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ルティウスが心を取り戻す少し前。
西ベラニスに残るフィデスとリーベルは、ヴェネトス公国の公女と名乗ったゼフィラの自白によって、頭を悩ませる事となっていた。
「⋯つまりよ、公国へ逃れてたアイツの兄貴、サルース第一皇子の頼みで、お嬢さんはこんなとこまで来たって事か?」
「端的に言えば、そうなります」
動機と現状だけは理解が出来る。しかし一国の公女ともあろう者が、護衛も付けず単独で城を出てくる事に疑念が湧く。
「そんだけルティウスの素性も何もかも知ってて、何で⋯アイツらもいる前で、殿下なんて呼んじまったんだよ?」
リーベルが指す『アイツら』は、今も西ベラニスの掃除と後片付けに奔走する自警団の事。中には魔物の死骸を焼くために火炎魔法を使い続け、疲弊し昏倒している者もいるが、リーベルは一瞥すらしない。それは放置しておいても『アイツらならやれる』という信頼の表れでもあった。
そしてこの場での会話は、ゼフィラが展開した風の魔法、遮音結界によって自警団員へは聞こえていない。それもまた、風の国の魔法を知っているリーベルの指示によるものだった。
「それは⋯」
リーベルからの問に対して、ゼフィラは言い淀む。その理由を告げるのには、少しの抵抗があったから。
「正直に答えたほうがイイよ?ボクと違って、こっちのオジサンはキミを殺せるからね?」
「フィデスよぉ、俺を何だと思ってんだ?」
「え、レヴィくらい過保護なルティ君の叔父さん?」
「あそこまで執着はしてねえよ!まぁ、姉さんの忘れ形見だからな、大事ではあるけどよ⋯」
雰囲気にそぐわない笑い声を発するフィデスだが、しかしその瞳は一度たりともゼフィラから逸らしていない。異様なまでのしおらしさを見せるゼフィラを、常に警戒している。
「笑わずに、聞いて頂けますか?」
「お、おう」
フィデスとのふざけたやり取りで僅かに気を抜いていたリーベルも身構える。ゼフィラから語られる、その…あまりにも気の抜けた理由を聞くために。
「わたくし、殿下をお慕いしておりまして…」
「「………」」
「皇都のあの城で行われた姉の婚約式、その場所で一目お見掛けした瞬間から、わたくしはルティウス殿下に心を奪われてしまっておりました」
リーベルとフィデスは、共に言葉を失っていた。感情の全てを削ぎ落したような真顔でゼフィラを見つめ、ただただ公女の惚気話を聞く事になる。
「あれは三年程前になるでしょうか。わたくしはこの剣技を以て姉の護衛をするべく侍女に扮して皇都へ赴きました。そこでお会いした殿下の、あの可愛らしいお姿…少女と見紛う程のお顔立ちと、凛とした涼やかな瞳…ご挨拶頂いたあの瞬間の高揚は今も忘れられません!」
頬を染めて過去を語るゼフィラからは、喉を貫こうとした時の狂気も、魔物を屠っていただろう時の殺伐とした雰囲気すらも感じられない。ただの、一人の恋する女でしかなかった。
「…で?もしかして、殿下って呼んじまったのは…本気で『ついうっかり』って事か?」
「……お恥ずかしながら、その通りでございます」
それまでの警戒が馬鹿らしく思えるほど、フィデスとリーベルは脱力してしまう。
「じゃあさっきのアレは何だったんだ?ルティウスのトラウマを抉ってまで死のうとしたアレはよ?」
けれど問わねばならない。どれほど純粋に想っていても、やっていい事と悪い事があるのだ。そしてゼフィラは、後者となる行動を取った。
「殿下への失態など万死に値すると自覚し、あのような行動に…。本当に申し訳ないと思っております。皇妃様の事件はもう十年も前の事。傷は癒えているかと勘違いを…」
「馬鹿野郎!」
相手が女性で、公女という身分を持つ者である事も忘れて、リーベルはゼフィラの胸倉を掴み上げて怒鳴った。
「ルティウスがその十年、皇都という逃げ場のない檻の中で、どれだけ孤独に耐えてきたと思ってやがる!」
「それは……」
「あいつの心はな、十年前から育っちゃいねえんだよ!そんな事も分からずに何がお慕いしておりますだ、笑わせんな!」
トラウマと向き合う勇気も持てず、倒れそうな程の辛い感情を支える者もなく、それでも気丈に振舞うしかなかった皇子としての立場。そんな中でレヴィという支えを得た今、ようやく向き合える機会が訪れるかもしれないと期待を持てた中での、ゼフィラの凶行。甥を思う叔父として、決して許せるものではなかった。
「お前さんがルティウスにどんな理想を抱いているかなんて知ったこっちゃねえんだよ。だがな、あいつを苦しませる存在に成り下がるなら、ルティウスが許したって俺は許さねえよ!」
それはゼフィラに向けて吐き捨てた言葉だが、自身にも言える事だった。
リーベルもまた、ルティウスの十年を知らない。ベラニスの街で出会えたのはほんの偶然であり、第二皇妃の計らいによって存在を隠されていた自分が、彼を語る事など許されるとも思っていない。だからこそこうして出会えた今、あの子を守る事が亡き姉への弔いになるとすら考えている。
会う事すら許されなかった甥へ抱く想いは、出会えていなければ彼女と同じだったかもしれないのだから。




