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竜と神のヴェスティギア【過去編同時連載中】  作者: 絢乃
第八話

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0087

 作業に移った自警団の面々を見送るレヴィは、今度こそルティウスの元へと駆け寄る。ゼフィラと呼ばれた女への警戒はまだ緩めていないが、彼女は何をするでもなく、ただ心配そうにルティウスが駆け込んだ先を見つめていた。

 そんな姿を視界から外す事なく、物陰で蹲るルティウスを静かに見下ろす。

「大丈夫か?」

「⋯⋯だい、じょ⋯ぶ」

 もう吐き出す物など残っていないのだろうが、嘔吐きは止まっていない。それほどまでに、ルティウスは血の匂いに打ちのめされていた。

「どこが大丈夫だ⋯」

 膝を折りしゃがみ込んで、蹲るルティウスの背を摩る。同時に考えるのは、眼前で弱った姿を晒す少年の安息。周囲が落ち着くまではそれなりの時間が掛かると、自警団の動きを見ても分かる。

「ぶり返したのは、匂いのせいか?」

「⋯⋯たぶん」

 ルティウスは口元を押さえたまま、消え入りそうな声で答えた。

 戦場に慣れのあるレヴィは平気だが、それでも立ち込める匂いは確かに不快なもの。繊細な子供でもあるルティウスに、この状況は堪えたのだろう。

「おい、そこの女」

 しゃがんだまま振り返り、レヴィはゼフィラを呼ぶ。

「⋯お呼びでしょうか」

 優雅な足取りで歩いてくるゼフィラが、レヴィから少しだけ離れた位置で立ち止まった。その距離は、互いの間合いの外。

「お前のその魔力、風だな?」

「左様です」

「この場を風上に変えろ」

 考えついたのは、ルティウスを地獄のような臭気から遠ざける事。ゼフィラを信用した訳ではないが、その身に宿る同胞の加護を見抜いたレヴィは、躊躇わずに彼女へ命じた。

「承知致しました」

 拒まれる可能性も考えていた。しかしゼフィラは二つ返事で快諾し、全身に風の魔力を纏わせる。

 直後、ルティウスを中心として緩やかな風が吹き、不快な臭気が徐々に薄まっていった。

 その間にレヴィは魔力による物質創造で一つのグラスを具現化させた。氷のグラスには、水竜の魔力で生み出された清浄な水が注がれている。

「落ち着いたら飲め」

「う、ん⋯」

 口元を手の甲で拭いながらその場に座り込んだルティウスは、レヴィからグラスを受け取ると緩慢な動作で口を付ける。冷たい水が喉を潤すと同時に、深く息を吐いた。

「ありがとう、レヴィ」

 的確な判断のおかげか、ルティウスは僅かながらに回復の兆しをみせている。その様子に安堵したレヴィは、何も言わずに柔らかな笑みを浮かべていた。

「申し訳ございませんでした」

 ルティウスに向けられていた優しい眼差しは、その一言で唐突に鋭さを含む。ゼフィラが口にした謝罪の声は、レヴィの機嫌を損ねるのに十分だった。

 ゆっくりと振り返り、ルティウスの傍らにしゃがんだまま女の顔を睨み上げた。

「何の謝罪だ?」

 氷のように冷たい声音が、ゼフィラへそれを問う。

 しかしゼフィラは動じる事なく、自らの非を認めるべく視線を伏せて語る。

「ご事情を把握しておりましたのに、軽率に身分を露見させる呼び方をしてしまいました」

「わざとだろう」

 間髪入れずにレヴィは返した。

 落ち着きかけた吐き気がぶり返しそうなほどの緊張感が場を包んでいる⋯ルティウスは今も尚すぐ隣から背を支えてくれているレヴィの、ただならぬ殺気に息を飲んだ。

「お前の目的は何だ?」

 握り続けている槍にも劣らぬ鋭さが滲む声音は、過保護で優しい竜神ばかりを見てきたルティウスを戦慄させていた。

 少しだけ怯むルティウスの後ろでは、フィデスもまた密かに警戒心を顕にしている。ゼフィラから感じる魔力の色を、レヴィ同様にフィデスも見抜いていたから。

 しかし警戒する二柱の視線を浴びたゼフィラは、思いもよらぬ行動に出た。

「本当に申し訳ございません!貴方様方に要らぬ警戒をさせてしまったそのお詫びはわたくしの命を以て償わせて頂きます!」

「「「⋯は?」」」

 ルティウスとレヴィとフィデス、三人の声が重なった瞬間、ゼフィラはその手に握っていた短剣を自身の喉元へ突き立てようとしていた。

「おっと!それはいかんな、嬢ちゃん」

 突然の凶行を止めたのは、自警団を指揮していたはずのリーベル。長剣の先で巧みに短剣を弾き飛ばし、ゼフィラの腕を背後から掴み上げていた。

「ルティウスの事を知ってるってんなら、お前さんがやろうとしてるのは、あいつの傷を抉る事だって分かんだろ?」

 リーベルは知っている。己の実姉がどのような最期を遂げたかを。その惨劇の渦中にいた幼いルティウスが、どれほどのトラウマを抱えているのかも。

 事実、レヴィの腕に支えられているルティウスを見れば、その顔色は船酔いでえずいていた時より何倍も悪くなっている。


──帝国の第三皇子は、自らを庇って死に絶えた母親のその腕に抱かれ、悲鳴も上げられずただ呆然と涙を流していた⋯──


 その事実は噂として、帝国からベラニスの一部へも届き、実しやかに囁かれていたのだから。

 ルティウスが血の匂いに負けて嘔吐したのも、心の傷が原因であろう。自警団への指示を飛ばしながら、意識だけは大切な甥へと向けていた。だからこそ気付けた。

「レヴィ!ルティウスを連れてこの場を離れろ!」

 ゼフィラを捕らえたままのリーベルが、レヴィへ向けて叫ぶ。請われてはっとしたレヴィがへ振り向くのと同時に、渡した氷のグラスが地面に落ちる乾いた音が鳴り響く。そこには恐怖に表情を引き攣らせてゼフィラを凝視したまま、動けなくなっているルティウスの怯えた姿があった。

「⋯ルティ!」

 思わず舌打ちを鳴らしながら、握っていた槍を霧散させると両腕でルティウスの小柄な身体を抱き上げた。

「フィデス、お前は残れ。後からリーベルを連れてこい」

 すぐ傍で立ち尽くしていた同胞へ告げれば、強い意志を宿した緋色の瞳を瞬かせて、彼女は大きく頷いた。

 そのまま全身に魔力を纏わせ、隠されていた翼を出現させる。蒼い輝きを放つ四翼を羽ばたかせて飛翔し、ルティウスと共にその場を離脱していった。


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