0051
「……何だ、この魔力!」
傷だらけで動きを止めた海竜の肉体から、恐るべき密度の魔力が漏れ始めている。それは周囲を汚染しかねないほど凶悪な濃度を持ち、辺りを飲み込もうと靄のように広がり始めていた。
「アレはヤバいって!」
慌てた声を出すフィデスは上空から手をかざし、地面を隆起させて魔力の拡散を抑えようと囲いを作り出した。地脈に干渉して生成されているが、漏れ出した靄を食い止める事は叶わず尚も広がり続けていく。
「何でよぉ!止まれよぉ!」
目論見が外れて騒ぐフィデスに代わり、ルティウスもまた海竜を中心とした巨大な結界を展開させた。魔力には魔力で…そう考えたが、ルティウスの狙いも外れ可視化されるほどに濃い魔力の靄は港を飲み込んでいく。
「くっそ……どうすればいいんだよ、あれ!」
物理的にも魔法的にも防げない周囲の汚染。何も出来ず戸惑う二人とは打って変わって、ただ一人、レヴィだけが冷静に事態を把握している。
「水竜の骸が放つ……邪気……」
眼下で起きている現象は、この場ではレヴィだけが知るもの。食い止める方法はただ一つだけ。
「ルティ!」
呼ばれて視線を向けた先では、レヴィが静かに空中で佇んでいる。
「力を借りるぞ……」
「……え?」
わざわざ改まって宣言する意味をルティウスは考える。現在も根源との接続が維持されているため、多少以上の魔力が吸われてもルティウス自身に影響は無い。それでも尚、断りを入れてくる理由…それは、最大限まで力を引き出すために他ならない。
ここにはフィデスもいる。最悪の事にはならない…そう信じて、レヴィは自身の力を急速に高め始めていた。同時にルティウスは全身を襲う倦怠によって地面へと膝を着き、だが上空へ向けた視線だけは決して逸らさなかった。
「存分に使えって、最初に言っただろ?」
ルティウスの肉体を中継して力を引き出すレヴィは、その身にかつてないほどの濃い水の魔力を纏わせていた。
まるで封印される前のように、自在に全ての魔法が使える。かつてと遜色のない力の奔流に戸惑う事もなく、レヴィは真っ直ぐに海竜へと視線を向ける。
槍を構え、四枚の蒼い翼を広げて、身を守る水を纏わせながら飛翔する。レヴィの狙いはただ一つ…邪気を拡散させている元凶である、竜の核を貫く事。
そしてそれは、オストラの本当の最期を意味する。
躊躇いがあった。かつての戦いも、此度の戦いも。
変わり果てた同胞の所業に怒り、そのままとどめを刺すべきだとわかっていても、出来なかった。
けれど今やらなければ、ルティウスが邪気に飲まれる。
選ぶしかなかった。
オストラを思う僅かな情を振り払うように、翼を大きく羽搏かせた。
「レヴィ……決めたんだね…………ホントに、キミは強いなぁ」
全てを知る土の竜神は、遠くからその光景を見守り、ぽつりと呟いた。その声は誰にも届かず、空に溶けていった。
既に動かない海竜の胸部へと飛び込むレヴィの槍は、迷いなく一点を突いた。硬い鱗を貫き深く食い込ませていく。届いた手応えはあった。この手で、オストラの核を貫いたのだと。
『……遅せぇんだよ、いつまで待たせる気だったんだ?』
最期に聞こえたのは、かつて共に生まれ、共に生きながらも道を違える事になった『双子』の声。
「……オストラ………………」
貫かれた核が砕け散ると同時に、港を崩壊させた巨大な海竜の肉体が光に包まれていく。弾けるように消えた骸は蒼白に輝く粒子となり、空へと登っていく。
海竜の消滅と共に地面へと降り立ったレヴィは、ただじっと天を見上げていた。やがて、その空からは雨が降り始める。雲など無い、鮮やかな晴天から降り注ぐ雨の下、ただひたすらに空へと視線を向けている。
降雨とともに、港を飲み込む魔力も次第に消えていく。拡散を止められた…ベラニスを守れた…そうして安堵するルティウスが力を抜くと、根源との接続も絶たれ、異色に輝いていた瞳は元の深海を思わせる蒼色に戻っている。少しだけ倦怠感は残っているものの、意識を手放すほどの消耗はない。いくらでも、レヴィの元へ駆け寄る事は出来た。お疲れ様!そう声を掛けたくても、何故かルティウスは一歩を踏み出せない。
水に濡れないはずの水の竜神が、雨に降られて濡れていく後ろ姿が、まるで泣いているように見えたから……。




