0069
同じ頃、ルティウスの意識は、レヴィに繋ぎ止められていなければ肉体から離れてしまいそうなほど希薄になり、思念となって彷徨っていた。
暑さも寒さも、痛みすらも感じない。どこかに触れる感覚も無く、ただ真っ白で何も無い場所を漂っているようだった。
「⋯俺、死んだの?」
直前に、レヴィが持つ槍によって胸を貫かれたのは覚えている。痛みは無くとも、あの直後から記憶が途切れている事から、実は殺されたのかもしれない⋯ぼんやりとそう思い始めていた。
「⋯なんにも、出来なかったな⋯⋯」
死んだのかもしれないと考え至っても、焦る気持ちは湧いてこない。こんなにも自身の心は虚ろだったのかと、乾いた笑いが浮かぶ。
「⋯レヴィ、悲しむかな」
ただ思い浮かべるのは、いつでも自分を最優先に考えてくれていた優しい竜神の事。封印を解いてやりたい⋯その言葉を違える事になってしまうのだけが、心残り⋯⋯⋯
『あんな野郎、悲しませときゃいいんだよ』
唐突に響き渡った声に、微睡みかけていた意識が覚醒する。誰のものかも分からない声の主を探して辺りを見回すが、姿はどこにも無い。
「だ、誰だ!」
いつもの癖で腰に手を添えようとするが、そこに剣は無かった。舌打ちを鳴らしつつ周囲を警戒するが、しかし聞こえた荒っぽい声に反して殺気はどこからも感じない。
『全く⋯この俺をあれだけ痛めつけた人間のくせに、何ですぐこんな所に来てやがんだ?』
再び聞こえた声と同時に、ルティウスの前で蒼白い光が寄り集まっていく。見覚えのある光の粒子はやがて人の形を成し⋯目の前に現れたあまりにも見慣れた姿に驚愕する。
「⋯⋯れ、レヴィ?」
『ばーかやろう。この俺をあんな軟弱と一緒にするんじゃねえ』
レヴィと変わらぬ容姿、しかし口は悪く、目つきもレヴィより鋭い。何よりも特徴的な髪色は、同じ白銀ではあるがレヴィよりも暗い濃紺が多く混じっていた。
彼が何者なのか…その答えは、一つしか思い浮かばない。
「⋯もしかして、オストラ?」
『それ以外の何に見えるってんだ?』
対峙した時は竜の姿だったため分からなかったが、眼前に現れたオストラの頭にはあの時に見たものと同じ角が生えている。形もレヴィの角と変わらないそれは、二体の竜が本当に兄弟なのだとルティウスに悟らせる。
「俺に、仕返しでもしに来たのかよ?」
『は?んな事するかよ、浅はかな人間じゃあるまいし』
そしてオストラは、ルティウスの姿を確かめるように視線を巡らせる。戦っていた時とは全く違う金色の瞳からは、鋭くともレヴィを思わせる温かさが感じられた。
『成程な⋯封石を与えられたようだが、どうやら一足遅かったってワケか』
「どういう事?」
『お前、根源に引き摺り込まれたんだよ』
「⋯⋯えっ?」
レヴィと同じ永きを生きる竜のオストラは、しかしレヴィとは違って躊躇など無い。ルティウスがどう思うかなど気にもせず、現実を容赦なく突き付けていく。
『あの軟弱に言われなかったか?根源にはいろんな思念が潜んでるってよ。その内の一つがこの俺だ」
「へぇ~、レヴィが警戒するのも理解出来るな。あんたみたいなのに目を付けられるからダメって言ってたんだな」
「てめぇ、抜かしやがって……まぁ、俺がお前を見つけたのは偶然だがよ。お前の意識は既に肉体に無い。聖石…だったか?そいつでギリギリで繋ぎ止められてるって状態だ。細い糸が切れりゃ、その瞬間に魂から先に死ぬって事だ』
「…そっか。実感無かったけど俺、根源の中に?」
『そーいう事。半死状態みたいなもんだな。全くザマァねえぜ』
ケタケタと笑いながら重要な事を言われて、ルティウスは無性に腹が立った。生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているという人間の前でどうして笑ってるんだ!と殴りたくもなったが、レヴィの忠告を聞かず根源の力を使ったのは自分自身だと、湧き上がる諦観と共に溜め息を吐いた。
『⋯随分と落ち着いてやがるな?人間のくせに、死ぬのが怖くねえのか?』
「分かんない。怖くないと言えば嘘になるかもしれないけど⋯でもこうなったのは多分、自業自得だから」
気付けば笑みを浮かべているルティウスに、オストラは目を見開く。多くの人間を見てきたが、こんな反応は珍しかった。
人間は、死を前にすれば無様に嘆き足掻くものだと、思い込んでいたから。ただの諦念がそうさせているのだとしても、目の前で笑う少年は現実を、運命を受け止めている。
『⋯ったく、アイツが入れ込むのも分かる気がするぜ』
「えっ⋯?」
ぼそりと呟かれた一言に少しだけ俯かせていた顔を上げると、オストラは不機嫌そうに表情を顰めていた。
『レヴィの野郎はな、基本がバカなんだよ。人間が愚かだと知っていて、それでもアイツは人間に入れ込んだ。その最たる存在がアリアって女だ』
「⋯モアの、聖女?」
『あ~そんなだったな。あの女がレヴィを狂わせた。人間がアイツをおかしくする。だから俺ぁ人間を許さなかった』
その口から出てきたのは思ってもいなかった一言。ルティウスは驚くと共に、やはり笑みを浮かべた。オストラは様々な破壊を行ったと聞かされたが、その理由は単純にレヴィを思ってのものだった。それで滅ぼされそうになる人間としては許容出来るものではないが、気持ちだけは理解が出来る。
「あんた、意外と優しいんだな」
『死に損ないが寝言抜かしてんじゃねえよ⋯』
にやりと笑うオストラに、ルティウスもまた笑みを返す。レヴィと似た容姿で、全く正反対の性格をしたこの竜を、ルティウスは何故か嫌いにはならなかった。




