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竜と神のヴェスティギア【過去編同時連載中】  作者: 絢乃
第八話

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 甲板の隅に座り込み、ずっと口元を押さえて顔を蒼褪めさせるルティウスを囲むように、レヴィとリーベル、そしてフィデスもまたその場にしゃがみ込んでいる。

「船酔いの事までは気が回らなかったな⋯」

 そばに寄り添い、時折小さな背中を摩るレヴィだが、現状を改善する魔法はさすがに無いのだろう。少しだけ困ったように表情を曇らせて、ルティウスを見守っている。

「とりあえず、お水飲んだらいいよ」

 レヴィと同様に平気そうなフィデスが提案するも、ルティウスは首を横に振る。

「なにも⋯くちに⋯⋯いれたくない⋯」

 領主邸で最後に食べた朝食すら戻してしまいそうなほどの嘔吐きと戦うルティウスにとって、今は水すらも禁句だった。

「うっ⋯!」

 唐突に込み上げた嘔吐感から皆に背を向け、床に蹲る。

「我慢せず吐いてしまえ」

 他の乗船客もいる中、甲板を汚してしまう訳にはいかない。レヴィは容赦なく言い捨てるが、ルティウスは挫けそうになる気合だけでどうにか吐き気を堪え続けている。

 溜め息を吐きつつもゆっくりとルティウスの背中を摩り思案するレヴィが、リーベルに向けて問う。

「リーベル、この船はあとどのくらいで到着だ?」

「ん~⋯まだ出たばっかだからなぁ⋯少なくとも、あと二時間はかかるぞ?」

「⋯長いな」

 過保護な竜神が、どのような理由であれ苦しむルティウスを放っておけるはずもない。まして今は嘔吐という体調不良を既に引き起こしている。

 そう、彼らは黙ってなどいられないのだ。

「酔うのは揺れのせいだろう。ならば私が抱えて飛んでしまえばいいか⋯」

「ダメに決まってんじゃん!こんな人間がいっぱいの船の上で翼出したらヤバいって!」

「俺らは知ってるからいいけどよ、普通の人間がお前さんのあの姿見たらビビっちまうぞ」

「ならこのままルティを苦しませておけと言うのか?」

 当の本人を他所に、三人は言い合いを始める。次第にエスカレートしていく議論は、今のルティウスにとっては苦痛でしかなかった。

 むかつきの治まらない胸を押さえ、嘔吐きの止まらない口を開き、端的に一言だけを告げる。

「⋯うるさい」

 ぼそりと力無く発せられた声に、レヴィ達は口を噤む。

 そして再び嘔吐くルティウスの背を、ただ無言で摩るしか出来なかった。


 一時的に吐き気の治まったルティウスは、甲板の上で身体を横たえる事となった。僅かなようで長い航行時間はまだ残っている。少しでも体力の消耗を抑えさせようというレヴィの提案だった。

「何でまた⋯あんたの膝枕⋯⋯」

「喋るな。また吐くぞ」

 無慈悲なまでの正論を突きつけられ、ルティウスはぐうの音も出ずに口を閉ざした。

 実際、少しでも腹筋に力を入れれば、せっかく落ち着きかけた胃の内容物が再び逆流してきそうな感覚はある。ルティウスは屈辱と少しの羞恥に頬を染めながらも、抵抗を諦めてレヴィの膝に頭を預け直した。

 時折、大きく白い手がルティウスの額にそっと宛がわれる。冷たい手の感触は心地良く、気持ち悪さが少しだけ和らぐような気がした。

「あんたの手…こんなに冷たかったっけ?」

「……少しだけ冷やしている。この程度ならば、お前の魔力を借りずとも可能だ」

「…あんた自身は、冷たくないの?」

「平気だ」

 短く答えたレヴィの指先は、実際は川の水よりも冷えている。そう感じるのは、嘔吐によって自分の肌が熱を帯びているからかもしれないけれど。

「落ち着いているのなら、今のうちに眠ってしまえばいい。着いたら起こす」

 航行はまだ続く。その間に船酔いがぶり返しては体力を削られるだけだ。ルティウスを案じての言葉だったが、しかしルティウスは閉じていた目を開けて、甲板の中央へと視線を向ける。

「眠った方が良いんだろうけどさ…アレがね」

 穏やかな時間をぶち壊すような喧噪を、旅を共にする二人が展開している様子に、レヴィも表情を顰めた。

 元々が二日酔いだったはずのリーベルは、いつの間に持ち込んでいたのか、その手には酒瓶がある。

「オジサン!飲みすぎィ!」

「いーんだよ!俺はこれが普通なんだって」

「ファム君も程々にしろって言ってたじゃん!」

 リーベルの酒好きについて窘めるよう念を押していたファムの要請通りに、フィデスがリーベルを止めようとしている。しかし身長差のせいか、酒瓶を取り上げようとしてもフィデスの手は届かない。

「そのファムがいねえんだからさ、ちょっとくらいいいだろうよ?」

「ダーメー!」

 ダウンしているルティウスをレヴィに任せて騒ぎ続ける二人。酒瓶を奪おうとするフィデスの体当たりを受けては、顔を青褪めさせて時折船のへりから身を乗り出している。二日酔いの身体に酒を追加すれば、ルティウス同様に嘔吐いたとしても不思議ではない。

 ルティウスのためにも静寂を守らせたいレヴィは、低めた声でぼそりと呟いた。

「…黙らせるか」

「ははっ…レヴィなら本当に、河に沈めそう」

「やらないがな。お前が望むなら、叶えてもいいが?」

「望むわけないだろ」

「知っているさ」

 そう言いつつも、頭を撫でているのとは反対の手に魔力が溜められようとしていた事を、ぼんやりとした意識の中でもルティウスは気付いている。

 船が進むにつれて、少しずつ辺りの空気が変わっていく。レヴィが言っていた通り、西の大陸はベラニスや帝国のある東の大陸よりも気温が低いのだろう。冷たい風が吹いて、ルティウスは少しだけ身震いした。

「寒いか?」

「ちょっとだけね。でも大丈夫」

 今着ているのは、レヴィが耐寒の魔法も付与してくれた服。少しだけ肌寒さを感じるが、吐き気の再来を抑えるにはちょうど良かった。

 あれほど気持ち悪く感じた船の揺れが、今は少しだけ心地良い。目を閉じて無意識にレヴィへと身体を寄せていくと、頭上からは軽い息を吐く音が聞こえ、同時に彼が纏うローブの裾が肩に掛かるのが分かった。

「海風ほどではないにしろ、冷えすぎるのは良くない」

「…うん」

 いつしか、船上の喧噪は遠くなっていく。頭に触れる手は優しく髪を撫で、先ほどまで魔力を溜めていた腕は肩に乗せられている。冷たい風と、肩から布越しに伝わる温もりが、ルティウスの意識を微睡へと誘っていた。

 


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