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林檎

その日の放課後、治とヒロちんはいつものように通学路を歩いていたらヒロちんが、


「15今日これから、彼女ん来っとね」

「うん、そがん言いよったけんね、来るっちゃなかとかな」

「おっや部屋に、いても良かとね」

「うん、良かさ」

「邪魔じゃなかと」

「うんにゃ全然よかよ」


途中でジュースを買って下宿に戻った。


部屋に着くと、ヒロちんは掃除をしだした、治は畳んである布団に寝転んで煙草を吸いながら

「ヒロちん、良かばい別に掃除せんでん」

「かっこ悪かろが」

「そがんかね」

「うん、少しやしちょっけん」

「悪かね」

「別に良かよ」とヒロちんは笑った。


「15どがんな感じね、彼女ん出来るっち、、」

「どがんち」

「嬉しかとね」

「そうやな~」

「もうキスやしたとね」と掃除をやめてヒロちんが照れくさそうに聞いた。

「うんにゃしちょらんよ」

「なんや~昨日の昼したとかと思ちょったよ」

「しちょらんよ」

「今日すっとね」


そう言われて今度は治が昨日海岸での事を思い出していた。


手を伸ばせば届きそうな恵理子の胸のふくらみ、自分の胸に感じたあのふくらみ。

抱き合った時に匂った恵理子の息遣い。

耳元に有った恵理子の唇。


あの時胸のふくらみに手を伸ばしたら、恵理子は嫌がっただろうか。

あの時キス出来たのかも知れない、恵理子は嫌がっただろうか。


そう考えていると、治は「体が熱く」なって来るのを感じて、慌てて煙草を吸った。


「よかなぁおっも彼女んほしかよー」と煙草をくわえたまま寝転んでヒロちんが言う。

「すぐ、でくっちゃん」

「そがんかなぁ」

「そがんさ、ヒロちんや好きなおなごやおらんとか」

「おらんばい、恥ずかしかもん」

「恥ずかしゅなかたいね」

「そがんかね~」煙草の煙を天井に向けて勢いよく吐き出しながらヒロちんは言う。


その時階下の玄関が開く音がして「こんにちわー」と恵理子の声がする。

「15来たばい」ヒロちんが飛び起きて、まるで自分の彼女が来たみたいに、そさくさと下がって行った。


「おじゃますまーーす」

おどけた感じで恵理子は言いながら階段を上がってきた。

治は畳んだ布団に寝転んだままで

「すぐわかったと」と恵理子に聞いた。

「うんわかったよ」


夏用の白いブラウス姿の恵理子が笑顔で上がってきた。

織り目がしっかりついた黒いスカートから出ている細い足が、治には妙に艶めかしく感じる。

紺のタイを結んだふくよかな胸元、長い髪は後ろで結んでいた。

九州の女性にしては珍しい色白な顔にピンクの唇が眩しい。


「何じろじろ見てるのよ、恥ずかしい」と言いながら恵理子は治の横に座った。


「綺麗に片付いてるね」

「あぁこれヒロちんが今掃除したけんね」

「ヒロちんがしたとね、15やせんやったと」とヒロちんに聞いた。


ヒロちんは顔を真っ赤にして「うん」とだけ答えて、さっき買っておいたリンゴジュースを恵理子に手渡す。

恵理子が「ありがとう」と言うとまた、少し照れ笑いをヒロちんはした。


治はヒロちんも多分恵理子に大人の女性を感じて照れたのだと思った。


「おっやテスト勉強ば下でしてくっけん」と言うとヒロちんは鞄を持って階段を下がって行った。


部屋に二人っきりになると恵理子が

「ヒロちん別に遠慮せんでも良かとにね」と治のほうを見て笑う


恵理子はリンゴジュースを飲みながら窓際に行って、


「海が綺麗に見えるとね」と独り言みたいに呟く。


窓辺に腰かけた恵理子の白いブラウスが夕日で透けて見えた。


「今週の金曜にテスト終わるから、土曜日また遊びに来んね」

「うんよかよ」

「15や、今度のテストでも一番ば取るとね」

「分からんばい」


「私15が一番なら嬉しいなぁー」


治は不思議なことに今日も成績の話をされても、腹立たしくならなかった。

