0009
眼前で繰り広げられる光景は、人が行う戦闘としてはあまりにも常軌を逸していた。それほどまでに、この場所へ迷い込んだであろう少年が繰り出す魔法は圧巻の一言だった。
凄まじい威力を生み出す水蒸気爆発を狙った魔法の組み合わせ…その狙いは見事に成功し、封印の守り手たる竜の殲滅は叶うが、事を起こした少年自身もまた爆発の渦中にいた。瞬時に結界を展開したようだが、あの程度で防ぎ切れるはずもない。ほぼ爆発の中央にいたのだから。
けれど爆発のおかげか、竜達が絶えたからなのか、その存在を封じていた楔は綻んでいた。吹き飛ばされ勢いよく泉の中へ沈んで行った少年を追うように、クリスタルから一筋の光が伸びていく。完全では無いものの、僅かに解かれた封印は、その姿を現出させる事を可能としていた。
底が見えないほどに深い泉の底へ、潜りながらも光は収束し人の形を成していく。沈み続けていた少年の腕と、同じように沈み行く剣を掴み、意識の無い身体をそっと引き寄せる。爆発の衝撃で負った損傷は軽微のようだが、露出している肌には焼け爛れた傷跡が見えた。
小柄な身体を両腕で抱きかかえ、辛うじて操れる癒しの力を与えながら浮上し、水中を脱するとそのまま空中にて静止する。
重力を得た肉体へ負担が掛からぬよう、ふわりと舞うように移動し、傍の岩場へ降り立つと傷だらけの身体を地面へと横たえた。
「まさか、血縁者が生きていたというのか……」
着水した時点で意識は無かったのだろう、少年の目は閉じられたままだ。あれだけの水底へ沈んでいながら、呼吸はそれほど乱れていない。不思議だと思うが、けれど一つだけ思い浮かぶ可能性が正しいのなら、あの程度で肺を満たすまで水を飲み込む事も無いだろう。
傍らに座り込み、容態を確かめる。傷はもう治っていたが、未だ意識を失ったままの少年の顔を見下ろし、そして思い出す。人間は、身体が濡れたままだと冷えて体調を崩しやすいのだと。
「仕方ない……」
図らずも封印を綻ばせてくれた恩人とも言える少年を、このまま放置しておくわけにもいかない。だが全ての力を取り戻せた訳ではないため、出来る事はあまりにも少なかった。
水に濡れる事のない自身が纏っていたローブの上着を脱ぎ、少年の身体を覆うように掛けていく。
生命力の揺らぎなども感じられない。しばらくすれば目を覚ますだろう。
そうして【彼】は、奇跡にも近い、運命的な出会いを果たした。
***
少しの肌寒さに意識が呼び戻され、ルティウスはようやく目を覚ました。気を失う直前まで何をしていたか記憶を辿る。自分へと襲い来る封印の守り手と呼ばれる水竜を倒す為に水蒸気爆発を引き起こし、至近距離で爆風に飲まれそのまま気を失ったのだと思い出す。半ば自暴自棄になっていたルティウスだからこその捨て身の戦法は成功したようで、辺りに殺気や危険な気配は感じられない。
「目が覚めたか」
けれど傍らから聞こえた声に、微睡んでいた意識が急速に覚醒する。
誰か居る…そう確信して咄嗟に身を起こすルティウスの眼前には、見覚えのない人物が地面に腰を下ろしてこちらを見ていた。
「あんたは…?」
瞬時に腰の剣へ手を伸ばすも、そこには鞘しか無い。慌てて視線を巡らせるルティウスの意図に気付き、その者は剣が置かれている位置を指差した。
「警戒する必要は無い。私にはお前を害する意思が無い」
白銀に海のような蒼が混じった髪、その側頭部からは濃い蒼色の角が二本生えている。獣人とも違う、だが人間ではない事は明らかな風貌のその人物は、鋭いのにどこか優しげな眼差しでルティウスをじっと見つめている。
「…レヴィ、そう呼ばれていた」
「レヴィ……?」
声を聞いてようやく気付く。レヴィと名乗った男の声は、あのクリスタルから聞こえてきたものと同じ。咄嗟に視線を巡らせ泉の上に浮かぶクリスタルへ目を向ける。変わらず淡い光を放つクリスタルはそのまま、空中で佇んでいた。
そんなルティウスの行動に、レヴィはふっと息を吐くように小さく笑い、答えた。
「あの中には、我が本体がまだ封じられている。この姿は分身体のようなものだ」
「……そうか、封印を解いてやれた訳じゃないのか」
結局何も出来なかったのかと落胆するが、レヴィは手を伸ばし、項垂れるルティウスの頭をくしゃりと撫でた。
「いや、感謝している。守り手共を屠ってくれたおかげで、こうして力の一部を取り戻せた」
人の姿を取って地に降り立てるのも、言葉を直接伝えられるのも、全ては封印に抗ってくれたから。誇っても良いのだと伝えるように、レヴィの手は優しくルティウスの髪を撫で続ける。
「……もしかして、子供扱いしてる?」
「子供ではないのか?」
「こう見えて、もう成人はしてるんだけど……」
グラディオス帝国では十八歳で成人を迎える。ほんの二ヶ月前に成ったばかりだが、それでもれっきとした大人である。子供のように頭を撫でられるのは、嫌ではないが複雑な心境だった。
「そうか…随分と小柄だから子供だと思った」
「……くっ」
ルティウスは決して体格に恵まれているわけではない。比較的小柄な上に母譲りの顔つきをしているため、時には女性に間違われる事もあった。自覚があるからこそ言い返せなくて、ぽつりと悪態をつく。そんな子供じみた反応をしてしまったせいか、すぐ側で微かに笑っている気配さえ感じた。
「可愛らしい少年よ、お前の名は?」
「か、かわっ…!?」
揶揄われているだけと分かっていても、聞き逃せない。そんな事を他人から言われたのは初めてで、睨むようにレヴィへ視線を向ける。けれどレヴィは優しく微笑んでいるだけだ。
こいつには歯向かうだけ体力の無駄かもしれない、諦めるように溜息を吐いてから、ルティウスも自分の名を伝える。
「ルティウスだ……ルティでいいよ」
「ルティ、か……」
互いに名を伝え合った所で、ルティウスにはレヴィへ尋ねるべき事が幾つかあった。レヴィが何者なのか、どうしてこんな場所に封印されているのか、守り手達との戦いが最後にどうなっていたのか…。何から訊くべきか思案しているうちに、レヴィの口から先に告げられる。
「質問は多いだろうが、今答えられる事は多くない」
「……俺の考えでも読んだ?」
「表情に出ていたからな」
またも遊ばれている気がして、自分の身体に掛けられている布を力一杯に握り締める。そして気付く。自分が纏っている服とは違うその布の存在に。
「あれ?これって……」
「私の物だ」
レヴィの衣服だと聞かされて、咄嗟に握り締めていた手を離す。あれだけ渾身の力と憤怒を込めて握っていたのに、不思議と皺ひとつ刻まれていない。普通の布ではない事はこの時点で明白だった。
「凄いなこれ……多分俺、爆発の勢いで水の中に落ちただろう?そんな俺に掛かっていたのに濡れてないし、今掴んだ部分も皺になってない…」
「水の竜神が纏う物が、水に濡れるはずも無いだろう」
隣から聞こえてきた言葉に、ローブらしき布を見つめていたルティウスが硬直する。まるで何でもない事のように発せられたその言葉の意味を、頭が正確に理解するのには多少の時間が必要だった。




