0079
今度は部屋の扉を叩く丁寧なノックが響く。ルティウスを呼びに来たあの執事が、夕食の時間だと教えに来てくれていた。
二人揃って執事の後に続きいつもの広間へと向かうが、テーブルの上に並ぶ料理の数々にルティウスは固まってしまう。
「なんか⋯豪華だね?」
「今夜は、殿下がお目覚めになったお祝いと、皆様の壮行会です!」
上機嫌に告げるテラピアから視線を外し、改めてテーブルの上へと向く。城で行われていた晩餐を彷彿とさせる料理に、領主である彼女の本気が垣間見えた気がした。
ルティウス達の後から広間へ到着したフィデスとリーベルも、テーブルに並べられた豪勢な食事の数々に驚き固まる。しかしすぐに気を取り直して、それぞれがいつも座っている席へと落ち着く。
領主テラピアが音頭を取り、ベラニスで過ごす最後の夜を彩る晩餐が始まった。相変わらず丁寧な所作で食事をする皇子と竜神に対し、リーベルとフィデスはテーブルマナーなど気にせず好き放題に食べている。コースのように次々と出てくる料理が一段落した頃⋯。
再び、小さな事件が勃発した。
「なぁ~ルティウスよぉ?」
「叔父様⋯酔ってるよね?」
夕食が始まってからずっと酒を呑み続けているリーベルが席を移動し、空いている甥の隣へ座るとルティウスに絡み始める。ふわりと香る酒の匂いに慣れず僅かに表情を顰めるが、リーベルは構わずルティウスへと話し掛けた。
「帝国にいた頃、お前さんだけは浮ついた話が流れなかったよなぁ⋯?」
「浮ついた話って⋯?」
酒の入ったグラスをテーブルに置き、急に真面目な顔をしたリーベルが余計な発言を繰り返していく。
「第一皇子様は、ほら⋯なんと言ったか⋯許嫁がいただろ?」
「あ、うん。公国の第二公女、だったかな」
「第二皇子もよお?婚約はせずに女を侍らせてるってベラニスに噂が流れてきてなぁ?」
「あいつ⋯そんな所まで腐ってたのか⋯」
「で、第三皇子のお前さんは?」
「⋯⋯え?」
急に自分自身の事へと話が変わり、返す言葉を失う。ルティウスの話になったからなのか、隣でゆっくりと呑んでいたレヴィも視線を向けていた。
会話の内容が吹き飛びそうな程、レヴィが酒を呑んでいる事にも驚いてしまったけれど。
「なぁ?めちゃくちゃ厳重に秘匿されてでもいたのか?なぁ?居たんだろぉ?」
「そ、そんな人居ないよ!」
まともな思春期を過ごせず育った第三皇子は、異性との関わりについて経験不十分なまま今に至る。興味が無い訳ではないが、女性について考えた事など一度も無かった。
「テラピアちゃん、どうよこいつ?」
「何でそこでテラピアに話を振るんだよ?」
しかし名を呼ばれたテラピアは、変わらない笑顔のままにこにこしているだけ。ある意味無表情とも呼べる笑顔の裏で、彼女が何を考えているのかは全く読めなかった。
「俺の甥っ子は、この通り行儀も良く顔も⋯まぁ可愛すぎるが、良いだろう?」
「可愛いは余計!」
「ちぃと男としては⋯背は足りないが、どうだ?こいつの嫁にならんか、テラピアちゃん?」
「背が足りないも余計だよ!ていうかテラピアに何言ってるんだよ!」
困惑するルティウスの隣から、じわじわと殺気が漂ってくる。静観していたはずの保護者が、苛立ちを募らせているのは振り返らなくても分かってしまった。
「男ってのはな、守るものがあれば強くなるってもんだ。な、ルティウス⋯どうだ?」
「どうだ?じゃないよ!」
テラピアは確かに綺麗な女性だ。領主としての才覚にも恵まれ、努力も怠らず優しい。いつか誰かを娶るのなら彼女のような人であればきっと幸せなのだろう。けれど今は、それこそ『浮ついた』言動をしている場合ではない。
「まだそういう事は考えられないよ⋯」
リーベルから視線を外し、無意識に伸ばした手がテーブルの上にあるグラスを掴む。自分の前に置かれていたそれを持ち上げて、何も確かめず一気に喉へと流し込んだ。
「おいルティ、それは⋯」
「えっ⋯?」
隣から少しだけ焦った声が聞こえて、レヴィへと振り返る。
「お?姉さんの息子の割に、イケるクチか?」
「⋯⋯⋯えっ?」
両隣りに座る二人の保護者からの視線を浴びて、ゆっくりと手に持っているグラスを確かめた。それは自分が飲んでいたジュースではなく、リーベルが置いた果実酒の入ったグラスで⋯。
「これ、お酒⋯⋯」
今までずっと避けてきた酒を、ルティウスは初めて飲んだ。しかもまだグラスに多く残っていた量を、一息に。
「⋯美味しいな、これ」
「お?ならどんどん呑め!」
「リーベル、こんな子供に呑ませるな!」
やはり保護者然としたレヴィは止めに入った。だがボトルを手にしたリーベルは既に酔いが回っており、調子に乗ってルティウスが飲み干したそのグラスへと酒を注いでしまう。
思っていたよりも飲みやすく、それまで抱いていた苦手意識が払拭されていく。叔父に進められるまま次々とグラスを空けていくルティウスの酔いが回ったのは、それから間もなくの事だった。




