0081
翌朝、ルティウスは真横から感じる寝息と体温に寝起きから盛大な溜め息を吐いた。
ここしばらくは一緒に寝る事など無かった。ようやく距離感を学んだかと安堵していた矢先に、この有様である。
「⋯何でまた、一緒のベッドに寝てるんだよ」
こちらを向いたまま眠っているレヴィの手は、髪を撫でていたのかルティウスの頭に添えられたまま。甘やかされる事を嫌だとは思わなくても、これは何かが違うと感じる。
「レヴィ、起きろよ」
声を掛けながら、髪に触れていた手を退けさせる。やがてゆっくりと目が開いていき、金色の瞳がルティウスを真っ直ぐに見つめた。
「なぁ、何でここで寝てたんだ?」
「⋯⋯まさか、覚えていないのか?」
「え⋯?」
ルティウスが望んだから応じただけに過ぎない。しかし当の本人は、昨夜の記憶を飛ばしていた。
「お前がそばに居ろと言ったから、私はここに居た」
「えっ、うそ⋯えっ?」
「嘘ではない。お前が望んだ」
叔父に注がれるだけ酒を呑んでいた事は覚えているが、しかしいつ部屋に戻ったのかは全く分からない。記憶を無くす程呑んでしまったのかと、レヴィに背を向けるよう寝返りを打って頭を抱えてしまう。
「俺、何かやらかしてない⋯?大丈夫?」
「特には。普通の酔っ払いだったな。普段の数倍やかましくはあったが⋯」
すぐ隣から上体を起き上がらせる音が聞こえて、ルティウスもまたその場に起き上がる。
現状を知り別の意味で頭が痛くなるけれど、いわゆる二日酔いにはなっていない。しかし記憶が無いという事実はルティウスに恐怖を抱かせていた。
「もう、酒はやめとこ⋯」
「別に良いだろう。やかましいが素直で可愛かったぞ、酔ったお前は」
「可愛いって言うな!」
素直ではなくなった素面のルティウスは、いつものように可愛いと言えば必死に否定をする。その素振りもまたレヴィからすれば『可愛らしい』としか思えないのだが。
あの程度で済むのであれば、時々は呑ませてみても構わなかった。しかし一つだけ、譲れない点がある。
「ルティ」
「⋯何だよ?」
不貞腐れたように沈んだ声で返事をするルティウスが振り返った直後、小柄な身体は強い力で引き寄せられ、レヴィの腕の中に収められていた。
「ちょっ、いきなり何!」
「呑んでもいいが、私が居ない所では駄目だ」
至近距離から見下ろされて、思わず身体が強張る。整った美しい顔は少しだけ意地悪な笑みを浮かべて、無防備な少年へと釘を刺す。
「私以外の前で、あんな姿を晒す事は許さない」
警告の言葉を発するレヴィの声はとても優しい。だが今は、その優しい声音が恐ろしかった。
「⋯き、肝に銘じておきます」
「よろしい」
レヴィとは反対に固い声の返事を聞き届けてから、ようやくルティウスを解放した。
これもまた、世間知らずで無防備過ぎるルティウスのため。人間には、対象が男だろうと邪な感情を抱く連中が一定数居るとレヴィは知っている。ましてルティウスは少女と見紛う程の顔立ちをしているのだ。彼をおかしな輩から守るためには必要な警告だった。
「そろそろ支度をするといい。私も戻ろう」
「う、うん⋯そうする」
今日はベラニスを出発する日。ベッドの上でいつまでもふざけている場合ではない。
レヴィが去った後の部屋で、渡された白い服に袖を通していく。竜神からの強力な魔法を付与された白いコートは、本当に新品かと疑いたくなるほど身体によく馴染んだ。
テラピアに預ける予定の元着ていた服は、丁寧に畳んでテーブルの上に置いてある。夕食の時にいつ渡せばいいかと尋ねた結果、部屋に置いたままで構わないと言われていたから。
二本に増えた剣も、既に腰に下げている。重みは増したが、動きを阻害される事は無い。不思議に思うが、鞘の方から魔力の気配を感じる。おそらくは何かしらの仕掛けが施されているのだろう。
そうして準備を整えたルティウスは、何日も過ごした部屋を出るべく扉を開けて、今一度室内を振り返った。
母がかつて過ごした部屋。
長いとも短いとも感じる日々の中で、様々な事があった。
再び戻ってくるかも分からないが、それでも自然とその一言が口から零れ出る。
「母様、行ってきます!」
帝国からは、ただ逃げるしか無かった。
けれどベラニスから、ようやく『旅立ち』となる。
自分の生まれ育った国よりも、この街の方が故郷のように思えて仕方ない。
亡き母の思いが残る部屋から、ルティウスはゆっくりと一歩を踏み出した。




