0065
深夜の領主邸。
その中庭に、居るはずの無い人影があった。
兄で『あった』ラディクスを討つ為にと、一人で剣を振り鍛練を行うルティウスが星明かりの下で身体を動かしている。
こんな剣の鍛練など、本当は昼間でも良かった。それでも夜更けに寝間着のままで出て来たのは、単純に眠れないからだ。こうして自分が起きている事で、聖石を通じて彼らも起きてしまう事は分かっている。それでも、怒りで昂った感情が鎮まってくれない。どうにかして発散させたかった。
ラディクスが剣を使わない事は知っている。魔法に対して剣で立ち向かうには、自身が扱う魔法剣の精度をもっと高める必要がある⋯そうして握り締めた剣に魔力を込めようとした時、やはり彼らはルティウスの前に現れてしまった。
「こんな時間に何をしている?」
既に夜空の月は西へと傾き始めている頃合。こんな夜中まで起きていた事は、レヴィと出会ってからは一度も無い。過保護な竜神は、夜更かしをあまり許そうとはしなかったから。
空中に佇む竜神達は、揃って背に翼を携え頭にも角が出現している。領主邸の敷地内である以上は一般人に見られる心配も無いが、何故その姿でいるのかが不思議だった。
「⋯二人とも、何で翼と角が?」
当然のように問うが、返されたのは溜め息と、思いもよらない回答。
「ルティ君の魔力が荒れ狂ってて、繋がっているボクらまで影響を受けてね⋯」
「⋯⋯え?」
それぞれに翼を羽搏かせて地上へと降り立つ。ゆっくりとルティウスの傍まで歩いてくるが、確かに普段ならばこの時点で元の、人の姿に戻っているだろう。だが今のレヴィとフィデスは、半竜の姿のままだ。
「ごめん⋯俺のせいで、二人にも⋯⋯」
「魔力は精神状態の影響を受けやすい。今のお前を考えれば、致し方ない事だろうな」
ルティウスの気持ちを理解出来るからこそ、咎められはしない。怒りに染まる少年の前に立つ二柱の竜神は、それぞれが怒りの感情を知っているから。
「ボクもね、こんなだけどさ⋯ルティ君の気持ちは解るんだ。誰かを傷付けられた怒りとか、そーいうの」
「私の事は⋯お前はもう既に知っているだろう?」
「レヴィ⋯⋯フィデス⋯⋯⋯」
彼らなら、きっと受け止めてくれるのだろう。あまりにもおぞましい願いを抱いてしまった醜い自分自身を。だからといって、軽々しくその本心を吐露する訳にはいかない⋯そうした我慢が精神を激しく乱し、魔力を半ば暴走させているという事実に気付かないまま⋯。
ルティウスの首元で聖石が光り輝く。同時に左手首の腕輪からも光が放たれ、彼らが魔力を使った事を知り俯かせていた視線を上げた。レヴィはその手に槍を、フィデスは両手を掲げて広範囲に渡る結界を展開させ、ルティウスへと哀しげな眼差しを向けている。
「⋯気持ちが晴れるまで、付き合ってやろう」
まるで指導の時のような構えを取るレヴィ。確かに、燻っている感情を発散させたくて中庭に出てきた。しかしレヴィ相手では自身が疲れ果てて終わるだけだ。昂って眠れない今の状態を解消させるには、最適ではあるのかもしれない。
そしてレヴィの隣で手を翳しているフィデスに首を傾げてしまう。何故?という疑問を乗せて見つめていると、彼女は普段と変わらない声音で厳しい現実を突き付けてきた。
「あのね?ルティ君が倒したいのって、天下を取った皇子様なんでしょ?だったら、皇子様の前に『国そのもの』が相手になるよ?戦争吹っ掛けるのとおんなじ。だったら、皇子様を守ろうとする軍勢を蹴散らす必要があるよね?」
「⋯⋯それも、そうだな」
「だったらさ、レヴィだけじゃなく⋯このくらい捌けないとダメじゃないかな?」
可愛らしい声の直後に現れたのは、フィデスによって創り出されただろう無数のゴーレム。人と変わらない大きさではあるが、その全てが身を構成している物と同じ泥の武器を構えている。
「何だ、これ⋯」
異様な光景に驚くルティウスの眼前で、レヴィが手を掲げ既に展開されている範囲と同規模の、広い領主邸の中庭を全て覆う結界を張り巡らせた。それまで聞こえていた外界の音が途絶えた事で、展開されたのが遮音結界の一種なのだと察する。
「これで、いくら暴れても迷惑にはなるまい」
「⋯こんなところでも、レヴィは人に優しいんだな」
準備は整ったとばかりに、槍を構え直すレヴィ。おそらくは、レヴィよりもゴーレムを操るフィデスへの注意を払うべきだろう。
「このゴーレム達を、例の皇子様を守る軍勢だと思うといいよ。レヴィが標的役。そしてボクは⋯皇子様を守る最後の敵将、くらいに見て突っ込んでおいで!」
フィデスの言葉と同時に、泥のゴーレム達は一斉にルティウスへと襲い掛かる。全方位から向かって来る群れは、確かに戦争ともなれば有り得る光景。しかしルティウスは冷静に、僅かな魔力だけを流し込み炎を纏わせた剣を振るって、無数のゴーレム達を一撃で打ち砕いた。
遮音と共に防御も兼ねていたレヴィの結界と、鉄壁の防衛力を誇るフィデスの結界、その両方が無ければ、今頃は領主邸の屋敷ごと燃やし尽くされていたかもしれない。それほどの業火がルティウスを中心に広がり、ゴーレムを一瞬で焼いていく。けれど命無き存在であるそれらは、無限に湧き上がり何度でもルティウスを囲もうとする。
「わぁ⋯これ、終わりが無いんじゃないのか?」
「ルティ君の国、グラディオス帝国だっけ?確か騎士が興した国だったよね?なら、皇帝に従う騎士団の数はこんなもんじゃないでしょう?」
「それもそうだな⋯」
話しながら今までとは違う無駄のない動きで再び剣を振り、炎を纏わせた斬撃を放つ。やはり一閃でゴーレムは崩れていくが、擬似的な戦争体験としては申し分無い。
何度も湧いてくる泥のゴーレムは、撃ち漏らした数体が時折ルティウスへと肉薄する。それらを的確に斬り捨てては魔法剣による攻撃を放ち、結界内は地獄絵図の様相を呈し始めていた。




