあたりがまた、チクチクと痛んだ。

『今日はありがとうございました。仕事でお疲れのところをわざわざ送って貰って、楽しかったです』

何度も読み返し、誤字脱字のない事を確認してから送信。

帰宅してから着替える間、昼食を作る間、そわそわと落ち着かない。携帯電話を常に視界の隅に置いて置いた。

数時間後、着信音が鳴った。手が一瞬で汗ばむ。どんなメールをする人なのか、私はまだ知らない。

恐る恐る受信フォルダのメールを開く。

『こちらこそありがとう☆』

短いメールはすぐに読み終わってしまう。視界が歪んだ。


*************


「おとといはありがとうございました」

「こっちこそありがとう」

他愛のない会話。これだけでも進歩だ。

それでも、何となく泣きそうになるので、彼の顔は見ないようにする。


「今日も送って行こうか?」

「いえ、今日はいいです…」

「そっか。じゃあ、またメールするね」

まただ。また目頭が熱を帯びてきた。どうしてだろうか。わからないし、わからなくていいような気がして、そそくさと帰宅する。


帰宅して、仮眠を取ろうとベッドに横たわっていると、携帯電話がメール受信を報せる。

『今日って忙しい?』

橋本からだった。もう慣れていた心臓の暴走だが、今日は一段と高鳴る。

『いえ、暇です』

『じゃあ、これから会えないかな?』

『いいですよ。何時ごろですか?』

携帯電話を放り、急いで化粧をする。

流行なんか気にしない私のクローゼットは、無法地帯のようなものだけど、せめてマシなものを…。

『着いたよー』

何を着て行けばいいのか分からないまま、きっと一番似合わない洋服を着て、外へ出た。

彼の顔を見られそうにない。


「やっほー」

相変わらずのフランクさで、彼はそこにいた。

何をするのかと思えば、何処へ行くでもなくて、ただコンビニで飲み物を買って、駐車場に座った。

見知らぬ人がそうしているのを見ると、何となく嫌悪感しかわかないのに、彼はやけにその姿が似合いな気がした。

仕事中、空いている時にするような話を、誰かに邪魔される事もなくした。

「ちょっと移動する?」

「はい」

何処に行くのか聞きたい気もするが、聞けば怖気づいて断りそうな自分の為に聞かない。

二度目だというのに相変わらず緊張しながら、助手席へ乗った。


着いたところはレンタルショップの駐車場だった。

中へ入るのかと思いきや、彼は降りる素振りを見せるでもなく、横で座席を倒した。何なのだろう。

しばらく話しているうち、お手洗いに行きたくなりそう告げると、今度は最寄りのコンビニへ移動した。

「ちょっと行ってきます」

車で待っているという彼に首を傾げながら、迅速に用を済ませ車に戻る。

北向きに停めた車の中、西日がジリジリと暑い。そして、眩しい。

「あのさあ」

はい?と返事しようと振り向いた瞬間、唇を奪われた。文字通り、取れてしまいそうなくらい激しく。

眩暈を通り越し、失神するんじゃないかと思ったが、頭の何処かは冴えているらしい。冷静に彼を見ている自分は、まだ此処にいる。

しばらくして離れると、彼は何事もなかったのように車をバックさせ、レンタルショップとは違う方向へ走り出す。今度は何処へ行くのだろう。もし危なそうだったら逃げなくちゃ…。