今までなら、こんな話を誰にされても腹立たしさを感じていたのだが。


今こうして恵理子に「一番になって欲しい」と言われて逆に自分自身が嬉しさを感じている。


恵理子と出会った事で、治の中で何かが変わり始めていた。


これまでも自分の能力を、理解している友人は確かにいた、しかしその友人達は皆


「過去の努力」を知った上での理解だった。


しかし恵理子は過去のことなど知らない、知らなくて今の自分だけを評価している。

これが高校の先生相手なら間違いなくイラつく、でも恵理子の言葉にはイラつかない。


それは何故か、これまでの人たちの言葉の中に治自身は「妬み」や「興味本位」

学校の先生たちなどは「自分の腕の中に入れて自分の手柄にしよう」みたいな下心さえも感じていた。


でも恵理子の言葉に治はある感情を始めて感じた、それは、、


「期待」である。


「期待」と言う感情を治は知り合って間もない他人から感じたことに少なからずびっくりしていた。

今まで「期待」と言うものは、

自分が、これまでに「何をしてきて」これから「何を求めて」また「何をしたいのか」を理解していない人が「期待」など出来ないと思っていた。

もしも、その様な事を一切知ることもなく「期待」などと言われたらそれはおそらく


「似非」


「偽物」で「内容の無い」ただ「口先だけ」の「侮蔑」するべき言葉だと治は感じていた。


「どがんして、ワシが一番なら恵理子が嬉しかとね」と治は聞いてみた。


「かっこん良かたい!」と恵理子は窓に腰かけたまま言った。


これまでの周りの人たちは、自分の進む方向を自分の意志など関係なく「強制」してくる。

それもその方向に自分が進んだとしてもその「強制」した人たちが嬉しいわけでもなんでもない。

ただ「普通はこうだ」とか「成績が良いならこう進むべきだ」とかだけで、進むべき方向を強制したがる。

強制するといっても、前に立って「手招きしてくれるわけでもなく」

横道にそれたら駄目だとしか言わない、

「こっちに入ってはいけない」と言うが如く側面に壁を作って決して自分の前に立とうとはしてくれなかった。


だが今恵理子は自分の前に立って、「一番を取って欲しい」と求めている。

それは治自身の将来とか、一般論とかじゃなく。


単純に恵理子本人が嬉しいからと言う。


そんな感じで言われたことが治はなかったからとても新鮮だったし、不思議でもあった。


「うん分かったよ一番とるばい」と治は答えた。


「ほんと、嬉しい絶対ばい」そう言いながら寝転んでいる治の横に座った。


「取れんやったら、ごめんね」治がそう言うと。


「学校始まって以来の秀才の15がもしかして自信なかと」と治の顔を覗き込んだ。

恵理子の顔が寝転んでいる治の目の前に有った。


「そがん訳じゃなかばってんさ」


「なかばってん、、何ね」と治の顔を真上から覗き込んだままで恵理子が悪戯っぽく聞いた。


後ろでまとめてある長い髪が首筋から落ちてきて、頭の後ろで手を組んで寝転んでいる治の顔にくっつきそうになっている。


わずか30センチも離れてない距離で目と目が合った。


恵理子の黒い大きな目を治は恥ずかしいとも思わずにじっと見ている、少しの沈黙の後に。


恵理子が「一番になれるようにおまじないかけてあげるね」と言って。

治の唇に自分の唇を重ねた。


治は恵理子の柔らかい唇の感触を自分の唇に感じた。


重ねた唇をほんの少しだけ外して「これで大丈夫ね」と言った恵理子の吐息はリンゴジュースの匂いだった。


「うん」


治が答えると、恵理子は微笑んで静かに目を閉じるともう一度唇を重ねる。



夕日のオレンジ色で染まった部屋で二人は長いキスをする、治も恵理子も重ねただけの唇からお互いの鼓動を感じた、初夏の夕方。

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