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けれど数十分に及ぶ打ち合いの末、先に膝を着いたのはやはりルティウスだった。
「⋯⋯なんっで、当たんないんだよッ!」
息切れを起こし肩で呼吸するルティウスに対して、レヴィは汗ひとつかいていない。涼しい顔のまま、冷ややかにルティウスを見下ろしている。
「ルティ、お前は忘れているだろう?」
「⋯な、何の事だよ?」
「今でこそ人の身で居るが、私は竜だぞ?魔力が無くとも、生来の体力はそのままだ」
「⋯なっ!」
レヴィの口から語られた衝撃の事実に、ルティウスは子供のように騒いだ。
「ずるい!」
「そう言われてもな⋯」
まるで癇癪を起こした子供のように膨れっ面を浮かべるルティウスに、思わず困惑し視線を外してしまう。けれどそれこそが、ルティウスの真の狙いだった。
ほんの一瞬の隙を突いて剣を繰り出し、強く地を蹴る。レヴィは咄嗟に気付き刺突を受け止めようとするが、僅かに接触点がズレていた。受け流しきれなかった力はレヴィの体勢を崩しかけ、剣先はそのまま白い頬を掠めていた。
細い線が肌に刻まれ、程なくして赤い滴りが滲み始める。
不意打ちとはいえ、初めてルティウスの剣が届いた瞬間であった。
「やった!届いた!」
痛みを感じるほどではない。だが頬に伝う雫の感触に気付き指先を這わせ、流れるものの正体を目に留める。ルティウスがここまで⋯という成長を喜びたい気持ちと、術中に嵌り傷を付けられた苛立ちとがレヴィの中でせめぎ合う。
「⋯お前がそのつもりならば、私にも考えがある」
低い声で呟かれた一言を機に、レヴィは左手を天へと向ける。何をする気かと目で追うルティウスの眼前で、レヴィの姿は突如として現れた水の塊に飲まれる。激しい水流は繭のようにレヴィを囲い、僅か数秒で消え去った。
「⋯⋯⋯え?」
そこに立っているのは、レヴィである事は間違いない。けれどその姿は普段とは異なっている。
魔道士と思わせる白いローブは消え去り、体型がはっきり分かる程の軽装へと変貌している。肩の下まで伸びている白銀の髪は後ろで一つに結われており、特徴的な蒼色の部分はまるで竜の尾のように首の後ろで揺らめいている。
「⋯⋯うっそだろ」
それはまさしく、これから本気で立ち回るという宣告に他ならない。動きにくさを徹底的に廃した姿のレヴィは、今までに見た事の無い、鳥肌が立つ程の酷薄な笑みを浮かべてルティウスを見下ろしている。
「さぁ、来るがいい」
「⋯う⋯⋯⋯」
細いのに力強さを感じる腕が、剣を構え直す。肩から肘までの露出した白い肌は僅かに隆起し、既に力を溜めているのが目に見えて分かってしまった。
レヴィに限って、まさか本気の攻撃をしてくる事は無いだろう⋯そんな信頼を打ち壊すように、レヴィは初めて攻勢に出るべくルティウスへと向かう。
「ちょっ、待って⋯⋯⋯ッ!」
それからの時間は、まさにルティウスにとって悪夢とも言えた。
斬り裂く寸前で身は守られていたが、常に耳元では結界の割れる音が響き続ける。剣を二本に増やしてみたところで、レヴィの猛攻を自力で防ぎ切る事は出来ていなかった。
双剣であったからこそ限界まで受けられた。だが二本あっても尚、レヴィの方が剣速は上回っている。それほどまでに、容赦や加減を捨てたレヴィの攻撃は速く凄まじいものだった。最終的に剣を放り捨てて『ごめんなさい!』と謝り、両手を上げ敗北を認めるルティウスの喉元に刃を触れさせたところで、レヴィはようやく動きを止める。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯れ、レヴィ?」
恐怖で表情を引き攣らせているルティウスを見下ろして、ゆっくりと剣を下ろす。緊張の糸が切れてその場に座り込むルティウスは、直前まで止めていた息を大きく吐き出し全身から力を抜いた。
「身の程を知ったか?」
まだまだ単純な剣技では勝てそうもない。その事実を改めて思い知らされたルティウスは、差し出されたレヴィの手を取り立ち上がる。
「本当に斬られるかと思った…」
「するわけないだろう」
既に表情は元の、見慣れた優しい微笑みに戻っている。何か逆鱗に触れてしまったのだろうが、レヴィを本気にさせてはいけない…と、ルティウスは心に強く刻み込んだ。
そして思い出したのは、顔に傷を付けてしまった事。視線を上げれば白い肌にはまだうっすらと痕が残っているのが見え、そっと手を添えて治癒魔法を掛ける。
「ごめんな、傷⋯」
「この程度、気にしなくていい」
そう告げるレヴィは満足そうに瞳を伏せていた。そしてルティウスの視界には、露出している左肩に未だ残る大きな痕が映り込む。
「⋯こっちの痕は、残っちゃったんだな⋯」
頬の傷を癒し終えてから、肩の傷について触れる。痕が残る事を本人は気にしていなさそうに思うが、これほどの傷をレヴィに負わせた海竜オストラが如何に強敵だったのかを、改めて認識してしまう。
「これも、お前は気にしなくていい。私が油断しただけだからな」
もっと強力な治癒魔法が使えれば、レヴィの傷痕を消してやる事も出来たのかもしれない。剣も魔法も自分はまだ中途半端だと自覚し、ルティウスはさらなる精進を心に誓った。
「いやぁ、凄かったなぁ。あんなスピードじゃ、俺とは相性悪そうだなぁ?」
呑気な声が聞こえて振り返ると、見守りに徹していたリーベルが二人の元へと歩み寄る。
「⋯よく言う。あの時のお前は、全く本気を出していなかっただろう」
「さぁて、何の事やら」
先の手合わせではレヴィが槍を以て勝利した。けれど同じ長剣で戦えばどうなるのかは、ルティウスも気になっている。子供のように興味と言う名の輝きを放つ眼差しを二人へと向けるが、レヴィは首を横に振っていた。
「⋯やらないぞ。長剣は私には向かない」