私の心配をよそに、着いた先は銀行だった。

「ちょっと待っててね」

今度は東向きの駐車場なので暑くもないし、眩しくもない。その代り、沈みかけた夕日が影を濃く落とし始めている。

彼は一体どういうつもりで、あんな事をしたのだろう。誰にでもするのだろうか。

「お待たせ」

「あの…」

さっきの事を聞いてみようか。それとも、何事もなかったかのように振る舞うべきだろうか。

悩んでいると、橋本が先に口を開いた。

「付き合って欲しい」

「え、でも」

咄嗟に否定する言葉が出た事を、激しく後悔した。心臓は大人しくしているけれど、涙腺が決壊寸前だ。

「もし断られたら、俺あのバイト先を辞めようと思う」

突拍子もない事を言い出したな、と思う反面、断られるのが怖いのだろうか、と冷静に働く脳みそがいる。自分が思うよりも、私は尻軽なのかもしれない。

「でも、私ワガママで嫉妬も酷いし、束縛もするかもしれません…」

「俺だって爺さんみたいって言われるくらい、重たい」

「でも、橋本さんはモテそうだし…」

「今まで付き合った女は全員、浮気した。俺はいっかいもした事ないし、一途なのは周りに聞いてくれればわかる。だから、付き合って」

「…うーん」

そうこうしているうち、今度はうどん屋の駐車場に停まった。

彼はあちこちの駐車場が好きらしい。何処か店に入って話をしようという発想にはならないのだろうか。そんな事を思うと少し、口元が綻んだ。

「さっきは何であんな事したんですか?」

「いや…なんか好き過ぎて、堪えられなかった。ごめん」

「私、付き合ってない人とはああいう事できないんです」

「ごめん」

ぷっと笑いが出た。私は捻くれているのだ。

「え?あ、もしかしてOKって事?」

黙って笑うと、もう一度キスをされた。

これからいちいちキスしなくちゃいけない生活が始まるのだろうか。


*************


「この歌、なんていうの?」

そう言って聞いたバンド名が、あまりにも馴染みのない英語ですぐに忘れた。

変なイントロ、でも格好いい。


*************


「何で…何で…」

目の前で震える橋本。目は焦点が定まっていない。涙で視界が歪んでいるのかもしれない。

「ごめん」

私に言える台詞はこれしかない。これしか…。

「別れよう。私は最低な女だってよく解ったでしょ」

本当に申し訳ない事をしたと思う。でも、面倒臭さを感じている私も共存しているのだ。隠しきれていないだろう。

「嫌だ…」

「でも、悪いのは私なんだからさ、私の顔なんて見たくないでしょ?」

「悪いのがお前なんだから、お前が俺を幸せにしてくれ…」

泣いている。あの橋本が、私の所為で泣いている。五臓六腑全てを掴まれた気がする。

いつも待ち合わせるコンビニの駐車場、アイドリングストップの看板を目の前にアイドリングしているが、彼はそんな事は気にしていないだろう。というより、そんな余裕はないだろう。

返す言葉を失い、オーディオのディスプレイを見つめる。音は出ていないが、確実に作動しているオーディオが、自らだけが把握しているデータを必死に再生している。

「別れたくない」

「じゃあ、私はどうすればいいの?」

いきなり呼び出され、携帯しか持っていない私を、彼は自宅へ連れ帰った。


**************


「幼馴染なんだ、こいつら」

何と言えばいいのかわからず、無言で一瞥した。

バイト先の同級生もそうだが、幼馴染も皆一様に根暗そうで、どちらかというと私と近いような気がする。

「彼女がいるのがいつも俺だけでさあ。早くみんなにも幸せになってほしいんだけどな」

年末に帰省してきたという者もいれば、すぐ近所に今も住んでいるという者もいる。

やはり見た目だけで判断してはいけないとは思うのだが、三人いるうちの三人ともが消極的に見える。きっと橋本の方がアタックして、仲良くなったんだろうな。その姿が目に浮かぶようだ。

