0066
この場に立つ三人のうち、誰一人として幻影魔法などは使っていない。だがそれでもルティウスの瞳は周囲で燃え盛る炎を反射して赤く輝き、怒りに染まる少年の心情を表しているようにも思えた。
レヴィも魔法の使用を止めてはいない。暴走したとしても、いざとなれば魔力を吸い尽くして枯渇させれば止められるだろうが、ルティウスの内に秘められた無尽蔵とも言える魔力量を考えればそれもまた容易くはない。今までの指導時とは違い本気の構えを取るレヴィは、振り返らずにフィデスへと指示を出す。
「結界の補強と周囲への防護については、お前に任せるぞ」
「はいよ、任せといて!」
海竜と向き合った時以上に、槍を握る手に力を込めていく。そうでもしなければ、おそらく今のルティウスとは打ち合えない。そう確信したレヴィは初めて、ルティウスに向かって手加減無しの攻撃を放つ。
だが決して届かないだろうと予想した通り、魔力を込めて放つ斬撃はただ歩くだけのルティウスに当たる直前で軌道が逸れ、爆発を伴って地面へと着弾する。
「⋯霧の防御、やはり無意識に使っていたか」
対オストラ用と教えたその魔法は、オストラだけではなく水竜の攻撃を全て無効化させる特性を持っている。意識せずとも発動が可能な程に慣れているのは既に知っていた。これでルティウスを傷付ける心配は要らなくなったが、代わりにレヴィの攻撃は一つとして通じない事を意味する。
「レヴィが焦ってるの、なんだか貴重だねぇ?」
「黙れフィデス。お前から潰しても良いんだ⋯ぞ⋯⋯ッ!」
「⋯⋯えっ、ルティ君?」
その時、聖石を通じて二柱の竜神は気付く。目の前に立つルティウスの意識が、酷く希薄になっていた事に。
「⋯ルティ?」
「⋯⋯⋯⋯」
呼び声にも反応は無い。咄嗟にレヴィは魔法を発動させ、動きを封じるべくルティウスの足元を凍りつかせた。しかし放たれる魔力に伴って生み出された炎が全身を覆い、氷を溶解させてしまう。断続的に氷を発生させても端から溶かされていき、足止めも叶わないかと舌打ちを鳴らすレヴィの隣で、フィデスが眼前の事実を確認するべく問う。
「⋯ねぇ、これさ⋯『あの時』に似てない?」
二柱の竜はその現象を知っている。いつしか透き通った蒼い瞳は濁り、そこにルティウスの意識はおろか意思も存在すらしていないのだと悟った。
尚も噴き出し続ける可視化してしまうほどの濃い魔力が、小柄な少年の全身を包み込んでいく。
このまま放っておけば、ルティウスが消える…かつて起きた惨劇を知るフィデスは最悪を想像してしまう。
「⋯⋯ならばやる事は一つだ。フィデス、ルティの動きを止めろ。一瞬だけで良い」
「えっ、そんな無茶振り…」
「やれ!」
レヴィはまだ諦めていない。まだ取り戻せる…可能性は高くなくても、まだ出来る事は残されている。怒鳴るような声で出された命令に、苦渋の決断を迫られていた。
「⋯ッ!……ごめんね、ルティ君!後で治すから許して!」
短いやり取りの直後、フィデスが土神としての力を解き放ち、地脈に触れて大地を操る。地面から生える細く鋭利な岩が巨大な棘となりルティウスの四肢を貫いた。
「ッ⋯ルティ君、ホンっとにごめんね⋯!」
辺りには大量の血が飛び散り、痛々しい姿にフィデスの方が表情を顰めている。しかし痛みすら感じていないのか、顔色一つ変えないルティウスは尚も剣を手放さず前進しようともがき続けている。動く度に岩の棘はさらに両手足の傷を広げ、流れる血の量を増やしてしまう。けれど全身を覆っていた霧の防御は魔力を帯びた岩によって既に内側から剥がされていた。
「⋯反発が、強い!レヴィ、長くは維持出来ないよ!」
「分かっている!」
今にも岩の棘による拘束を打ち砕きそうなルティウスを視るレヴィの瞳は、見る者によっては恐怖を覚える程の黄金に光り輝く。神としての【眼】は確かに捉えている、貫くべき存在を。
手に持つ槍を構え、物理的な状態から蒼白い光の槍へと変化させていく。神を冠する者だけが扱える、肉体を傷付ける事の無い魔力の楔を握り締めて地を蹴り、辛うじて動きを止めているルティウスへと向かう。
狙いを外せば『ルティウス』は二度と戻ってこない可能性もある。失敗の許されないたった一度の機会。それを知るレヴィは意識を研ぎ澄ませて正確に、胸元のただ一点のみを光の槍で貫いた。
やがてルティウスの全身から滲み出ていた魔力が収まっていき、その波動を感知していたフィデスが掲げていた手を下げる。
「ルティ!」
磔のように身体を刺し貫いていた岩の棘は崩れ、同時に傷だらけの身体も力無く倒れていく。しかしレヴィによって抱き留められ、すかさず癒しの魔法による治療が行われていた。
「っ、ルティ君⋯!」
慌てて駆け寄るフィデスもまた、ルティウスへと再生の魔法を掛けていく。意識を失ってはいるが、呼吸は止まっていない。あまりにも突然の異常事態だったが助けられた事に安堵する二柱の神は、起こった事態の重さを認識し、揃って沈黙するしかなかった。




