0096
「マジかよ……あの第二皇子、そこまでトチ狂った事を…」
不安を滲ませていたはずのルティウスは、項垂れたまま動かない。けれどその両手はきつく握り締められ、既に敵と認知している第二皇子への怒りによって僅かに震えていた。
「そっかぁ…それじゃ、ルティ君のお兄さんが動けないのもしょうがないよね?だってさ、下手に動いて失敗したら、ヴェネトスから断罪されちゃうかもしれないんでしょ?」
「その通りでございます」
ルティウスの隣に立ち腕組みをしているフィデスの言葉。肯定するゼフィラ自身もまた、このままでは帝国に差し出されかねない状況にある公女の一人だ。それでも尚、皇子達のために自身が動く理由…それこそ、ルティウスを想うが故のもの。
「サルース殿下は今もずっと、機を窺い続けております。本当に信の置ける者を集めて、秘密裏に…」
「じゃあそんな時にルティ君がこっちに来たのは、絶好のタイミングってコト?」
少女の成りをしたフィデスだが、見た目以上に勘は鋭く、そして的確に人の意を掴む。時にはレヴィよりも正確に真意を見抜く目を持っているフィデスだからこそ、案じてしまう。
「でもそれってさ、ルティ君という存在を利用しようとしてない?」
第一皇子サルースがゼフィラを遣わした事から推測できる通り、サルースは誰であっても駒として利用する男かもしれない。そんな懸念がフィデスにはあった。
「この子はさ、ただ自分の国を取り戻したいだけなんだよね。そのためにお兄さんを頼りたくてここまで来たんだ。だけどそのお兄さん自身がルティ君をも利用しようとするんなら…ねぇ?」
怒りに震えていたルティウスの隣に立ち、その背中に手を添えて、フィデスは無邪気な声で容赦なく告げる。
そしてそれは、静かに聞いていたレヴィも同様だった。
「公国の動向など私の知るところではない。ルティが国を取り戻し第二皇子を討ちたいと望んでいる。第一皇子とやらはそれを阻む存在か否か、必要なのはそれだけだ」
「レヴィ、フィデス…」
守ると決めた少年。その彼が誰かの意図にこれ以上翻弄されてはならない。そうした確固たる決意を、二柱の竜神は抱いている。
ルティウスの両隣に並んだ竜達は、どこか獰猛な目をしてゼフィラの返答を待っていた。
「それは誤解でございます。サルース殿下は、本当にルティウス殿下の事を案じておられます」
結果としては利用される事になるのかもしれない。だがそれでも良かった。自分や敬愛する兄を取り巻く状況の難解さに心が折れそうになるも、ルティウス本人は酷く落ち着いていた。
フィデスとレヴィが、湧き上がる怒りの感情を代わりに受け止めてくれたからかもしれない…心のどこかでそう思えた。
「ねえ、ゼフィラ…」
ルティウスを守るように立っていたレヴィとフィデスを制するように一歩前へ出て、ゼフィラへと向き直る。少しだけ見上げた年上の女性は、僅かに頬を染めて困惑の表情を浮かべていた。
「兄様には、会いに行く事は出来るのか?」
困難がある事など最初から分かっていた。皇子としての自身の立場が枷となる事も覚悟の上だった。だがそれでも、兄と再会し国を取り戻したいという願いに揺らぎは無い。
「ルティ!」
「ちょっと、ルティ君?」
突然の言動に慌てたのは、ただルティウスを守ろうと躍起になる竜神達。彼らの想いも理解した上で、ルティウスは選ぶ。自分の望みを。
「利用されるんでもいいよ、俺が兄様の役に立てるなら構わない」
元より、皇帝に即位した兄を支えられる自分になりたいと考えていた。そんなルティウスにとって、サルースが利用しようというのならそれは崩れ落ちた未来の願いが叶うのと同じだったから。
「だから俺は、兄様に会いに行きたい!」
これはルティウス本人が自分で決めた事。そこに口出しなど、レヴィであっても出来はしない。
諦念の滲む溜め息を吐いてから、自らの意思で踏み出そうとする少年の頭に手を置き、けれど視線だけはゼフィラへと向けたまま告げる。
「ルティがこう望んでいる。さっさと皇子の元へ連れていけ」
「…レヴィ?」
すぐ隣に立つレヴィを見上げてみても、そこにもう怒りの感情は見られない。少しの苛立ちが残る横顔を頼もしく思うと同時に、彼が自分の見落としている全てを見抜こうとしてくれているのも分かった。
あんなにもゼフィラを敵視していたというに、今は彼女に命令しようとしている。その不遜な態度はどうかと思いつつも、やっぱり優しいな…と、僅かに口角が上がるのを止められなかった。
「…で?正攻法じゃ会えないって、ゼフィラちゃんさっき言ってたよな?」
事の成り行きを静かに見守っていたリーベルは、西ベラニスで聞いていた話を持ち出した。
「…はい。今、サルース殿下は一貴族に身を窶し、セレーナ姉様の管理する別邸におります。ですがそこも既に、カエラ皇妃様の系譜を糾弾したい派閥によって監視されております。ですので…少し裏の方法を取ろかと…」
「その方法ってのは、ここではまだ話せねえのか?」
「申し訳ございません。まだ確実性と安全が確認されていないのです…」
「そうか…」
再び頭をがりがりと掻くリーベルとゼフィラのやり取りを見ていたルティウスは、首を傾げている。
彼らの会話には気になる点があった。
それは不穏な策謀の事でも、兄と会うための裏の方法についてでもない。
純粋な、ゼフィラという女性の、正体について。
「…えっ!君もしかして…公女?」
兄の婚約者である第二公女の名は知っていた。そのセレーナを姉と呼んだ彼女が、第二公女の妹である事は明白。侍女としての姿しか知らなかったルティウスは、ここ一番の驚愕に目を見開いていた。
「あれ、知らなかったか?」
「知らないよ!だって以前に会った時は侍女だと思ってたし!」
既知だと勝手に思い込んでいたリーベルも、共に話を聞いていたフィデスもゼフィラの素性は知っている。折悪くその話をしている時、ルティウスはレヴィによって離脱していた事をようやく思い出した。
「悪い悪い、知ってるもんだと思ってたわ!」
「フィデスも、何で教えてくれなかったんだよ!びっくりしたじゃないか!」
自分だけ知らなかったという悔しさを周囲へ当たり散らす様を、レヴィだけは微笑ましく見守っている。
「あの時は…はい、姉の護衛として侍女のフリをしておりましたから…」
「………えぇ~?」
途端に全身から力が抜ける。今までの張り詰めた空気が一瞬にして緩み、怒りも焦燥も何もかもが馬鹿らしく思えてしまった。