「毎年みんなで初詣行くのが日課でさ。これから行くんだ」

何の説明もなく、迎えに来てくれて連れて来られた私としては、これから何処へ連れまわされようが好きにしてくださいという感じだ。


私は橋本の車に、あとの三人は誰かの車に乗り込み、毎年必ず行くという神社へお参りに行く。

元旦の夜に出歩く事がなかったので、こんなにも交通量が減るものなのかとわくわくした。が、それは国道だけだった。

小さな神社なのに、人でごった返している。

「行こう」

車を隣同士に停め、五人でお参りする。

私がストラップを見ていると、橋本が買ってくれた。お守りにしようと思い、早速携帯へ着ける。

順番におみくじを引く。何かの媒体で目にしたが、元旦のおみくじは圧倒的に大吉が多いらしい。私は大吉だった。彼は中吉だったので、トリビアは飲み込んだ。

初詣が終わると、暗黙の了解があるらしく、またみんな車に乗り込む。行先を示し合せるような会話はなかったが、きちんと合流した。カラオケだった。


数時間歌った後、初日の出を見に行くと山へ登った。頂上ではなく中腹辺りで車を停め、展望台に五人並んだ。

毎年四人で並んで見てきたはずの光景を、私なんかが混じっていてはいけない気がして、少し後ろへ下がった。気づいた橋本に手を繋がれたのだが。

「なんかお願い事する?」

「俺はいいや」

「俺もいい」

「俺も…」

徹夜明けでぼんやりしている頭で初日の出を見て、その場で幼馴染たちとは別れた。

私と橋本はこの後、バイトなのだった。


*************


「あいつ誰?」

学校まで迎えに来てくれた橋本が、とてつもなく不機嫌そうだ。

その原因は、とても小さな、けれど橋本にとっては大きな事なのだ。

「すみません。うちの彼女と話すの辞めて貰えますか?」

「え?」

話しかけられた方もたまったもんじゃないだろう。どうフォローすればいいのか分からず、ごめんごめんと繰り返し、橋本を連れて車へ向かう。

「何であいつの肩持つの?」

「あの人は婚約者がいて、披露宴で弾き語りする為にピアノをやってるの」

そうなのだ。そこを邪魔する為に無理やり連弾し始めた姿を見て、文化祭でやる合唱の伴奏を、私と彼との連弾で、という話になった。

私が返事をする前に決定し、渋々練習をしているところを見た橋本が不機嫌になったのだ。

「別にやらなくていいんじゃないの?」

「決まっちゃったんだから、仕方ないじゃん…」

「何で?他に仲良い子いるんだから、その子とやればよくない?」

確かにそうなのだが、私は彼が嫌いではなかった。

橋本もそれに気づいているからこそ、こんなに警戒しているのだろうが、橋本の思惑とは違う方向の感情なのに。これを言葉にする能力がない自分を呪った。


不機嫌なままの橋本に連れ帰られ、うとうとしていると消えた。

階下のお手洗いにでも行ったのかもしれない。そう思いゴロゴロしているとまた眠気に誘われる。

「…よ………」

ぼんやりとした意識の中、重たい瞼を無理やり開けると、目の前に橋本の顔があった。

何だかアルコールの匂いがする。

「飲んできたの?」

「うん。飲んでないとやってられねえよ…」

「何で?」

「俺の大事な彼女が…こんなに愛してるのに、他の男ばっかり見て…」

どう返せばいいのか分からず、ぎゅっと抱きしめると、何処かしらの骨が折れそうなくらい強く強く、抱きしめ返される。


きっと彼は、私じゃなくても自分だけを見てくれる存在がいればいいのだろう。

ふとそう思った。


**************


「今から行くから」

「来なくていい」

「は?」

「別れよう」

私から一方的に、電話を切った。

来なくていいとは言ったものの、橋本は間違いなく来るだろう。それは百も承知している。


「ちょっと!!!!」

母が来た。ただ事じゃない、というような顔をしている。

その後ろからすぐに橋本が来た。やっぱりか。

「ちょっと来て」

母の前だから怒りを抑えているつもりらしいが、あれこれ露わになっている。

いっそ此処で刺し殺してくれて構わない。

「やだ」

「いいから」

「やだって言ってんじゃん」

腕を振りほどこうとするが、男の力には勝てない。

母が私と橋本とを交互に見て、焦っている。制止してくれない辺りが母らしい。

「何で別れるの?男か?」

「別によくない?お金でしょ、お金」

「そりゃ別れるなら半分は払って貰うよ。同棲するからって契約して、あとは金払うだけなのに何でこのタイミングなんだよ…」

「そもそも内見にも連れてって貰ってないし、契約したのも聞いてないもん」

「メールしたじゃん。URL送ったんだけど」

「契約ってメールは来てないもん」

堂々巡りだ。

春から同棲しよう、と言ってきたのに、橋本の都合で延びた。

延びている間も母から出ていくように急かされている私としては、自分で契約して出ていく方が迅速かつ、確実だったのだ。


だが、新居をここで橋本に教えれば、間違いなく来るだろう。

それはもう、出来ない。この付き合いに限界を感じてしまったのだから。


「来いって言ってんだろ!」

痺れを切らしたらしい橋本に、半ば引きずられるようにして連れ出された。

「離せ」

そう言うと国道に投げ飛ばされた。やっと解放されたのに、此処で轢かれて死んだら、本当に情けない人生でしかなかったと思う。

幸い轢かれずに済んだので、橋本にまた捕まらないように自宅へ戻る。追いかけられるかとも思ったが、来ない。

恐る恐る、玄関から車道を覗き見ていると、しばらくしてものすごいスピードの橋本の車が見えた。自棄になっているのが此処からでもわかる。

けれど、もう橋本に手を差し伸べる事は出来ない。


*************


数か月後、橋本から連絡があった。

「やり直せない?もう一回…」

知っている。やり直してもまた同じことの繰り返しになるのだ。でも…

「ちょっと考えさせてくれる?」

「わかった」


翌週、また連絡があった。

「考えてくれた?」

「今のままじゃ、無理だと思う。どうしても認めて貰えない事があると思うから」

「…やめられないの?」

「ごめん」


それからまたしばらくして、今度はお金の催促があった。部屋の敷金礼金の半額だ。

これまでに橋本から与えて貰ったものを考えると安いのかもしれないが、近況を聞いて払う気が失せた。

「俺、彼女できたんだ。お前の一個下。もう不安になるの嫌なんだよね…」

静かに終話ボタンを押した。


彼と出会った時、私は17歳で彼は20歳になったばかりでした。

気づけば出会った当初の彼の年齢を上回る自分、そしてその年齢になった時の自分が当初の彼とどんなに違うのかを思い知り、過去の恋の幼さを知りました。


初めて彼を見た時、それまでに感じた事のないような感情が芽生えました。

恐怖、歓喜、不安、焦燥、孤独、劣等感…そのほとんどはマイナスな感情ではありましたが、それに勝るとも劣らないプラスな感情が麻薬のように作用したのでしょうか。

なかなか離れられなかった。


彼はいつも自分を認めて貰おうとしていたように思います。

当時は私に認めて欲しいのだろう、と解釈していたのですが、私自身が妊娠と出産を経験し、育児をしている中で実は、彼のお母さんに認めて欲しがっていたような気がしています。

淋しさをお母さんと同じ女で埋めるしかないような、いつも淋しそうで不安そうな彼の表情が忘れられません。


今でも思い出すと、愛されていたような錯覚に陥ったりします。

実際に好かれてはいたのでしょうが、いつも見返りを求められていたので、愛ではなかったのだと今になって気づきました。



今、彼は自分と向き合い、自分を抱きしめてあげられているのだろうかと考えると、胸の辺りがざわざわ…。

母性本能をくすぐるとはこのことなんでしょうか。

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