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『仕方ねぇな。少しばかり、あの軟弱に嫌がらせでもしてやろうじゃねえか』
言いながらオストラの手が伸ばされ、ルティウスの胸元へと指先が触れる。嫌がらせという言葉は聞き捨てならないが、今のオストラからは危険を感じない。身を任せるように待っていると、胸の奥で何かが弾けるように破裂音が鳴り響いた。
「何、今の音?」
『お前の魔力を司る核を解放してやったんだ、有難く思え?俺にしたように、レヴィの野郎が封印を掛けてやがったんだ。そいつをブチ壊しただけだよ』
直後、ルティウスを中心として目に見えるほどの濃い魔力が放出された。嵐の如く荒れ狂い、堰を切ったように溢れる力はルティウス本人をも飲み込み侵食を始める。
「⋯っ、なん、だ⋯これ⋯!」
気を張っていなければ、意識を持っていかれそうなほどの魔力の奔流。息苦しささえ感じて胸を押さえてみても、決して楽にはならない。
けれどオストラは平然と、しかしどこか真剣な眼差しでルティウスを見下ろしている。
『やっぱりな。お前はよ、非力で未熟な人間如きが抱え込めるはずも無え膨大な魔力を持ってんだよ。今まではレヴィの野郎が制御出来てたんだろうけどな、根源と繋がって生きてる人間の魔力量を、あんな封印されっぱなしの軟弱に御せるはずもねえんだよ』
精神を侵食し続ける魔力の渦は、しかしオストラが伸ばした手を握り締めると同時に集束し、白く大きな手の中へと吸い込まれていった。
『おらよ、完了だ』
「ッ⋯何を、したんだ?」
『この俺が、お前の魔力を喰った』
「⋯は?」
知識の浅いルティウスには理解し難い現象だが、このオストラが素直に教えてくれる気はしない。しかしそれまで感じていた苦しみは消え去り、かと言って力を失った感覚も無い。真意を確かめるように蒼い瞳をオストラへ向けると、歪んだ性格の竜は極悪な笑みを浮かべて高らかに言い放った。
『あの野郎はなぁ?自分が目を掛けてる存在にツバ付けられんのを何よりも嫌がるんだぜ?こんな面白ぇ事ぁねえよなぁ!』
「⋯⋯ほんっとに、口も性格も悪いんだなあんた」
自分は末弟として生まれたが、こんな弟は持ちたくないなとぼんやり考えてしまう。しかし隠された本当の意図に気付けないほど、この時のルティウスは鈍くはなかった。
「レヴィの代わりに、あんたが制御してくれてるんだろ?」
その問いに、オストラは否定をしなかった。ただにやにやと笑い、愉快そうにルティウスを見下ろしている。
封印されているレヴィの代わりに、封印を打ち破れる力を持つオストラがルティウスの魔力を制御する、そんな事実をレヴィに伝えれば酷く不機嫌になるだろう。それこそルティウスにも宥められないほど怒り狂う可能性もある。
『これ以上の嫌がらせが他にあると思うか?アイツ、自分のお気に入りに手を出されんの本気で嫌いだからなぁ』
「めちゃくちゃ嫌がるだろうし、むしろ俺が怒られるだろ!何で抵抗しなかったんだって」
『お前の事なんざ知らねえよ』
再び手を伸ばしたオストラが、今度はルティウスの額に指先を当てる。
『レヴィの野郎は軟弱だけどよ、頭だけは良い。制御自体は俺よりも上手だからな。アイツにとっとと、魔力制御のやり方を教わりやがれ』
「え…?」
『早くしなきゃ、お前そのものを喰っちまうぜ?』
「喰われるのは断りたいから、頑張るよ」
荒い口調とは裏腹に、オストラはとても優しく微笑んでいた。その笑顔はレヴィによく似た、穏やかな表情をしている。
額に触れた指先から魔力が伝わるのを感じ、同時に頭の中へ何かが流れ込んでくる。そのまま身を任せていると、脳裏に浮かぶのは⋯膨大な知識だった。
『ここまでこの俺がお膳立てしてやってんだ。二度と、こんな無様見せんじゃねえぞ、クソガキ』
「クソガキって言うな。俺はもう大人だ!それにルティウスって名前もあるんだよ、このクソ竜!」
『⋯⋯そんな口が利けるなら上等だ』
最後に届いた声は、どこから聞こえたのかは分からない。既にルティウスの前に、オストラの姿は無かった。だけど与えられた知識が教えてくれる。彼は消えたのではなく、自分に宿ったのだと。
魔力を司る核⋯『魂』と呼ぶべきものを保護するように、胸の奥から彼の魔力を感じた。
「兄弟揃って不器用とか、似すぎだろあんた達」
レヴィからは強力な竜神の加護を、弟のオストラからは強靭な水竜の守護を得たルティウスは、自然と浮かんでくる知識のままに魔力を解き放ち、在るべき場所へと還るために意識を集中させる。ふわりと身体が浮き上がる感覚と共に、考えなくても分かる目指す場所へと視線を向けた。
不思議と、ずっと抱いていた怒りも無力感も消え失せている。傍若無人なオストラと相対した事で、溜まっていた鬱憤も晴れたのかもしれない⋯そう思えた。
「レヴィ、心配してるよな⋯いや、怒られるだろうなぁ」
オストラに守られてる⋯どんなタイミングで打ち明けるべきか⋯。
根源の中から元の世界へ帰ろうとするルティウスが考えるのは、過保護過ぎるレヴィへの言い訳だった。




